track 14……冬の花火



 とびきりの快晴…とはいえないものの、雲の少ない、気持ちのいい朝だった。

 集合の時間は、10時。
 だけど、秋子さんと名雪は早々に準備ができてしまったので、時間よりも早く、駅前にやってきてしまった。

 ほどなくして、やはり集合時間よりも早く、佐祐理さんと舞、そしてまことがやって来た。

「えへへ、良いでしょ〜」
 朝の挨拶もそこそこに、まことが両手を掲げながら、自慢してきた。

 見れば、まことは赤い手袋をしていた。
 毛糸で編んだ手袋で、小さな鈴がひとつずつ付いている。

 まことが手を振るたびに、ちりんちりんと、かわいらしい小さな音色を散らす。

「どうしたんだ、それ。佐祐理さんに買ってもらったのか?」
「違うよ、佐祐理が作ってくれたのっ」

 まことがあんまりに誇らしげにしていたので、からかってやろうかとも思ったけれど。
 その手袋は、まことにとてもよく似合っていたので、止めておいた。

「おとといから編みはじめて、今朝できたんだよ」
「へえ〜、そんなにはやく編めるもんなんだ」

「あはは、ちょっとがんばってみました」
 朝から満面の笑顔を見せる佐祐理さん。

「ふ〜ん。俺も作ってもらおうかな…」
 朝の浮き立つような雰囲気が手伝って、俺はそんなことを口にしてみる。

「だめーっ!」
 するとまことが、佐祐理さんから俺を離そうと、両手で押してきた。

「な、なんだよ、まこと」
「ダメったらダメ! 佐祐理は疲れてるんだから、無理させちゃだめなのっ」

 確かに、佐祐理さんをよく見ると、ちょっと疲れているように見えないでもない。
 でもそれより、まことが佐祐理さんのことを思いやる姿が、嬉しかった。

「今日作り始めたセーターを編み終えたら、祐一さんにもなにか編んであげますよ」
 佐祐理さんは、ぽんっと手のひらを合わせて、いつもの笑顔を浮かべる。

「セーター?」
「はい。まことは、すぐ服を汚してしまうでしょう?
だからもう1着、セーターを用意してあげようかなって」

「あんまり無理しないでよね。…佐祐理は、もうそんなに若くないんだから」
 まことは、あんまり気づかうのも恥ずかしくなったのか、照れ隠しにそんなことを呟いた。

「あは、はー…」
 まことの言葉に、苦笑いを返す佐祐理さん。

「…セーターって、どれくらいで編めるもんなんだ?」
「そうですねえ。佐祐理の場合、だいたい3週間くらいでしょうか」

 …3週間。
 その頃には、まことは、もう…。

「いいよ、そんなに急がなくても」

 まことは、朝日の中で、穏やかに微笑む。

「…春はまだ、遠いもの」



 こんなにも遊園地が楽しいのは、なぜだろう。
 …そんなのは決まっている、まことがいるからだ。

 以前遊んだ雪合戦でも思ったけれど、その遊びをほんとうに楽しむ友だちがいるからこそ、自分たちも楽しめるのだ。

 それを、強く再認識する。

 回転するティーカップで、回す勢いを強くしすぎて酔ったり。

 メリーゴーランドを楽しむ女の子たちを眺めたり。

 お化け屋敷タイプのアトラクションに、大げさに騒いでみたり。

 鏡張りのミラーハウスで迷ったり。

 ミニカーでのレースで、本気を出して競争したり。

 秋子さんと佐祐理さんのお弁当に、舌づつみを打って。

 順番待ちの間さえ、俺たちは絶えることなく喋り続けた。

 …これらを全身全力で楽しもうとするまことがいるから、俺たちもそれに引き込まれ、子供のように遊びまくった。

 楽しかった。
 それこそ、自分が子供の頃にかえったように、全力で楽しんだ。

「つぎ、あれ乗ろうよ、あれっ」

 まことが佐祐理さんの腕を引っ張りながら指さしたのは、バイキングと呼ばれる、大きな船が前後にグイングイン揺れるアレだった。

「…俺、パス」
 高所恐怖症の俺には、とてもじゃないが乗れそうになかった。

「佐祐理も少し疲れたから、今回は休ませて」
 佐祐理さんも、疲れた表情を見せて言った。
「昨日はあんまり寝てないから、ちょっと目が回りそう」

「え〜っ」
 まことは不満そうだった。

「行こうよ、まことっ。いまなら空いてるし」
 元気な名雪が、まことの手を引いた。

