木 曜 日



   白画面

   CD-21-ふたり


…目覚めは、穏やかだった。



   背景-神尾家居間-昼間

相変わらず身体は重かったものの、なんとか動かせるまで回復していた。

寝かされていた布団の掛布をはぎ取りながら、上半身を起こす。

往人「…げ」

身体に違和感を覚えて視線を下ろすと、いつの間にか服を着替えさせられていたのに気づいた。

白いTシャツと、むやみに派手な柄のトランクス一枚。

往人(俺の服はどこだ…)

辺りを見回すが、見つからない。

Tシャツの腹の部分を持ち上げ、それで汗ばむ顔をゴシゴシと拭う。

気怠い身体をなんとか動かし、ふらつきながらも立ち上がった。

往人「ん?」

庭のほうから、鼻歌らしきものが聞こえた。

それに誘われるようにして、縁側のほうへ歩いていく。

   背景-青空1

…日の光がまぶしい。

外から吹き込んでくる穏やかな風が、汗ばんだ身体に心地いい。

庭先の物干し竿にかけらた白い洗濯物たちが、風で緩やかになびいている。

そして、目に染みるような白い布たちの向こうに、観雪の姿を見つけた。

   背景-神尾家居間-昼間

庭の植物に、ジョウロで水をやっているようだ。

象さんをかたどったジョウロでも似合いそうだったが、手に持っているのは大きなジョウロだ。

なかばそれに振り回されるようにして、でも頑張って水やりをしている。

音程が外れているような鼻歌が、微笑ましかった。

観雪『…おとーさん、嘘ついてるもん』

昨夜…違うな、その前の夜か? あの日のことを思い出して、話しかけるのをためらってしまう。

観雪「おかしいな〜…」

観雪は背を向けているので、俺に気づかない。

その観雪が、鉢植えに水をやりながら小首をかしげていた。

観雪「みんなのは、もう咲いてるのにな〜…」

ためらいを押しやり、声を絞り出す。

往人「…どうした?」

俺の問いかけに、観雪の背がピクンと震えた。

おずおずといった感じで、観雪が振り返る。

観雪「あ…う…」

観雪もあの夜のことを思い出したのか、口ごもってしまう。

そんな観雪の態度に気がしぼみそうになったが、なんとか言葉を連ねてみる。

往人「…おはよう」

観雪「あっ…」

観雪「…は、はいっ。おはよう…ございます」

往人「それで、どうしたんだ?」

観雪「えっと。えーっと…」

観雪が少し身体をずらすと、水をやっている鉢植えが俺にも見えた。

観雪「…朝顔」

その鉢植えには、細い竹みたいなモノが二本刺さっていて、それにまとわりつくように朝顔がのびていた。

つぼみが何個もついていたが、すべて先がとがっていて、咲いた様子はない。

観雪「学校の宿題なんだけどね。観雪のだけ、なかなか咲かないの…」

往人「そら、困ったな」

観雪「うん…。友だちのはみんな咲いてるのに、観雪のだけ…」

観雪「どうしてかなー。どうしてなのかな〜…?」

観雪はしきりに、首をかしげていた。その間も、ジョウロの口から水が吐き出されている。

…ジョボジョボジョボ…。

往人「…なあ、ちびすけ」

観雪「ちびすけじゃないよぅ…」

俺の呼びかけに、観雪はぷぅっと頬を膨らませる。

往人「水、やり過ぎなんじゃないか」

観雪「そんなことないよ? いつも朝だけだもん」

往人「いや、いまだよ、いま。手元が留守になってるぞ」

観雪「え?」

俺の指摘に、観雪はあらためて朝顔の鉢植えを見る。

観雪「わーっ!」

大声をあげて驚いていた。

無理もない、鉢植えは大洪水で、縁から水がこぼれ落ちていた。

観雪「観雪ちん、ぴんちっ」

観雪「ていうよりも、朝顔のほうがぴんちっ」

観雪「水、出してあげないとっ」

観雪は朝顔の鉢植えを斜めに傾けて、多すぎる水を外に出そうとする。

観雪「きゃーっ!」

傾けすぎた鉢植えから、水だけでなく土までこぼれ出てしまっていた。

観雪「だ、だいぴんちっ」

そんな観雪の様子に苦笑しながら、俺は庭を見回す。

庭いじりにでも使うのか、小さなスコップが地面に刺さっているのを見つけた。

往人「やれやれ…」

   背景-青空1

縁側の下にあったサンダルをつっかけ、スコップを取りにいく。

観雪「うわーん、どうしよー…」

観雪は泣きながら、手で土を戻そうとしていた。

どろんこになった手で涙を拭うものだから、もう顔まで汚れていた。

往人「ほら、泣くな。おとこ…」

男の子だろう、と言いかけて、なんとか思いとどまる。

往人「…泣くな。もう、十歳だろ?」

観雪「まだ九歳だもぅん…」

そうか、俺がここに来たのが十年前だから…。

観雪「ふえ〜ん…」

…ああもう、泣かないでくれ。

どうすりゃいいのかわからなくて、こっちまで泣きたくなってくる。

往人「ほら、どいてみろ。俺がやってやるから」

言いながら、観雪をどかそうとその肩に手をかけた。

観雪「……!?」

…その直後、俺の手は跳ねのけられていた。

拒絶された…。

切ない痛みが、胸を刺す。

観雪「あっ…」

観雪が、悲しいような困ったような…そんな顔で、俺のことを見上げる。

往人「…ほら、どいてみろって」

俺は胸の痛みを押しのけて、つとめて冷静な声で言った。

観雪「はい…」

   背景-神尾家居間-昼間

観雪がどいた場所にしゃがみこみ、スコップを使って鉢植えに土を戻していく。

往人「………」

観雪「………」

また、ふたりの間に沈黙がおりる。

ふ〜…と、自然にため息をもらしてしまう。

…子供の扱いには、商売柄慣れているつもりだった。

ところがそれは、あくまで客としての子供相手のものだったのだ。

しかも、観雪は自分の子供…。

突然現れた九歳の娘相手に、どう接すればいいか、いまだに考えあぐねていた。

観雪「ごめ…さい…」

俺の隣でしゃがんだままでいた観雪が、なにか囁いた。

往人「どうした?」

観雪「ごめんなさい…」

往人「ん? なにを謝ってる?」

観雪「いま、手をふりはらったのと…。二日前の夜のこと…」

