♪ Page1 微笑の肖像




4



 校舎まで続く並木道を、いつもより早い速度で歩いていく。
朝の清々しい空気が風に乗って流れてきて、並木道を歩く女生徒たちを優しく撫でていく。頭上にある木々の葉擦れの音とともに、その間からもれる朝日が生み出す光と影とが石畳を乱舞し、美しく幻想的な世界を作り出していた。
 ……けど僕は、それら朝の風景に和んでいる余裕はなかった。
「あら?」
「どうしました?」
「いま、足早に通り過ぎていった方、もしかしてお姉さまじゃ……」
 駆け走りたいのを我慢して、背筋を伸ばし、あくまでも優雅に歩いていく。僕は自分のことを女の子として装わないといけない。しかもエルダー・シスターになんて選ばれてしまった以上、その一挙手一投足にさえ注意を払わなければならなかった。
まりやは、僕がエルダーになることで有利になる、などと云っていたけれど、僕には逆であるようにしか思えない。とはいえ、つねに気を張っていることを強制されているので、いままでボロが出なかったのは確かではあるけれど。
「まあ……いまの方、見まして?」
「ええ、もしやお姉さまでは……」
「普段とは違う髪型をしていらっしゃいましたから、てっきり……」
 ……まりやは、僕が髪型を変えることで胸に集まる視線を逸らす、と云っていたけれど。なんだか逆に、髪型を変えたせいでいつもよりも視線が絡むような気がする……。



 正面玄関にたどり着いた僕は、まずは紫苑さんの下駄箱を確認する。
 予想していた通り、紫苑さんはすでに登校していた。
 紫苑さんは、朝早く登校していることが多い。紫苑さん曰く、『渋滞に巻き込まれたり通勤ラッシュに揉まれでもしたら、わたくし、確実に寿命が縮まりますわ』とのこと。そんなことを嫌味もなく、微笑ましさをともなって云うことが出来るのが彼女、十条紫苑(じゅうじょう・しおん)という女性だった。



 ……十条紫苑。
 僕と同じくらいの背丈で、長い黒髪を背に流している美しい女性。その美しさは見た目だけではなく、優しく穏やかな性格も非の打ち所がない。
 この恵泉女学院はまさにお嬢さま学校という名に相応しい所だけれど、まっさきに思い浮かぶ『お嬢さま』といえば、やはり紫苑さんだと思う。それもそのはず、彼女は前年のエルダー・シスターに選ばれた人だった。病弱が祟って入院し、そのせいで留年してしまったものの、彼女こそエルダーと呼ばれるに相応しい人だろう。長期入院してしまったせいで前年度のエルダーを事実上の空位にしてしまったことに悔いている紫苑さんだけど、いまなお彼女を慕う女生徒は多い。
 3年A組に編入された僕の隣の席に居たのが紫苑さんだった。最初に僕に手を差し伸べ、そして僕を男だと見抜いた只一人の女性。僕が男であることを知っても決して騒ぎ立てることもせず、微笑んで受け入れてくれた人だった。
 ちょっと神秘的で不思議な感じのある人だけれど、クラスの中で一番仲良くしてくれる、性別をこえた友達だ。



 まりやに云われるまでもなく、僕は紫苑さんに相談するつもりだった。普段よりも早く登校したのは、登校中の女生徒に注目されるのを避けるため、ということもあったけれど、紫苑さんに早く相談したかったのも大きな理由だ。
「……あれ?」
 僕が自分の下駄箱を開けると、いくつかの封筒が目に入った。これはその、ぶっちゃけると珍しいことではない。僕がエルダー・シスターに選ばれてからというもの、いわゆるファンレターとか、その……ラブレターというものが下駄箱の中に入っていることがよくあった。僕のことを女だと信じて疑っていない女生徒から、目が眩むような熱烈なアピールやら秘め事の打ち明けやらが記されていることも少なくない。
手紙とかはふつう、上履きのうえやその横に置かれていることがほとんどだ。しかし僕が目を引かれたその手紙は、まるで目立つのが嫌だとでも云うかのように、上履きのしたに敷かれていた。
 よく見れば、その手紙はノートを切り取り、折り畳んだだけの物だった。
 急いで引き抜き、二つ折りの手紙を開けた僕の目に飛び込んできたのは、1行だけの文章だった。
『例の件についてききたいことがあるので、屋上まできてください。』



NEXT ♪ Page1 Lament