♪ Page1 丘の上の散策




3



「ただいま帰りましたー」
「ただいまなのですよ〜」
 玄関のほうから、外に出ていた寮生ふたりの声が聞こえてきた。
 ……僕とまりやは、ふたりして食堂をチェックしていたところだった。寮内を色々調べてみたものの、結局、僕の部屋から盗まれた物以外にこれといって紛失物はないようだった。
 僕が最初に想像した『女子校マニア』な泥棒ならば、僕たちが……あああ、本来なら僕を除いた三人の寮生が普段使っている洗面道具とか食器……とくに歯ブラシ、スプーンとフォークなどは、マニアならば垂涎(いやな表現だ)の品物だろう。しかしそれには手をつけていない。
 まりやが云った『瑞穂マニア』ならば、僕が普段使う物を持っていくんじゃないかと指摘したけど、「瑞穂ちゃんがいつも使ってるのなんて、あたしたち以外に区別つかないんじゃないの?」とにべもない。以上の点から『瑞穂マニア』による窃盗だと、まりやは確信を深めたようだった。
「……ほら瑞穂ちゃん、がんばって! あのふたりに気づかれないようだったら、学校でもしばらくなんとかやっていけるはずよ」
「う、うん……」
 僕はひとつ咳払いをした後、緊張しているのを隠しつつ、食堂の椅子に座った。



 ……僕とまりやは、恵泉女学院の敷地内にある古い女子寮で生活している。
 僕は男であるわけだし、その、いわゆる女装するにも色々と手間が掛かるわけで……。それなので、登校時間ぎりぎりまでこの寮に居られるのはすごい助かっていた。
 僕とまりや以外に、ふたりの一年生がここで寮生活を送っている。
 ひとりは、上岡由佳里(かみおか・ゆかり)。まりやは陸上部に入っているので、いわばその後輩だ。陸上部での繋がりもあるのだろうけど性格的にも波長が合うらしく、まりやと由佳里ちゃんはほんとうに仲が良い。
 もうひとりは周防院奏(すおういん・かな)。一年生の由佳里ちゃんがまりやの世話役を務めているように、奏ちゃんは僕に世話をやいてくれている。これは寮独特の決まりで、限定された姉妹制度みたいなものだ。一年生の中でもとびきり背が小さい女の子で、部屋にお茶をいれに来てくれる姿なんてちっちゃなメイドさんのようだった。
 ……このふたりは、まだ僕の正体を知らない。騙し続けていることに罪悪感を拭いきれないが、まりや曰く「秘密を共有している者は少ないほど良い」「女子寮には他の女生徒も遊びに来ることもあるし、寮内なら安全だって油断してたら男だとバレかねない」とそんな感じで、これからも出来る限り偽り続けていくことになりそうだった。



「おかえりぃ、由佳里に奏ちゃん」
「おかえりなさい、ふたりとも」
 すでに夕食時は過ぎていて、それなのに食堂にいる僕たちのことが気になったのか、由佳里ちゃんと奏ちゃんのふたりは帰ってきたそのままで食堂にやってきた。僕とまりやは、努めて平静を装いつつふたりを出迎えた。
「わぁっ」
「ど、どうしたんですかお姉さま」
ふたりの視線はまっすぐに僕の……僕の髪に向けられてきた。



 まりやが考えついた作戦とは、髪型を変えるということだった。
 上着を脱がされた僕は、いつものようにブラジャーを着けさせられた。そのブラの中に、僕がいままで使っていたようなものではなく、女性が少し胸を大きく見せるために挟むような薄い胸パッドを一枚ずつ差し込まれる。それを補強し、形とボリュームを整えるためにタオルを押し込まれ、いままでほどではなかったものの、それなりに女性の胸らしい外見を整えることが出来ていた。
 しかしこれは、まりやが先に云ったようにあくまで応急処置といったところだ。以前のように完全に胸の形をかたどったパッドではないし、タオルで補強しているのでこまめに調整が必要らしい。……なにより、いままでよりも胸の厚みがあきらかに減っているし、もしも触られでもしたら一発で偽物だとバレてしまう。
 そのため胸に視線を集めないように他の変化を目立たせる。すなわち、髪型を変える、ということだった。