観雪『…おとーさん、嘘ついてるもん』

往人「………」

往人「あの時、なんで俺が嘘ついてるって思ったんだ?」

観雪「………」

観雪は大きな目で俺を見つめた後、まぶたを閉じながらうつむいてしまった。

観雪「言えない…」

観雪『…ひみつ』

観雪『だって…。これ話したら、きらわれちゃう…』

ふと、思い当たった。

観雪が秘密だと言って教えてくれなかった、不思議な力。

それは、もしかして…。

往人「…もしかして、ひとの心が読めるとか?」

俺の問いかけに、観雪はビクリと震えた。

往人「そうなんだな?」

重ねて訊くと、観雪は怯えたウサギのような瞳で俺を見上げてくる。

観雪『だって…。これ話したら、きらわれちゃう…』

観雪『おとーさんもぜったい、観雪のこときらいになるもん…』

往人「…心配すんな」

俺は、できるかぎり優しい声音で観雪に話しかける。

往人「俺は、全然驚いてないだろう?」

往人「俺にも不思議な力があるし、そういう力があるってことを知ってるから、すぐに納得できるんだ」

観雪「………」

ざく、ざく、ざく…。

小さなスコップを使って、こぼれ出た土を鉢植えの中に戻していく。

斜めになっていた竹らしきものもまっすぐに整えてやる。

鉢植えに戻した土を、スコップの裏面でぺちぺち叩いて平らにして、見た目は元通りになった。

観雪「ありがとう…」

往人「ああ」

往人「…咲くのが遅い朝顔はな、早く咲くヤツよか立派な種をつけるんだぞ?」

観雪「えっ、ほんとっ?」

隣にいた観雪が、パッと笑顔になる。

往人「…ああ。きっと、丈夫な種をつけるため、頑張って準備してるんだな。だから、気にすんな」

往人(いや、口から出任せなんだけどな…)

ていうか、こんな笑顔を見せられてしまうと、いまのは冗談だとは言えなくなってしまった。

…しかし、ひとつわかった。

隣にいるのに、観雪は俺の嘘を見抜けなかった。

あの夜、指切りをして観雪が泣き出したこと。そしてついさっき、観雪が俺にふれられるのを嫌ったこと。

往人「…人とふれてると、そいつの心が読めるんだろ?」

観雪「えっ…」

観雪が驚いた表情を見せる。どうやら、図星だったようだ。

観雪「ど、どうしてわかったの…?」

往人「言ったろ? 俺にも不思議な力があるって。だから、いろいろわかるんだよ」

観雪は、俺の瞳を長い間のぞきこんできた後、コクリと大きく頷いた。

観雪「…観雪がさわったり、その人が観雪をさわったりしていると、なんとなくわかるの」

観雪「そんなくわしいことはわかんないんだけど」

観雪「そのとき感じてることとか、これからしようと思っていることとか…」

観雪「感情っていうのかな? そういうのが、ぼんやりとわかるの」

観雪「それと、その人が強く思ってるらしいことがわかるんだよ」

いまよりも小さいとき、なんの気なしにこの力を使って、友だちを失ってしまったのだろう。

母親であった晴子でさえ、どう接すればいいのか計りかねて、一時的にでもギクシャクした様子が想像できた。

俺は長い旅路でそういう力があることを知っていたので、受け入れることができた。

…とはいうものの、具体的にどう接すればいいかなんてのは、わからない。

ただひとつわかっているのは、小さな子供だからとあなどって、嘘をつくのはいけない。

…俺はいい加減な人間だから、口先でごまかそうとすることが多いような気がしないでもない。

そこら辺、気をつけなくちゃいけないな…。

往人「…でも、けっこう便利な力なんじゃないか? うまく使えば、ひとに嫌われないで済む」

観雪「う〜ん…」

観雪「…でも、心を読んできらわれないようにするのって、なんだかずるい気がするの」

観雪「ママともいろいろ話したんだよ。そんで、できるだけこの力にたよらないで友だちと話すって決めてるの」

観雪「ママはね、こういう力にたよってるとホントの友だちができないって言うの。フェアじゃないからって」

往人「そら、一理あるな…」

往人(晴子も、ちゃんと母親やれてるんだな)

   背景-青空1

晴子「…観雪」

背後から、晴子の声。

振り返ると、縁側に晴子が立っていた。

十年前とあまり変わらない、ラフな格好をしている。

観雪「あ、ママ」

晴子「そろそろ、ご飯にしよか」

観雪「うん、そうだねー。だいたい準備できてるよ」

晴子「…あんた」

そう言って、晴子が俺に顔を向けてきた。

晴子「飯、食えそうか?」

往人「ああ」

晴子「おかゆにしとくか? それとも…」

往人「いや、ふつうので大丈夫だ。胃は丈夫なほうだからな」

晴子「そか。じゃ観雪、三人分な」

観雪「うんっ」

観雪「あ、でも、まだ水やりが…」

晴子「うちがやっとくわ。やから、朝飯、用意し」

観雪「はぁーい」

観雪は元気よく返事をして、パタパタと家の中に入っていった。

往人「………」

晴子「………」

観雪がいなくなると、途端に静かになる。

   背景-神尾家居間-昼間

晴子は縁側で腕を組みながら、俺は庭でしゃがみ込んだまま、互いに見つめ合う。

往人「…飯、あんなちびに作らせてるのか?」

晴子「ん? …ああ、交代でやっとる」

晴子「まだまだ下手くそやけど、いまからやらせとけば将来のためになるからなー」

往人「そうか…」

晴子「…身体の調子は、どうや?」

往人「だいぶよくなった」

晴子「…そんなら、もうここから出てけるか?」

晴子『…お願いやから、こんな小さな幸せに波風立てんといて』

晴子『もう二度と、この町には来んといて。そしてあの子に、近寄らんといて…』

往人「………」

晴子がなにを望んでいるか、わかりきっていた。

だけど…。

だけど、俺は…。

…観雪。

観雪になら、翼を持った少女を救えるかもしれない。

いや、俺なんかよりもずっと可能性がある。

…俺は、なにを考えているんだ…。

往人(…せめて、もう少し考える時間がほしい)