「う〜…うんっ」

 俺と佐祐理さんを残して、まことたち5人は、あの大きな船に向かって行った。

 …というか、俺と佐祐理さん以外、皆元気だった。

 舞と天野は涼しい顔をして。
 名雪と秋子さんは、きゃーきゃー騒いでいたかと思ったら、終わった途端にケロリとしているし。

 女性陣の力強さを、まざまざと見せつけられた思いだった。

 据え付けられたベンチに俺と佐祐理さんは座り。
 ふたりして、大海にもまれるバイキング船を眺めていた。

「みんな元気だよな…」
「ほんとうですねえ…」

 俺と佐祐理さんは、まるで縁側にたたずむ老夫婦みたいな感じで、のんびりとくつろぐ。
 他人がいまの俺たちを見たら、カップルかなにかだと思うのだろうか。

 でも、見知らぬ他人にどう思われようが、構わなかった。
 心が満ち足りていたので、些細なことが気にならない。

 …いまという時が、ずっと続けばいいのに。
 あるいは、時が止まってしまえばいい。

 幾度となく抱いた、その思いを振り切って…。

「佐祐理さん、あとで、時間をくれないか?」
「はい? なんでしょうか?」

「…大切な話があるんだ」

「いまでは、だめなんですか?」
「ちょっと長くなりそうだから。遊園地で遊び終えた後、できればふたりきりで話したい」
「わかりました」

 俺の言葉に、佐祐理さんはうなずいた。

 天野には言っていたけれど。
 今日こそ、まことの真実を、佐祐理さんに全て話すつもりだった。

 …佐祐理さんは耐えられるだろうか?
 弟の一弥を失ったとき、手首を切った彼女が。

 耐えきれると信じたい。
 大人になった佐祐理さんなら。

 いまは、舞も…それに、俺も側にいてやれるから。



 …けれど。

 この約束が、果たされることはなかった。

 俺の決心を嘲笑うかのように。
 この楽しい時を、残酷に奪い取るかのように。

 …夕方、そろそろ帰ろうという頃、まことが発熱した。



 俺と天野と、秋子さんと名雪の間に、暗い影がのしかかる。

『力が失われるとき…発熱するようです』

 1年前の、天野の言葉を思い出す。

『それは…予兆、ということなのか』

『予兆…いえ、本来ならば、それで終わっていたのでしょう』
『ただ、思いが強いだけに、不完全な形で居続けているんです』

 ……。

『そうですね…長くはない、と思います』
 昨夜の天野の言葉。
『大抵は…1回目の発熱で、すべては終わってしまいます』

 この発熱は、奇跡の終わりゆく予兆なのか。
 あるいは、最後の報せか…。



 電車を降りる頃には、まことの顔は真っ赤に火照っていて。
 ひとりで歩くのもままならない状態だった。

 俺は、そんなまことを背負い、佐祐理さんの家へと向かう。

 秋子さんと名雪のふたりには、家に帰るように言った。

 ふたりとも、まことのことを心配していた。
 けれど、皆で家に押し掛けたら、佐祐理さんと舞も、この発熱がただ事ではないと悟ってしまうだろう。

 そう言って、秋子さんと名雪には、帰るよう説得した。
 ふたりとも、後ろ髪引かれる様子で帰っていった。

 …ふたりは知らないのだ。

 今日という日に、全てが終わってしまうかもしれないということを。

 ふたりとも、さきの真琴に当てはめて、今日が1回目の発熱で。
 つぎの2回目で、奇跡が終わると思っているのだ。

 …俺はずるいヤツだ。
 ふたりに、なにも話していなかった。

 後になって、ふたりは俺を責めるだろうか。
 なじるだろうか。

 …しかしそれでも、構わない。
 いまはただ、佐祐理さんと舞に、少しでも穏やかな時間を、まことと過ごさせてやりたかった。



 佐祐理さんの家に着いた。

 部屋を暖かくして、布団の上にまことを横たえる。
 まことを着替えさせたいというので、俺はひとり、部屋を出た。

 …ずいぶんと待たされてしまった。
 なんでも、まことが手袋を外したがらなかったそうだ。

 なんとか外させてパジャマに着替えさせたいまも、手袋を握ったまま、布団の中に入れているようだ。
 佐祐理さんからプレゼントされたあの手袋を、まことはいたく気に入っているらしい。

