♪ Page1 自由な翼




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 部屋の中にあるすべての家具を引っかき回し、ベッドからシーツを剥ぎ取り、ゴミ箱の中身さえ確認しても、目的の物は見つからなかった。
「ゴミと一緒に捨てちゃったんじゃないでしょうねえ?」
「ちゃんとクローゼットの引き出しにしまったってば。それに、ゴミ箱の中身自体は朝から残ったままだし」
 ふぅーむ、と腕組みをしつつ、散らかりに散らかった部屋の中を見渡すまりや。これ以上、探せるような場所はこの部屋にはないように思える。
「男装に戻った時に、間違えて胸パッドを持ち出しちゃったとか?」
「まりやだって覚えてるでしょ、僕が手荷物なしに外へ出ていたこと」
「そうねえ、じゃあコートのポケットに乳パッドを忍ばせておいて、間違えて持ち出しちゃったとか」
「コートのポケットにあんな大きなちち……胸パッドを入れて歩くだなんて、それじゃ僕は変な人じゃないかっ」
「女装して女子校に通っている時点で、すでにもう容赦なく変な人じゃないの」
「そんなぁ……。だ、だいいちそれは、まりやのせいでもあるじゃないか」
「なんでよ」
「内部から手引きできるまりやって存在が居なかったら、そもそもお祖父さまもこんな無茶な遺言残さなかっただろうし。それに今朝だって、まりやが僕を半ば無理矢理に外へ引っ張り出したんだろうっ」
「なによ、せっかくのお休みなんだから、たまには元の男の格好に戻してあげようっていうあたしの情け心を、ありがた迷惑だったって云うのねっ?」
「それはその、ありがたいけど……。でもでも、せっかく元に戻れたっていうのに、まりやってば僕にドレスとかすっごい装飾のある服とか試着させて楽しんでたじゃないか」
「それはまあ、役得ってやつで」
 にひひ、と笑って、まったく悪びれない。
 かと思えば、びっと人差し指を突き出し、まじめな顔になって僕の胸をつついた。
「それはそれとして。無くしたっていうんじゃなければ、あとはひとつよね」
「ど、どういうこと……?」
「誰かが盗んだ、っていうことよ」
 えーーっ!……と悲鳴をあげつつ、僕は頭を抱えて身悶えた。ちょうど側にあったベッドに、転がり込むように腰を下ろす。
「瑞穂ちゃん、例のおっぱい以外に無くなったものとか、あったりしない?」
「おっぱ……シリコンの胸パッド以外にっていえば……ええと……」
 ベッドから降りてよろよろと床に膝をつき、散らかったままの衣類や下着などをクローゼットに戻しつつ調べてみる。
「……なんて、こと」
「やっぱり無くなってる?」
「替えの制服一式と、まりやが持ってきてくれた下着がひとつ、見あたらない……」
 まりやが用意してくれた物の中でも、いちばん地味めなブラジャーが見あたらない。シリコンの胸パッドをつける際、それを支えるのにブラジャーが必要なのだ。
「金品とか……貴重品は?」
 ベッドの横にある机の引き出しを開ける。その中には、剥き出しのままの紙幣が数枚、入ったままだった。
「ううん、お金はなくなってないみたい。あれ、机のうえに出しっぱなしだった勉強道具の……シャープペンシルとノートがなくなってる……? あ、鏡の前に置いてたブラシもないぞ」
 あちゃー、といった感じの表情で、まりやは額に手を当てている。
「瑞穂ちゃん、さっき帰ってきたとき、ここのドアは開いてた?」
「開いてるもなにも……。今朝、まりやが急かすから閉めてなかったよ……」
「なによ、またあたしのせいだっていうの〜?」
 むっとした顔をして、まりやは僕に背を向ける。……怒らせてしまったのだろうか。
「ちょっと見てくる」
 そう短く云い残し、僕の部屋を出て行くまりや。廊下のほうから、なにやらガチャガチャとドアノブをひねる音が何回か聞こえてきた。
 戻ってきたまりやの顔は、先ほどと同じように渋いまま。
「由佳里と奏ちゃんのドア鍵は閉まったまんまだったわ。あたしの部屋は、帰ったときちゃんと閉まってたし……」
「ど、どういうこと?」