往人「晴子…」

晴子「…なんや?」

往人「少しでいい、俺に時間をくれないか?」

晴子「…どういうことや?」

往人「身体が回復するまでの時間と、観雪と話をする時間だ」

往人「五日…いや、三日でいい。俺に、時間をくれないだろうか…?」

晴子が腕を組み、眉をよせて険しい顔つきになった。

往人「いまは夏休みだろ? ちびと話をしたり、遊んでやれるような時間を許してくれないか?」

晴子「…だめや」

往人「今日、明日、あさって…。そうだ、あさっての夕方には、この町から去る。だから…」

晴子「…あかん。飯食ったら、さっさと出てき」

往人「旅立ったら、もう二度と、この町には来ないようにする。だから、晴子…」

晴子「………」

往人「…頼む」

往人「三日だけでいいんだ」

晴子「………」

晴子が考え込むような仕草をする。

そんな晴子の顔つきが、不意に寂しそうに陰った。

晴子「…三日、待ってや…か」

往人「……?」

晴子「…あんた」

晴子「あくまでダメ言うたらどうするつもりや?」

往人「どうするって…」

往人「………」

往人「…どうしよう?」

ほんとになにも考えていなかった。

晴子「なんも考えてないんかっ」

往人「だから、考える時間がほしいんじゃないか」

晴子は苛立たしげな様子で、眉間に指を当てる。

往人「…でも、そうだな」

往人「とりあえず、あいつと話をしたいから、この町にはいたい」

晴子「ふざけんなっ。さっさと町出ろ言うてるやろっ」

往人「それじゃあ、隣町に行って数日考えて、それでまた会いに来るというのはどうだ?」

晴子「こっの…」

晴子はゲンコツをぶるぶる震わせている。

往人「…すまん、勝手なこと言ってるのはわかってる」

晴子「男ってヤツは、どうしてこう自分勝手なんやっ」

往人「………」

晴子が、全身から絞り出すように大きなため息をついた。

晴子「…誓うか」

往人「なにをだ?」

晴子「三日後…、そうやな。土曜の夕方、ほんとにこの町を出るか?」

往人「今日は木曜だよな? もちろん、約束する」

晴子「そんで、もう二度とこの町に来ないって…」

往人「…ああ」

往人「誓う」

晴子「………」

往人「………」

晴子「………」

晴子「…ふぅ」

晴子「あかんなぁ〜…」

晴子「うちも歳取って甘なったんかな…」

晴子「あんたのこと、殺したいって憎んどったはずやのに…」

晴子「女先生や敬介から話聞いて、ほだされてしもたんやろか…」

晴子「…昔のうちを見てるようで、なんや妙にこそばゆいわ」

往人「………」

晴子「わかった」

晴子「三日やで? それと、さっきの約束は守ってもらう」

晴子「そんで、納屋でええなら寝場所に使ってもええ」

晴子「どうせ飯食う金にも困ってるんやろ? せやから、朝昼晩うちで食わしたる」

晴子「三日後また体調崩しとっても、ケツ蹴って追い出したるからな」

晴子「…せやから、ちゃんと体調戻しとくんやで」

往人「すまん。助かる」

晴子「あんたでも、ちゃんと礼言えるんやな…」

晴子が苦笑いを見せた後、縁側から歩き去っていった。

   背景-青空1

観雪が料理をしているのだろう。家の中からいいにおいがただよってきた。

いまは、木曜日の朝。

約束の土曜の夕方までに、俺になにができるだろうか…。

   BGMストップ

   背景-青空1


去ったとばかり思っていた晴子が、ひょいっと顔をのぞかせた。

晴子「そうそう、ついでに庭の水やりもやっといてな」

晴子「働かざる者食うべからず、や」

往人「…了解」



   CD-02-野道

   背景-神尾家居間-昼間


水やりを終えて居間に戻ると、台所のほうから話し声が聞こえた。

観雪「ケンカしたら、めーなの」

晴子「だからしてへんっちゅーの。安心しぃ」

   背景-神尾家台所-昼間

往人「…終わったぞ」

観雪「あっ、えと、ごくろうさまです」

観雪はふりふりエプロンにお玉といういでたちで、調理場に向かっていた。

背が低いので踏み台を使っていて、そんなところからもままごとめいた印象を拭えない。

往人「しばらく納屋を借りることになった。よろしくな」

観雪「えっ、な、納屋…?」

晴子「そや。寝床に納屋を貸したることになった。ついでに、飯の世話もな」

観雪「ママ、いくらなんでも納屋なんて…」

往人「大丈夫だ。野宿にだってなれてるからな。屋根の下で寝れるなら上等だ」

観雪「う、う〜ん…」

観雪「…でもよかった、ふたりとも、仲直りできたんだね」

晴子「全然しとらんわ」

観雪「………」

観雪はどんな表情をすればいいのかわからない様子で、しばらくうろたえていた。

晴子はすでにテーブルについていた。その隣に座るのは抵抗があるので、斜め向かいの椅子に座る。

晴子「…あんた」

晴子はテーブルに頬杖をつきながら、俺に話しかけてくる。

晴子「念のため、医者行っとくか?」

往人「いや、大丈夫だ」

往人「それに保険証ってのもないしな。あれがないと物凄い金額をふんだくられるんだ」

往人「…まったく、いまの日本の政治はどうなってるんだ」

晴子「住所不定無職で税金払ぉてへん奴がよう言うわ」

往人「ぐっ…」

往人「しょ、消費税なら払ってるぞっ」

晴子「そんで政治語れるんなら、観雪かて資格あるわ」

往人「………」

なにも言い返せず、なんとはなしに胸の前で腕を組んだら、違和感を覚えた。

…そうだ、いつの間にかに服を着替えさせられていたんだ。

往人「おい、俺の服はどうしたんだ?」

晴子「あのくっさい服、洗濯終えてもうたたんであるわ。後で持ってきたる」

晴子「うちが着替えさせたんや。苦労したでー」

晴子「…しっかし、この歳で男物のパンツをコンビニで買うことになるとは思わんかったわ」

往人「ぱんつ…」

晴子「あんた、替えのパンツぐらい、荷物で持っとき」

往人「ちょ、ちょうど買うつもりだったんだ」

往人「っていうか、あんたが着替えさせたのかっ? ぱ、パンツもっ?」

晴子「そや」

晴子「あんた…まあそこそこのモノ持っとったなぁ」

往人「んぐ…」

晴子「ええ機会やったから、観雪にも見せて教えてさわらせたった」

往人「見せるな教えるなさわらすなっ!」

晴子「観雪、大人の見るの初めてみたいやったからな。興味津々やったわー」

晴子「ていうか男の家族おらんのに見るの初めてやなかったら恐いわ」

往人「あ、あんたなー…」

晴子「…ぷふっ」

晴子「あっはは、まあ、冗談や冗談っ」

晴子「赤飯前のガキんちょには、まだ実物はチィと早いわ」

赤飯前ってなんだ…。

晴子「…いやでもまあ、半分ホントやけど」

往人「どこまでホントだっ!?」

クックと、人の悪い笑みを浮かべて晴子が肩を揺らしていた。

観雪「ふたりとも、仲いいねー」

観雪が楽しそうな顔をして振り返った。

往人「ぜんぜんよくないっての…」

晴子「まったくや」

観雪「テレビでやってるマンザイの人みたい」

にはは、と笑って、観雪は調理場に向き直った。

と思ったら、また振り返った。

観雪「そだ、目玉焼きはどうしよ?」

晴子「今日はグチャグチャにしたってや。そんで固めにな」

晴子「焦がしたらあかんで?」

観雪「わ、わかってるよぅ」

観雪「えーと…」

観雪「おとー…さん、は?」

と言って、観雪は俺を見やる。

晴子「あかん」

応えようとした俺をさえぎるように晴子が言った。

晴子「こんなんを父さんなんて呼んだらあかんで」

観雪「う〜ん…」

観雪「…じゃあ、パパとか?」

晴子「それもあかん」

晴子「そやなぁ〜…う〜ん…」

晴子「…ん、甲斐性なしなんてどうや? ピッタリやろ」

観雪「カイショーナシ…? う〜ん、よくわかんないけど、わかったよ」

往人「待て待てっ」

晴子「んならロクデナシでどや?」

往人「ふつうでいい、ふつうでっ。名前で呼んでくれ、ふつうにっ」

観雪「………」

観雪「ゆきとさん…?」

往人「…ああ」

晴子「まあ、しゃあないか。それで勘弁したる」

観雪「ゆきとさんは…目玉焼き、どうする?」

往人「そうだな、半熟で頼む。いまの気分は半熟なんだ」

観雪「はぁーい」

晴子「…あんた、半熟とはチャレンジャーやな」

往人「なんでだ?」

晴子「半熟っちゅうんは、料理人の腕が試されるもんや」

晴子「弱冠九歳の小娘に腕を問うとは、無体なことしよる」

往人「そ、そうなのか…?」

心配になって観雪のほうを見てみる。

観雪はエプロンをふりふり揺らして料理していた。

…じゅー…。

観雪「…あっ」

観雪「ドンマイっ!」

往人(なにがドンマイなんだ…?)

…じゅー…。

観雪「ねえママ、ドンマイってどーいう意味?」

晴子「ん〜、大丈夫だ、心配すんなー…とかいう意味やったかな?」

観雪「ふ〜ん…」

…じゅー…。

観雪「…辞書で調べてきていい?」

晴子「飯作り終えたらな…」

観雪「う〜ん…」

…じゅー…。

観雪「………」

観雪「…ねえママ」

晴子「なんや〜?」

観雪「本日はちょっと焦げ目を多く入れてみました!」

晴子「焦がすなって言うたやろっ!」

観雪「ふ、ふぇーん」

往人(すげえ心配になってきた…)



