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 今まで見えていたモノが消えていき……
 身体の感覚が薄れていき……
 なにもかもが無くなって……
 ……そして
 俺は『ここ』に居た。

 感覚が無かった。
 自分の身体が在るのかさえも判らなかった。
 意識だけが漂っている。
 俺の意識だけ。
 他には何もない。
 なんにもなかった。

 何も見えない。何も聞こえない。何も言えない。
 何も判らない。
『ここ』はどこ?

 俺はこれまでにも『ここ』に居たことがあった。
 心細いとき、やりきれないとき、俺はここに逃げ込んでいた。
 でも、こんな所だっただろうか?
 こんな世界だったろうか?
 それとも……
 これが本当の姿だったのだろうか?

 突然、世界が唸りをあげた。
 俺は両手で耳を押さえた。

 ……耳?
 ……両手?

 急激に身体中の感覚が蘇ってきた。
 ゆっくりと身体の感覚を確かめてみる。
 五体の隅々にまで自分の存在があった。
 指の先。髪の毛の先。
 全てがここに俺が存在することを主張していた。
 完全に身体の感覚が戻っていた。
 いや、向こうでも、こちらに居たときでも感じたことの無いような実感があった。

 俺は『ここ』に居る。
 俺は『ここ』に確かな存在としてあるんだ。
 それは、同時に俺の存在が向こうから消えてしまったということを示してした。

 幼かった時に、寂しさのあまりこの世界を望んでしまった俺。
 悲しさをもう味わいたくないためにこの世界を望んでしまった俺。
 そのはずなのに……
 俺はまた寂しさも、悲しさも味わった。
 俺はまた別れを経験した。
 違うのは、今度は俺だけじゃなくもう一人に同じ思いをさせてしまっている。

 寂しい。
 悲しい。
 そんなものが無いはずの『ここ』で俺は抑えきれないその感情を噛みしめていた。

 周りに意識を向けてみた。
 白かった。
 静かだった。
 何もかもが止まっているように感じた。
 一面の白。
 ねっとりと俺の身体に巻き付くような白い世界。
 どこまでも続いているような気がする。
 でも目の前にまで白が迫っていた。

 再び俺を抑えがたい感情が襲う。
 寂しい。悲しい。
 俺はこんな所に来たかったのか?
 全てを捨てて俺はこんな所に来ようとしていたのか?

 俺は……
 あの時の俺は……
 今の俺は……

 こんな世界は望まない!

 俺はもがいた。
 ここに居たくなかった。
 確固たる考えがあるわけではなかった。
 でも、ここにじっとしているのはイヤだった。
 必死になって手足を動かした。
 そうすれば別の所へ行けるかのように。
 でも、どれだけもがいても周りの様子は少しも変わらなかった。
 自分が動いているのか居ないのかも判らなかった。
 どれだけ経っても俺は白い世界にポツンと居た。

 また俺を大きな感情の波が襲う。
 俺はその波に任せて叫んでいた。
「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」
 何を叫んでいるのは自分でも判らなかった。
 息継ぎもせずにただ叫んだ。
 自分の目の前にある『白』をどこかへやってしまいたかった。
 自分の叫び声で満たしてしまいたかった。
 何処にも行けないのなら、自分の存在で世界を満たしてしまいたかった。
 でも、実際はいくら叫んでも俺の声はむなしく消えるだけだった。
 反響もしない。
 何処にも届かない。
 俺は『ここ』にたった一人。

 堪えきれず再び叫ぼうとした。
「ーーーーーーー…………」

 不意に口をふさがれた。
 それは俺の顔の後ろからのばされ俺の口をそっとおさえていた。

 小さな手のひら。
 手のひらからは細く白い腕が続いていた。
 耳元に声が聞こえた。
(どうしたの?)
 聞き覚えがあった。
(どうしてそんなに大きな声を出していたの?)
 もう一度問いかけられた。
 こころもちゆっくりと。
 口をふさいでいた手が外された。
 叫びは止まっていた。
 かわりに別のモノがこみ上げてきた。
(さみしかったの?)
 今度は声が前の方から聞こえた。
 俺は答えられずそのまま震えていた。
 そうっと俺の頭が抱きかかえられる。
(だいじょうぶ)
 幼い声が優しく言った。
(わたしがいるよ)
 俺は声の主の身体にすがりついていた。
 そして唸るように泣いた。



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