 長い髪を三つ編みに結い、それを身体の前に持ってくる。ちょうど胸元も隠せるので一石二鳥、というやつだ。
「ま、まりやに罰ゲームで髪を結われたんだけど……お、おかしくない、かしら?」
 意識して女言葉を使う。そうして、なんとなく落ち着かなくて、胸の前に持ってきていた三つ編みの尻尾を弄った。
「そ、そんなことないですよぉ。いままでのストレートな御髪もステキでしたけど、三つ編みだと親しみやすい感じですっ」
「そうなのですよ〜。なんだか知的な感じですし、お姉さまはどんな髪型でもお似合いになると思いますですよ!」
 ふたりとも、嬉しそうな顔をして褒めてくれた。僕の傍らに居たまりやは、そんなふたりを見てニヤリと笑った。
「あなたたちも、今度瑞穂ちゃんにゲームで勝ったりしたら、髪の毛を弄らせてもらうといいかもよ〜。なにせ瑞穂ちゃんの髪ってば、癖もないしツヤツヤしてるし、そりゃもう、さわってるだけで気持ちいいんだから」
 まりやの言葉に、ふたりしてきゃーっと歓声をあげる。寮のみんなは、髪が長いほうではないから、こうやって髪の毛を弄る機会なんて少ないのかもしれない。
「おおっとそれよりも。由佳里に奏ちゃん、いますぐ調べてほしいことがあるんだけど」
 あまり注目させるのはまずいと思ったのか、まりやがふたりに声を掛けて視線をはずさせる。
「さっき変な物を拾ったのよね〜」
「変な物、ですか……?」
「うう〜ん、ちょっと云いにくいのよね。ふたりとも、自分の部屋の中でなにか無くなった物ないか見てきてくんないかな〜?」
 まりやは、なにやら形容しにくいような表情を作っている。無理矢理言葉を当てはめるなら、絶好の獲物を前にした野獣のような……そのまま舌なめずりしてもおかしくないような感じだった。
 そんなまりやの表情に、ひゃーっといった感じで震えあがる由佳里ちゃん。
「ちょ、ちょちょちょっと見てきますっ!」
 由佳里ちゃんはひどくあわてた様子で、自室のある二階に駆けあがっていった
「変な物ってなんですか、まりやお姉さま……?」
 奏ちゃんはきょとんとした顔で、まだ食堂に立っていた。
「ちょっと奏ちゃんも、自分の部屋を調べてきてくんないかな〜。そうねえ……衣類とか勉強道具とかお金とかの貴重品とか……あとは……そうそう、瑞穂ちゃんに見られたくない物、とかぁ?」
 『瑞穂ちゃんに見られたくない物』という言葉が出た途端、奏ちゃんの顔が面白いぐらい真っ赤に茹であがっていった。
「か、奏も見てきますですよっ!」
 ぴう〜っという表現が合うような様子で、奏ちゃんも階段を駆けあがっていった。
「……ねえまりや、いったいどういうこと?」
「由佳里と奏ちゃんの部屋から紛失物が無いか、確認しておく必要があるからね」
「いやそうじゃなくて、なんだよ、その変な物って……?」
「ほらぁ、瑞穂ちゃんだって他人に見られたくないような物とか部屋に置いてなぁい?」
「僕は別に……。盗まれたあのパッド以外は、ないかなぁ」
「年頃の男の子ならあるんじゃないのぉ、いわゆるエッチな本とかぁ、好きな人の写真とか〜?」
 なんだかとってもイヤらしい表情をして、まりやは僕に笑いかけてきた。それに対して僕は素で答える。
「そんなもの置いてけるはずないじゃないか。だいいち、そんなの実家のほうにだって持ってないよ、僕」
 との僕の言葉に、まりやはポカンと口を開けて驚いた。
「て、天然記念物……?」
「あ、でも……。ここに来てからは書くわけにいかなかったけど、実家のほうには日記があったかな。あれはその、確かに見られたくない、かも」
 僕がそう渋々口にすると、まりやはなにやら身悶えた。
「み、瑞穂ちゃん、可愛すぎるわ……。あなたのお嫁さんになるひとは、いろいろ大変ね……」
「ど、どういう意味だよぉ……」
「ああでも、むしろこれならお嫁さんにしたいぐらいだわ、あたし」
 にひひ、と意地の悪い笑いをしてみせるまりや。



 まりやの予想通り、由佳里ちゃんと奏ちゃんの部屋には異常がなかった。
 ……女子寮は僕たち以外の人間も出入りする。たとえば食事を作ってくれている寮母さん。それと、基本的に自分たちで掃除はするものの、定期的に業者の人に来てもらって本格的に清掃してもらったりしている。あとは、僕たちの友人たちとか。
 なんにせよ、僕たち以外にも出入りする人たちがいるので、就寝時間である深夜と長期休暇の時以外は、よほど事情がない限り女子寮の玄関に鍵をかけることはないようだ。
 由佳里ちゃんと奏ちゃんは今朝早くにふたりで出かけていったし、僕とまりやもその後すぐに寮を出た。食事は必要ないと連絡していたので、寮母さんも今日は来ていないし、清掃業者の人も呼んではいない。朝から夕方まで無人になるのだから、いま思えば玄関の扉に鍵をかけるべきだったのだ。
 いや、そもそも誰もいなくなるのだから、僕が自分の部屋に鍵を掛けなかったのは迂闊すぎた。ここで生活するようになってから、もう一ヶ月。正体がバレそうになるトラブルもほとんどなかったし、久しぶりに元の格好に戻れるということに浮かれていて、やはり油断していたのだろう……。