テーブルの上に、料理が並んだ。

観雪は、晴子の隣の席に座る。ちょうど、俺の正面の席だ。

往人「うまそうだな」

観雪「えへへ」

心配していたほど、目玉焼きはひどいことにはなっていなかった。

…だがどういうわけか、上面は半熟っぽいのに底のほうは焦げついていた。

晴子「ほな、いただきまーっす」

観雪「いただきまーす」

往人「いただきます」

…もぐもぐ。

晴子「観雪、ちょいショーユ取って」

観雪「はい」

晴子「これは豚かつソースや。そっちそっち」

観雪「えっ、じゃあお新香にソースかけちゃった…」

往人「………」

ちょうどつかんでいたお新香から、さりげなく箸を離す。

晴子「お新香にソースって、あんた…」

観雪「うーん、新食感?」

晴子「責任持って、ソースかかっとるとこ処分しぃ」

観雪「で、でも、こういうチャレンジが新しい料理を生むと思うんだよっ」

晴子「はいはい。じゃあうちは古いまんまでええから、ソースかかってへんトコいただくからな」

観雪「う〜ん…」

…もぐもぐ。

飯を咀嚼しながら眺めていると、観雪がおずおずとソースがかかったお新香に箸をのばす。

そうして、ひょいっと口の中にいれた。

…途端に、顔が泣きそうに歪む。

晴子「新食感?」

観雪「う〜ん、酸っぱマズい〜…」

…もぐもぐ。

ふと、観雪が俺のことを見つめてきた。

目が合うと、にぱっと笑って話しかけてくる。

観雪「どうかな? ご飯どうかな?」

往人「ん? そうだな、うまいぞ」

観雪「…やった」

観雪「ね、どこらへんがおいしい?」

往人「うーん、そうだな…」

往人「まずは、この漬け物なんかがなかなか…」

晴子「それはコンビニで買うたヤツや」

往人「………」

往人「最近のコンビニはすごいな」

往人「…それじゃあ、この白いご飯がうまいぞ、うん」

晴子「炊飯器つこたら誰でもできるやろ」

往人「………」

晴子「まあでも、観雪の手にかかると、炊飯器でも焦がすけどなー」

往人「そら、すごいな…」

往人「…それじゃあこれだ。この肉じゃがなんて、玄人の腕前だと思うぞ」

晴子「それ、近所の河原崎さんからの貰いもんや」

往人「………」

往人「その河原崎さんとやらは、ただ者じゃないな」

往人「…な、なら、このみそ汁はどうだ」

ズズズ…。

往人「うん、この安らぎを覚えるようなゆったりした味わい。なんつうか、これぞお袋の味って言うのか?」

晴子「あんがとさん」

往人「へ?」

晴子「みそ汁、昨夜うちが作ったヤツの残りもんや」

往人「………」

往人「晴子、あんたもすっかり母親だな」

晴子「なに突然アホなこと言うとんのやっ」

往人「…それじゃ、この目玉焼きなんてどうだ? この半熟加減が…」

晴子「半熟やのうて生焼けやん」

白身の部分が微妙に透けている生焼けぐあいだ。

それでいて、底の辺りは焦げついている。どうやったらこんな風にできるのだろう?