 ジリジリ…ジリジリ…。

 そんな形容をしたくなるような時間が、少しずつ少しずつ。
 じれったいくらいに、ゆっくりと流れていく。

 薄暗い部屋の中、俺と天野と、佐祐理さんと舞の4人は、なにも喋ることなく。
 ただ黙って看病を続け、まことの寝顔を眺めていた。

 なにか喋らないと、佐祐理さんと舞を心配させてしまう。
 そう思うものの、俺自身、話題を持ちかける余裕などなかった。

「お医者さまに連れていったほうが…救急車を呼んだほうがいいんじゃあ…」
 佐祐理さんが、疲れ切った顔をして、ポツリと呟いた。

 …病院に連れて行かせるわけにはいかない。
 病院にかつぎ込まれ、見知らぬ人間たちに囲まれることになったら、まことを苦しめるだけだ。

 いまのまことには、逆効果でしかない。

「ただの遊び疲れだよ。たっぷり寝て、明日になれば元気になってるって」

 かろうじて紡ぐことができた言葉は、そんな薄っぺらな慰めだった。

「…どうして、祐一さんにそんなことがわかるんですか?」
 佐祐理さんは泣きそうな顔をして、俺の言葉に噛みついてきた。

「祐一さんはお医者さまなんですか? 医学の知識があるから、そんなことを言えるのですか…?」
 佐祐理さんの声が、しだいに高くなっていく。

「…佐祐理」
 それを制したのが、舞だった。

 舞に諭されるように呼ばれ、佐祐理さんは我に返ったかのようにビクリと震えた。

「す、すみません。すみません、祐一さん…」

 佐祐理さんは、本当に泣きそうな顔で。
 眉を寄せ、ふるふると身体を震わせながら、俺に謝ってきた。

「祐一さんだって心配してるのに。わ、わたし…わたしは…」
「いいんだ、佐祐理さん」

 …チッ…チッ…チッ…。

 普段なら気にもならない時計の音が、やけに高く聞こえる。

 窓の外から聞こえてきた車のクラクションが、耳を突き抜ける。
 どこからか、酔っぱらいたちの騒ぎ声が流れてきて、ひどく癇にさわった。

 熱にうかされるまことは、浅い夢の中にいるのか、寝言をもらす。

「…さゆり…」

 時折目を覚まして、俺たちの顔を見回す。
 そうして、佐祐理さんを求めるように、名を呼ぶのだ。

 佐祐理さんは、それに毎回応え、寝込むまことの髪の毛を撫でてやる。

 …まことは、消えてしまうのだろうか。

 俺は、天野に視線を向ける。
 それに気づいた天野は、小さく首を振る。

 俺の問いに、わかりません、と答えるように。

 壁にかけられた時計を見れば、すでに日付が変わっていた。

 …今夜が、峠。

 そんな言葉が、ふいに浮かぶ。
 テレビや漫画なんかでよく出た台詞。

 それを、こんなにも切実に、自分が体験することになるとは。

 そう、まさに峠なのだ。

 越えることができなければ、まことは消えてしまう。

 そして、たとえ越えることができたとしても…。
 憎らしいくらいに元気だったあのまことは、もう帰ってはこないのだ。

 …俺はまことに、なにをしてやれただろうか。

 いまのまことが求めることを、ちゃんと与えることができていただろうか。

 まことは幸せだっただろうか。
 まことの願いは、かなったのだろうか。

 …まだだ。
 まだ、ぜんぜんだ。

 俺はもっと、まことと遊んでやりたかった。
 まことと、佐祐理さんと舞と、天野と、秋子さんと名雪と、みんなで。

 まだまだ、たくさん、まことの望みをかなえてやりたかった。
 その一途な願いに見合うだけの報いを、与えてやりたかった。

 …だからお願いだ。
 もう少しでいい、時間をくれ。

 もっともっと、この小さなまことを、幸せにしてやりたい。
 まことと、佐祐理さんの幸せを、俺が手助けしてやりたかった。

 こんなささやかな願い、かなえてくれたっていいじゃないか…。


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