「土日とは云っても、女学院には警備員が何人も居るわけだし、外部から泥棒が忍び込むのは難しいわ。内部の人間が、誰も居ない間に女子寮へ盗みに入った……って考えるほうが可能性は高いわよね」
 僕の部屋で、まりやとふたりして話し合いは続いていた。
 確かに、まりやの云うとおり外部の……男性がこの女学院の敷地内に入っていたら、明らかに異様だとわかる。例え警備員さんに見つからなかったとしても、部活動に来ている女生徒は何人もいるのだから、その子たちに見つかってすぐに通報されるだろう。しかし恵泉の制服を着た女の子が学園内をうろついても、別段怪しくはない。女生徒が私服で学園内に居たとしても、学生証を持っていれば咎められることもない。
 いままでにわかったことから推理し、『エルダー・シスターである宮小路瑞穂に憧れている女生徒が、思い余って女子寮に忍び込み、エルダーの身の回りの品を盗んでいった』と、まりやは確信したようだった。
 実際、過去にも似たような事件があったそうだ。エルダー・シスターに選ばれた女生徒の上履きがなくなったり、体育の授業や移動時間中に弁当箱や筆記具がなくなっていたりとか。盗まれる当人にとってみればイジメと大して変わらないので、たびたび問題になっているらしい。そういったことを具体的に禁止する旨を、生徒会則に記載するべきかどうか真面目に討論されたことがあったとかなかったとか……。
「……問題は、あの胸パッドよね〜」
 まりやはふぅ〜っとため息をつきつつ、深く腰掛けた椅子の背もたれに身を預ける。僕はベッドに腰をおろしたまま、やはり深いため息を漏らした。
「やっぱりバレちゃったかな、男、だって……」
 由佳里ちゃんと奏ちゃんはまだ起きているだろうし、男、という部分は小さく喋る。
「瑞穂ちゃんを糾弾するための証拠の品として持ち帰った……か。もしもあたしがそんな物を手に入れたら、学院長に突き出すわね。それとも、マスコミあたりに売り込んだりとか」
「ま、マスコミって……冗談じゃないよ」
「あたしだって冗談じゃないわよ? 恵泉女学院は伝統あるお嬢さま学校だし、なにより瑞穂ちゃんはふつうの生徒じゃなくてエルダーだからねぇ。もしもそんなネタつかんだら、マスコミもほっとかないでしょ。さらに瑞穂ちゃんの身辺を洗って、鏑木財閥の御曹司だ〜ってバレでもしたら、それこそスキャンダルだわ」
「そんなぁ……」
「とりあえずあたしは、学院長と緋紗子(ひさこ)先生に連絡いれとくわね。その泥棒が、マスコミに駆け込んだり生徒会長のあいつに相談したりとか、そういう最悪な状況にならないことを祈るのみ、かしらね……」
「……僕は、どうすればいいかな……?」
「そうね、明日でいいから紫苑さまに報告しといて。なにか良い案を思いついてくれるかもしれないし、万一、その泥棒が紫苑さまに相談しに行くかもしれない。それと、その泥棒が胸パッドを瑞穂ちゃんに示して、これはどういう意味ですかーって直接来る可能性も高いと思うから、覚悟しておいて。場合によっちゃあ、あれをネタに脅迫される可能性だって捨てきれないわ」
 恵泉の女の子数人に囲まれ、吊し上げられる自分の姿を想像してますます気が滅入った。ほんの少しの時間を惜しんで鍵を掛けなかったせいで、こんなことになるだなんて……。
「それと、もう1セット胸パッドを作らないとダメかもね。盗まれたアレなんか、出来の割にずいぶん無理云って安くしてもらったのに六万だからねえ」
「お、お金なら僕が払うよ」
「ああ、だいじょぶだいじょぶ。必要経費なら久石さんが払ってくれるから」
 久石さんというのは、僕の祖父の弁護士をやっていた男性だ。祖父の遺言をかなえるべく、まりやと一緒になって僕を説得しに来た人だった。
「……って、ちょっと待ってよ、まりや」
「なに?」
「じゃああれかな、クローゼットの中のひらひらした服とか、その、妙に可愛らしい下着とかも、あれ全部必要経費で買った物なの?」
「それが、なぁに?」
「いやだって、『せっかくあたしが買ってきたんだから、着なさいよ!』とか云って僕に無理矢理着せてたりしたんじゃなかった?」
「あっはは……まあ、それはそれ、あれはあれ」
「なにがそれで、なにがあれなのさ」
「う、うっさいわね! お金出したのはあたしじゃないけど、買ってきたのはあたしなんだから全然嘘ついてないでしょ!」
「ぜんっぜん意味が違ってくるじゃないかっ」
 と、そこでふたりとも口をつぐむ。由佳里ちゃんか奏ちゃんかはわからないけれど、どこかでドアが開き閉めされた音が聞こえてきたからだ。
「……とにかく。相手の出方を待つしかないけど、それまで出来る限りのことはしましょう」
 そう、口では深刻な風に云うまりやだけれど、なんだかその顔は楽しそうに見えた。



NEXT ♪ Page1 微笑の肖像