往人「まあ、俺は生卵をかき混ぜて食うのも好きだぞ」

往人「………」

往人「…ちょっと待て、それじゃ、こいつの手料理はどれだっ?」

残っているのは、ソースかけお新香と納豆ぐらいのもんだぞ。

観雪「…納豆」

往人「へ?」

観雪「納豆。観雪の手作りなんだよ」

往人「………」

往人「…おい晴子、あんた料理ちゃんと教えてんのか?」

晴子「どーいうわけか、観雪は納豆作りだけはうまくてなぁ」

晴子「近所の人に喜ばれて作てるうちに、いつの間にかめちゃくちゃ上手くなってたんや」

晴子「まあ、うちは腐った豆なんて嫌いやから食わへんけどなー」

なっとなっとびよんびよん…とか言いながら納豆を掻き回していた観雪が、晴子の言葉に口をとがらせる。

観雪「納豆おいしいもん」

晴子「そんなん腐った豆やんかっ。ああもう、くさっ!」

観雪「ママの好きなお酒だってクサった米汁だもん」

晴子「な、なんやとーっ」

往人「おいおい…」

観雪「はい、ゆきとさん、納豆いかがですかー?」

晴子の気勢を削ごうと、観雪は納豆の入れ物を俺に示してくる。

往人「あ、ああ、もらうとするか」

ご飯茶わんを観雪に差し出すと、ドババ…と納豆がなだれ込んできた。

往人「んがっ」

観雪「いっぱい食べてね」

往人「あ、ああ…」

観雪「おかわりもあるからね」

大量の納豆の割に、残ってるご飯が少ないな…。

往人「そうだな。じゃちょっと、もらえるか?」

それでご飯茶わんを差し出すと、ドドド…とまた納豆がそそがれた。

往人「おいっ!」

観雪「ふぇ?」

往人「ご飯のおかわりじゃないのかっ!?」

観雪「納豆のおかわりじゃないの?」

往人「納豆のかよ…」

…もぎゅもぎゅ。

往人「納豆だな…」

観雪「うん、納豆」

往人「………」

観雪「…おいしい?」

往人「あ、ああ、なかなかだと思うぞ?」

観雪「おかわりする?」

往人「しない!」

観雪「う〜ん…」

顔をのぞかせていた藁入り納豆を、観雪はしぶしぶテーブルの下に戻した。

晴子「ほれ観雪、納豆もええけどコッチも食べや」

そう言って、晴子が肉じゃがやらなんやらを観雪のご飯の上にのせていく。

観雪「わーっ、そんないらないよ、食べられないよっ」

観雪「こんなに食べたら太っちゃう…」

晴子「女の子はちょっとくらいフックラしてるほうがええねん」

晴子はそう言いながら、指で観雪の頬をぷにぷにつつく。

…そういえば、晴子は観雪の力を知っているはずだ。

それなのに、ふたりは平然とスキンシップをしている。

晴子は、心を読まれてもかまわないと思えるほど、観雪を慈しんでいるのだろうか。

そして観雪も、そんな晴子を信頼しきっているのかもしれない。

見た目以上に、この親子は強い絆を持っているのだろう。

…十年という月日は、晴子をこうも変えたのだろうか。

体調が悪くなりはじめていた観鈴を置いて、旅行に出掛けた晴子。

俺の中では最低の母親という印象があった晴子も、いまでは立派な母親の顔をしていた。

だからなおさら、やるせない気持ちになる。

…どうして観鈴に、その優しさを与えてやれなかったんだよ。



   背景-神尾家居間-昼間

食事を終え、いつもの服に着替えてから居間に戻る。

茶をすすっていた晴子が、俺の人形を手に持ってしげしげと見つめていた。

往人「おい、返せよ」

晴子の手から、人形をもぎ取る。

晴子「そいつも洗っといたで」

往人「なっ、よけいなことを…」

洗われて縮んだのか、一回り小さくなっているような気がする。

晴子「汚れてるわ臭いわ壊れかけてるわ、人形も気の毒なもんやな」

観雪「洗ったついでに、取れそうなトコとか直しといたよー」

往人「………」

確かに、補修されて見た目はよくなっていた。

往人「とりあえず、ありがとうと言っとく…」

晴子「にしてもあんた、その人形どうしたんや?」

往人「どうしたってなにがだ?」

晴子「予備でも持ってたんか? それとも買いなおし…って、そんな呪いの人形みたいなん市販されてるわけないな」

往人「は? だからなに言ってんだよ?」

晴子「十年前、この家に忘れてったやろ、人形」

往人「へ? なに言ってんだ。この人形は、もう二十年も前から一緒に旅をしている相棒だぞ」

往人「予備やら替えなんかない、母親から受け継いだひとつきりの人形だ」

往人「だいいちもう一個持ってたら、昔あんたに人形をとられたとき、取り返そうとやっきになんかならなかったぞ」

晴子「ああ、そういやそんなんあったなー。あんたに、ナマケモノの人形を嫌がらせで押しつけて…」

晴子「………」

晴子「するってぇとなにか。あんたの持ってる人形は、この世にひとつっきりってわけか?」

往人「ああ。手作りらしいし、多分そうだろうな」

晴子「その二十年前から、この人形ひとつきりやて?」

往人「だからそう言ってるじゃないか」

晴子「…観雪、あの人形持ってきな」

観雪「はーい」



そして、観雪が持ってきた人形は、俺の持っているものと瓜二つの代物だった。

   BGMストップ

往人「…なんだこれは?」

晴子「あんたの忘れ物やと思ぅてたんやけどな」

往人「そんなわけあるか」

観雪から受け取って、その人形を観察してみる。

   WAVE-ミンミンゼミ

…気味悪いくらい、よく似ていた。

俺が持っていたものは洗濯で縮んでしまっていたので大きさは若干違っていたが、外見はほとんど同じ。

だいぶ昔に補修した部分まで、同じ位置にあった。

往人「気味悪いくらいそっくりだな…」

晴子「観鈴は、あんたが帰ってきてそれを置いていったっちゅうてたな」

往人「俺が…帰ってきたって…?」

晴子「観鈴はあんたが消えた後、ちょい記憶が混乱してな。そのせいかもしれんけど…」

晴子「うちは、あんたがこれを忘れてったと思うてたんや」

往人「………」

…どういうことなのだろう。

俺は、母親から受け継いだ人形をずっと持ち続けていた。

一時的になくしたり、とられたことはあったけれど、間違いなく二十年来の相棒だ。

