track 2……2steps toward
…この街に住むようになって、1年が経とうとしていた。
真琴を失って、もうそれだけの月日が経つ。
俺は日常を取り戻し。
真琴のいない日々に、ずいぶんと慣れてしまったような気がする。
冬休みのある日。
いつもと変わらぬ調子で朝食を食べ、いつもと変わらぬ余暇を過ごす。
…しかし、なんだろう。
この、不思議な胸のざわめきは。
言い知れぬ予感のようなモノが、俺をとらえて離さない。
ぴろも…すっかりウチの飼い猫として馴染んでいるあのネコも。
俺と同じように、近頃ソワソワと落ち着きがない。
…なにかが起こる。
確信の持てないまま、俺はなにかを期待していた。
「それじゃ、祐一。ぴろのこと、お願いね」
いとこの名雪は、靴をいそいそと履きながら、俺に念を押してくる。
「わかってるって。ぴろの餌のことなら、心配すんな」
「そう言っておいて、こないだ忘れたから心配してるんだよ…」
ほんとうに心配そうな顔をしている。
「だいじょぶだって」
「ほんとう?」
「…あいつは雑食だから、俺が餌を忘れててもたくましく生きていける…はずだ」
「そのダイジョブなの…」
名雪は、玄関に置いていた大きな鞄を、よいしょと持ち上げる。
「できれば、旅先にぴろを連れていきたいけど」
名雪は、大の猫好きで猫アレルギーという、不遇な体質だった。
「観光バスに、ネコを連れていくのはさすがにまずいだろ」
「そうかな…」
いつまでも外に来ない名雪を心配してか。
ドアが開いて、叔母の秋子さんが玄関に戻ってきた。
「名雪。そろそろ行かないと、バスに遅刻するわよ」
「あ、うん。祐一にね、ぴろのこと、念を押していたの」
「そう」
名雪と秋子さんのふたりは、2泊3日の温泉旅行に行くことになっていた。
なんでも、名雪が商店街の福引きで、温泉旅行のペアチケットを当てたそうな。
ひとりぶんを払い、さんにんで温泉に行こう、と秋子さんは言ったのだが、俺は断った。
親子水入らずにしてやろうという気持ちと、たまにはひとりになりたいという気分だったから。
そしてなにより、冬休みを迎えて、妙な予感めいたモノを拭いきれずにいたからだ。
…真琴が、帰ってくるかもしれない。
そんな風に思って、この街から離れるのを避けたかった。
「名雪は心配性ね」
「ですよね」
「お母さんも祐一も、おおらか過ぎるんだよ」
「そんな心配性だと、秋子さんみたいな女性になれないぞ」
玄関で段差がついていたので、ちょうど良い位置にあった名雪の頭を、ぽんぽんと叩いてやる。
「わたし、お母さんみたいなおおらかな大人にはなれないよ」
「あら、どうして?」
「だって、おおらかなお母さんに育てられたから、わたしみたいに育って。
きっとわたしに子供ができたら、お母さんみたいなおおらかな子供になるんだよ」
名雪は、なにやら確信を持ってそんなことを言う。
「それに、お母さんのお母さん…わたしたちのお婆ちゃんは、わたしと同じように心配性だったでしょ?」
なるほど、そういえば、そんな感じだったな。
おおらかな女性の子供は、心配性で。
心配性な女性の子供は、おおらかになる。
ふむふむ、こうやって巡っていくものなのかもしれない。
などと、妙に感心してしまった。
「孫の顔、はやく見てみたいわ」
「お、お母さんっ」
名雪の話から枝道にそれて、いきなり秋子さんがそんなことを言う。
別に、深い意味を込めて言ったわけじゃないだろう。
俺と名雪は、仲のいい、いとこ。
それだけだ。
「…っていうか、ふたりとも、バスの時間、大丈夫か?」
腕時計はしていないのでわからないが、けっこう長い間、玄関で立ち話をしていたような気がする。
「あーっ。時間ないよ、お母さん」
「大丈夫よ」
「全然大丈夫じゃないよっ! ホントに遅刻だよ〜」
「大丈夫。…100メートルを7秒で走れば」
それは世界新です、秋子さん。
…というか根本的に、秋子さんと名雪は似ていた。
「じゃ、行ってきます! お母さん、はやくはやくっ」
「では、祐一さん。留守、お願いしますね」
「はい」
「お母さんお母さんっ」
「はいはい」
朝からにぎやかに、ふたりは家を出ていった。
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◇