「きちんと調べてみないことには断言はできないけど。これがもし窃盗だったとして」
「う、うん……」
「どうして、すぐに見つかるであろうお札が残ったままなわけ?」
 ガララ……と音を立てて、机の引き出しを開けて中を見るまりや。さきほど僕が確認したように、そこには剥き出しのままの紙幣が数枚入っている。
「七万と五千円ってところか。で、お金が目的でないとすると、この窃盗犯の目的はなにになると思う?」
「それは……制服や下着がなくなってるから……女子校マニアな窃盗犯とか?」
 そう口にしながら、頭の中で嫌な想像を巡らせる。男である僕の下着を盗み、さも嬉しそうに笑う泥棒の姿を……。それに嫌悪感を覚えてブルッと震えたものの、女装して女子校に通っている自分とそれほど違いはないのでないかと思い至り、自己嫌悪に身悶える僕。あああ、とひとり頭を抱える僕をよそに、まりやは話を続ける。
「で、そのマニアな泥棒は、シャーペンとノートなんかも盗むっていうわけ?」
「それは……たまたま、書くものが欲しかったとか」
「ブラシなんてどうして盗む必要があったの?」
「えと……たまたま、家のブラシがダメになってたからとか……」
「ああ、もうっ!」
 まりやは、自分の両腰に手を当てて身を乗り出すような格好で、僕を睨みつけてくる。
「いい!? 下着を盗むってことはもう、れっきとした犯罪よ。その犯罪者が、なぁんで目の前にあるお金を盗まないっていうのよっ! これが犯罪であるとわかってるやつなら、捕まったら同じなんだし、お金も盗んで楽をしたいって気になるのが当然でしょーがっ」
「そ、そうかもしれない、けど……」
「さっき瑞穂ちゃんは女子校マニアな窃盗犯って云ったけれどね。あたしに云わせれば……これはそう、瑞穂マニアな窃盗犯ってところよ」
「み、みずほまにあ〜……?」
「あなたは誰?」
 愕然としている僕に、まりやはビシッと人差し指を突き出して来た。
「なにを云っているんだよ、まりや」
「あなたは誰だって訊いてるの」
「僕はその……鏑木、瑞穂」
「ここではどういう人物よっ」
「ええっと……五月に転入してきたばかりの、3年A組28番、宮小路瑞穂、です……」
「ちっがぁーーうっ!! あんたは恵泉女学院、今年度のエルダー・シスター! 泣く子も頬を染めて見惚れるという、憧れとか尊敬とか崇拝とかその他もろもろを一身に集めるただひとり選ばれた女生徒。まさに我らのクイーン・オブ・クイーンズ。恵泉女学院に知らぬ者はない『お・ね・え・さ・ま』なのよーーっ……!!」
 ズガーン!といった効果音がぴったりな形相で、僕に宣告するまりや。



 ……『エルダー・シスター(一番上のお姉さま)』。
 全ての生徒たちの手本となる最上級生を、生徒自らが選出するという、恵泉女学院独特の制度。その選出は年に一回、六月末に行われ、その年の最も素晴らしい最上級生に贈られる、いわば名誉ある称号だ。
 生徒会などとはまったくの別物であるものの、エルダー・シスターは全生徒の支持によってのみ誕生するので、その発言力は現職の生徒会長をすら凌駕することもあるそうだ。なにせこの称号を得るには、全生徒数の75%以上の得票数が必要で、達しない場合は空席となることもあるそうだ。
 とはいえ一度で75%以上の票を獲得することは希であるので、大抵、誰かが75%に到達するまで得票者同士で票の譲り合いが行われる。得票者同士の仲が悪い場合はそのような譲与も行われず、先ほども示したように空席になることもあったらしい。
 そしてエルダー・シスターに選出された生徒は、その卒業までの間、全ての生徒たちから『お姉さま』と尊敬を込めて呼ばれることになる。それは同級生さえも例外ではない。下級生が上級生のことを呼ぶときは名前を付けて○○お姉さま、と呼ぶのが原則となっているのだが、名前を付けずに『お姉さま』と云った場合、この学校ではエルダー・シスターただひとりを指す。
 五月下旬に転校してきたばかりの僕が、選出をめぐる騒動の中に巻き込まれ、あろうことか栄えあるエルダー・シスターに選ばれてしまったのは、ひとえにこの、御門まりやの功績……否、暗躍が大であり……。