…しかし、いま手の中にあるもうひとつの人形。

もし俺の人形と交換されても、すぐには気づかないほど、そっくりだった。

往人「観鈴が真似て作ったとか?」

晴子「まあ、あの子はそういうんは不器用やなかったからなぁ」

往人「…ん?」

その人形にふと違和感を覚えて、ふにふにと胴体をもんでみる。

往人「おい、なんか入ってるぞ?」

観雪「うん、お守り」

観雪「お人形もお守りで、その中にもお守り」

往人「なんだそりゃ…」

往人「…中、見ていいか?」

縫い目のあたりを、グッと左右に引っ張る。

観雪「わっ、だめだよ、中開けちゃ」

往人「どうして?」

観雪「お守りは、中を見るとバチがあたるんだよっ」

往人「誰が言ったんだそんなこと…」

   CD-18-此処

晴子「…中身は、白い羽根一枚と、カラスの羽根数枚や」

しみじみといった口調で、晴子が告げた。

晴子「白い羽根は、アヒルだか白鳥だか知らんけど、元から人形の中に入ってたそうや」

晴子「んで、カラスの羽根のほうは…」

   モノクロ-背景-左腕に子カラスをのせた観鈴

晴子「…観鈴が可愛がっとった子ガラスの羽根や」

往人「あの、小さいカラスか」

晴子「そら…って、観鈴が名づけとったなぁ」

晴子「同じ黒いんでも、そらのほうは最後まで観鈴の側にいてくれたんやで」

晴子「うちが橘のトコから家に帰ってきたら…」

往人「…タチバナってなんだ?」

晴子「観鈴の父方の家や。んで、そこから帰ってきたら…」

晴子「…寝込んでた観鈴を、まるで両方の翼で守るようにして、布団の上でバッタリと死んどった」

晴子「観鈴はそんなカラスを抱いて大泣きしてな。ごめんねそら、ごめんね往人さん…て」

晴子「…信じてたあんたに捨てられ、仲良かったそらを失って、そんでうちにも見捨てられたと思て…」

晴子「そんで子供を孕んでるってわかって、観鈴はちょっと…」

   背景-神尾家居間-昼間

晴子は、横にいる観雪をうかがうように見やった後、俺に向き直ってため息をついた。

晴子「記憶の混乱っちゅうか、多重人格っちゅうか…その…」

晴子「気がふれたっちゅうか…」

往人「………」

晴子「あ〜っ、なんやまたイライラしてきたなっ」

晴子「…あんた、一発殴ってええか?」

往人「ああ…」

と生返事をしたら、

バキっ。

観雪「わっ」

ほんとうに殴られた。

往人「いつつ、マジで殴りやがって…」

晴子「手加減して左手で殴ったんやからありがたく思い」

というか、右手首には包帯が巻かれていたから、左手で殴っただけだと思う。

観雪「け、ケンカはダメだよーっ」

俺と晴子の間に、観雪が割り込んできた。

晴子「だいじょぶや、約束どおり一発だけやからな」

晴子「それに、いまのはそいつの了承済みや」

観雪「でもボウリョクはダメっ。メッ」

晴子「はいはい。ほら、うちはもう全然怒ってへんやろー?」

なだめるように、晴子は観雪の頭をぐりぐり撫でる。

観雪「う〜ん…」

まあ、左手で殴られたのでそんなに痛くはなかったんだが…。

往人「…なあ、この人形、俺がもらっていいか?」

観雪「えっ…」

観雪の表情が固まった。ついで、寂しそうな顔つきになる。

観雪「それ、お母さんの形見だし…」

往人「形見なんて、いっぱいあるんじゃないのか?」

観雪「でも、そのお人形、お母さんが一番大切にしてたっていうから…」

往人「そう、か…」

一番大切にしてた…。

その言葉が、胸に痛いほど染みた。

   BGMストップ



   WAVE-あぶらゼミ

   背景-神尾家前-昼間


晴子「そんじゃ、うちはちょっと出掛けてくるさかいな」

スーツ姿になった晴子が、革靴をはきながら言った。

晴子「…ホンマなら昨日やったんやけど、この甲斐性なしのせいで予定がグチャグチャや」

往人「そら、悪かったな…」

晴子「観雪、この甲斐性なしがロクでもないことしでかそうとしたら、河原崎さんチに助けてもらい」

観雪「う〜ん…。とりあえず、わかったと言っておくね」

往人「んだよ、ロクでもないことって…」

晴子「そんじゃ観雪ぃ、行ってきますのチューや」

観雪「ママ、行ってらっしゃい」

晴子「行ってきます、や」

ちゅっちゅと、互いの頬にキスを交わすふたり。

そうやって、ちょっと気恥ずかしそうに…けれど楽しげに笑い合うふたりは、どこから見ても仲の良い親子だった。

晴子「今日は、ちといつもの散歩は無理そうやな。でも、晩ご飯までには帰ってくるから」

観雪「うん」

晴子は、ぽむっと観雪の頭に手を置く。

晴子「…ぜったい、帰ってくるから」

観雪「うん、ダイジョブ」

晴子「………」

晴子は穏やかな笑みで観雪を見つめた後、玄関から出ていった。

晴子「ほな行ってきまー!」

観雪「行ってらっしゃーいっ」

ぶんぶんと、身体全体を使って手を振る観雪。

往人「………」

往人「…なんだ、どっかやばいトコにでも出掛けたのか?」

観雪「ん?」

観雪「あっ、ママはね、観雪を置いて出掛けるときは、いつもあんな感じ」

観雪「…なんか、観鈴お母さんのこと思い出しちゃうみたいで、こわいみたい」

往人「そっ…か」

観雪「うん…」

往人「………」

観雪「………」

観雪「…ね、ゆきとさん」

往人「ん? なんだ?」

観雪「たくさんお話したいな」

往人「ああ、そうだな」

観雪「日本中を旅してまわってるって、ホント?」

往人「ああ、ほんとだぞ。北は北海道、南は九州まで…だけどな」

観雪「旅のお話とか、してほしいな」

往人「そうだな…」

   BGMストップ



   CD-22-回想録

   背景-神尾家居間-昼間


…観雪と語り合う、穏やかな時間。

どうして、こんなにも穏やかな気分になれるのだろう。

観雪の側にいると、不思議なくらい自然体でいられる。

これも、観雪の力とでもいうのだろうか。

往人(それとも、自分の娘に対して、男親ってヤツはこんな感情を抱くのかもしれないな…)

往人「…それでな、ほら、そこに高校があるじゃないか」

観雪「うん」

往人「その前にある堤防の上で、昼飯を食ってたんだ。そしたら…」



   モノクロ-背景-堤防-昼間

観鈴『こんにちはっ』

観鈴『でっかいおむすびですねっ』



   背景-神尾家居間-昼間

往人「…それが、観鈴だった」

観雪「そんなにでっかいおむすびだったの?」

往人「ああ、そりゃもう、とびきり大きかった。おまえの頭ぐらいのでかさだったかもな」

観雪「わー、それはでっかいねー」

往人「それでな…」



   背景-神尾家居間-夕方

…会話が絶えることはなかった。

長い年月を、互いに話をして埋めていく。

俺は旅の話。旅の途中で出会った笑い話や、酷い目にあった話。

観雪は、この町での話。友だちの話や、学校の話。そして、晴子の話。

たわいない話題も交えつつ、俺たちは会話を続けていく。

自分の娘…。

そんな観雪に、いったいどう接すればいいのか、わからなかった。

だから沈黙を恐れ、絶えることなく話し続ける。

…そうするうちに、だんだんと、気持ちが近づいてくるのがわかった。



   背景-夕焼け空2

観雪…。

自分の娘…。

胸をむずがゆくさせる感情…。

距離感が縮まってくるにつれ、観雪は観鈴のことを聞きたがった。

そんな観雪に話をしていくうちに、十年前の出来事が、不思議なほど鮮明に思い出されていく。

観鈴と出会い、そして一緒にいた、十日余りの出来事。

観鈴が側にいた日々を、あの夏の情景とともに鮮やかに思い出す。

たった十日余りの日々が、いまでも鮮烈に、記憶の中に刻まれていた。

長い旅路の中で思い出せるあいつの顔は、いつも、いまにも泣き出してしまいそうな無理な微笑みを浮かべていた。

それなのに、いま思い浮かべたあいつの顔は、こちらまでつられてしまいそうなほど柔らかな微笑み。

目の前に、観鈴と同じように微笑む少女。

…やっと、あの微笑みを取り戻すことができたような気がした。

   BGMストップ



   背景-夕焼け空2



   WAVE-コオロギ

   背景-神尾家台所-夜


観雪「はい、ゆきとさん、デザートのスイカ、いかがですかー?」

エプロン姿の観雪が、切ったスイカを皿に載せ、テーブルに置いた。

ちなみに、切り分けられたスイカは、どれも大きさがマチマチだった。

往人「ああ、いただくぞ」

観雪「ついでに、ママもどうぞ〜」

晴子「うちはついでかいっ」

観雪「にはは」

テーブルを三人で囲み、シャクシャクとスイカを食べる。

観雪「ゆきとさん、こっちの大きいよ」

往人「ああ、でもおまえ食えって。背ぇちっちゃいんだから、たくさん食っとけ」

晴子「…なんや、うちがおらん間に、ずいぶんと仲良うなったやんか」

そんな台詞を、拗ねた調子で言う。

往人「…妬いてんのか?」

晴子「そ、そんなわけあるかいっ」

晴子「うちと観雪は、あんたなんか割り込めんくらいにラブラブやねんで」

晴子「一緒にお風呂はいったり、髪洗いっこすんねん。なぁ〜、観雪ぃ?」

観雪「じゃあママ、今日はいっしょに洗いっこしよっか?」

晴子「うん、せやなー。髪の毛、こう、指立ててサクサク洗ったるで」

観雪「…ゆきとさんもいっしょにはいる?」

晴子「あかーんっ!」

観雪「にはは、冗談だよー」



   背景-神尾家居間-夜

晴子「んじゃ観雪、先に風呂場で待っててな」

観雪「はぁーい」

観雪はパジャマやらなんやらを手に持って、パタパタと風呂場のほうに向かった。

晴子「………」

腰を落ち着けていた俺を、晴子が黙ったまま見下ろす。

往人「…なんだよ?」

往人「あ、わかってるって、ここじゃ寝ねぇよ。ちゃんと納屋で寝る」

晴子「んー…」

晴子「今夜はやっぱ、ここで寝てもええで」

晴子「まだ治りかけやろ、納屋で寝て風邪ぶり返してもたまらんしな」

往人「そら、助かるが…」

なにやら、やけに物悲しい表情を浮かべていた。

台所へと歩いていったかと思うと、一升瓶とコップを持って戻ってきた。

晴子「これ、飲んどけ」

往人「別にいらねえって」

晴子「…しらふじゃ…これは聴けん」

そう言って、晴子はなにかを俺に差し出した。

…テープレコーダーってヤツだ。

   BGMストップ

晴子「観鈴が、あんたに残したメッセージや…」

往人「………」

晴子「観鈴は、身体自体はそれほど酷い状態やなかったのに、どういうわけか身体が動かせへんようになってな…」

晴子「検査しても正常やって言われるんやけど、あの子は痺れて動けないって言うてな」

晴子「最初は足だけやったのに、そのうち手も満足に動かせんようになって…」

晴子「…そんで、このテープレコーダーを使うて、メッセージを残したっちゅうわけや」