「ぼ、僕がエルダーになったから盗まれたって云うのっ!?」
「あたしや由佳里、奏ちゃんの部屋を調べないとまだ断言できないけどね。たまたま開いていた瑞穂ちゃんの部屋から窃盗を働いたって可能性も捨てきれないけど……金銭に手をつけてないってのがねえ……」
 まりやは、左手を口元に持っていき、右手は腰に当てるといった、まるで探偵が推理しているかのような仕草で僕の部屋の中を歩き回っている。
「……あるいは、最初から窃盗なんてことは考えていなかったものの、瑞穂ちゃんの部屋の鍵が開いていることに気づいて、ついつい魔がさした、とかね。各部屋の調査と……そうだわ、部屋以外の私物……たとえば食堂の食器とかもチェックしないと。それと、洗面所の洗面道具とか……うう、歯ブラシとかよね、いやだいやだ……」
 そんなまりやを、僕は言葉もなく目で追うだけだった。つくづく思うのだけれど、まりやは平常時よりも、こういった非常時にこそ頭の回転が速くなり行動的になるようなタイプだと思う。
「あたしの予想にすぎないけれど、窃盗者じたいはこのことを真に犯罪だとは思ってないのかもしれない。憧れのお姉さまの身につけていた物が欲しい〜、とか思ったりしたものの、お金などを盗って瑞穂ちゃんを苦しめたかったわけじゃないんじゃないかなーって……」
「衣類や筆記道具、あとヘアブラシを盗んだのはそれで説明つくかもだけど……。どうして、よりにもよって胸パッドなんかを盗むんだろう」
 制服や下着、筆記用具なんかはそれこそ替えがきくけれど。胸パッドを取られるぐらいだったら、部屋の中にあったお金を取られたほうがまだましだった。
「それなのよねえ……。アレを見て、窃盗犯はどう思ったのかしらね……」
 盗まれた胸パッドは、精巧に作られたシリコン製の物だった。素肌に装着して、その上にブラジャーなどの下着をつければ、よほどジロジロ見られない限りそれとはわからない。普段なるべく厚着を心がけているので、外見だけで作り物だとバレることはないはずだった。
「盗まれたアレはアレですっごい問題ではあるけれど。差し迫っては、これからよね」
「これからって?」
「もうすぐ、由佳里と奏ちゃんが帰ってくるでしょ。で、胸がなくてツルツルペッタンな瑞穂ちゃんを見て、あの子たちがどう思うか」
「あ……」
「そしてなにより、明日からの学校をどうするかってことよっ」
「あああああ……」
 もうダメ、泣きそうだ……。
 ……どうして……どうしてこんなことになってしまったんだろう。
「そんな恨みがましい目であたしを見ないでよ〜っ」
 開き直るかのように、腕を組んでふんぞり返るまりや。
「さっきから口を開けば、まりやのせいだ、まりやのせいだーって……。人のせいにして問題を回避しようだなんて、いつもの瑞穂ちゃんらしくないぞ!」
「ご、ごめん……」
 ……確かに、そうだ。最初こそ違ったものの、結局は自分が受け入れたのだから。この恵泉女学院に通うことにしたのも、エルダー・シスターと呼ばれるようになったのも。はっきりとは納得できてないことも多いけれど、受け入れた以上、僕の責任だ。
「だいいちあたしがこの学院にいなくったって、あの鏑木翁はやるといったらやらせる人でしょう? そんなことになったら、瑞穂ちゃんはたったひとりでこの女学院に放り込まれ、いまごろ孤軍奮闘してたかもなんだから。それこそ、狼の群れの中に放たれる羊もいいところよっ」
 な、なんで男の僕が羊で、女学院のみんなが狼になるんだろう。
「とにかく!」
 まりやはパンっと手を小気味よく叩き、その後は両手の指をわきわきと動かしながら、僕ににじり寄ってくる。
「由佳里と奏ちゃんが帰ってくる前に、応急処置を済ませてしまいましょう」
「う、うん。で、どうすれば……」
「脱ぎなさい」
「えっ」
「早く上着を脱ぎなさぁーいっ」
 わーっと、恥ずかしくて逃げようとする僕の動きよりも速く、まりやが服の袖をつかんでいた。



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