晴子「そのうちのひとつが、あんたに宛てたこのテープや」

晴子「あんた宛ての物なんて処分したかったんやけど、観鈴の声やからな。捨てるに捨てきれへんで…」

晴子「あんたがこの町にきて、もう四日やったか。その間、いろいろ考えて…」

晴子「…前ほど、あんたを憎みきれんことに気づいてしもうた」

晴子「あんたにも、それなりの理由があったんやないか…って」

晴子「ほんま、アマなったなぁ、うちも!」

晴子「…ま、こんな気に病むのもあさってまでやし。迷ってたんやけど、これ、聴かせたるわ」

往人「………」

テープレコーダーを受け取った自分の手が、微かに震えているのに気づいた。

晴子「ほな、うちら風呂はいってくるからな」

そう言い残し、晴子が居間から出ていった。

往人「………」

しばらくの間、ただ呆然とテープレコーダーを眺めていた。

そしてゆっくりと、再生のボタンを押してみる。

シュルル…という音を立て、動きはじめた。

   背景-夜空2

『チリチリチリ…』

   CD-26-羽根

…年月を感じさせる雑音をまじえて、観鈴の声が蘇った。

観鈴『えーと…』

観鈴『こんにちはっ』

観鈴『…あ、こんばんわ、かもしれないね』

観鈴『えーと、観鈴です。神尾観鈴』

観鈴『あ、そうだ。これは往人さん宛のメッセージなんで、恥ずかしいから往人さん以外の人は聴かないでください』

観鈴『………』

観鈴『う〜んと、なにから話そうかなぁ…』

観鈴『あ、このメッセージは、手紙とか書けなくなっちゃったから、テープで録音してます』

観鈴『…最近は、足だけじゃなくて手も痺れてうまく動かせなくなっちゃいました。にはは、ちょっと困っちゃうね…』

観鈴『身体のほうは、それなりに健康なんだけどね。赤ちゃんのために、できるかぎり体調は整えておこうとがんばってます』

観鈴『…あ、そだ、じゃあ、赤ちゃんのこと』

観鈴『えと、そのぉ…』

観鈴『…往人さんとの、赤ちゃんなんだよ?』

観鈴『にはは、嬉しいね』

観鈴『もう、お腹もはっきりと大きくなってきた。この中に、わたしと往人さんの赤ちゃんがいるんだね』

観鈴『名前は、もう決めてあるの』

観鈴『観鈴のミと、往人さんのユキをくっつけて、ミユキ』

観鈴『…観雪』

観鈴『先生に確認してもらう前から、この子が女の子だっていうのはわかってたんだ』

観鈴『…夢を見たの』

観鈴『あ、空の夢じゃなくて。…空の夢は…見ないようにしてます』

観鈴『空の夢を見続けてしまうと、わたしは死んでしまうみたいだから』

観鈴『赤ちゃんを生みたいから、夢を見るのは止めようと努力してます』

観鈴『…ごめんね、もうひとりのわたし』

観鈴『わたし、わがままだね…。往人さんとの赤ちゃん生みたいから、もうひとりのわたしのこと、忘れようとしてます』

観鈴『………』

観鈴『あれ、えと、なんだっけ?』

観鈴『あ、そうだ、観雪のこと』

観鈴『…えーとね、夢を見たの。幸せな夢…』

観鈴『お母さんと…あ、晴子お母さんと往人さんと、それとわたしそっくりの女の子が、仲良く笑ってる夢』

観鈴『それで、お母さんと往人さんの間にいる子が、いま、わたしのお腹の中の赤ちゃんだってわかったの』

観鈴『…すっごい、幸せな夢』

観鈴『でも、どうしてか、わたしはいないんだよね。にはは、ちょっと寂しいかも…』

観鈴『………』

観鈴『…すー…』

観鈴『………』

観鈴『あっ!』

観鈴『…わっ、いけない』

観鈴『ちょ、ちょっと疲れてウトウト…しちゃった』

観鈴『…えーと、ごめんなさい…。続きは、また明日』

観鈴『今日はもう疲れたので、一旦…休み…ます』

観鈴『………』

観鈴『明日も…わたしがわたしでいられますように…』

観鈴『………』

『…ぷつ…』

『…ちりちりちり…』

『………』

観鈴『…えーと』

観鈴『お久しぶりですっ』

観鈴『ずいぶんと、間が開いちゃいました』

観鈴『って言っても、テープじゃわからないか、にはは…』

観鈴『…外、桜が咲いてます』

観鈴『窓から、桜の花びらが風で揺らいでるのが見えるの』

観鈴『………』

観鈴『往人さんは、どこにいるのかな…』

観鈴『わたしが苦しんでいたときに戻ってきたのは、ホントに往人さんだったのかな…』

観鈴『往人さんの人形がベッドのうえにあったし、戻ってきたと思うんだけど…』

観鈴『…でも、往人さんであって往人さんじゃないような…変な感じ』

観鈴『それと、そら…』

観鈴『そらは、往人さんだったんだね』

観鈴『でも、そらがいるとき、往人さんもいたし…』

観鈴『うーん、よくわからなくなってきちゃった』

観鈴『…でも、往人さんが、お母さんと観雪と仲良くしてる夢を見るし』

観鈴『っていうことは、やっぱり、往人さんはいまもどこかにいて、いつかお母さんと観雪のところに戻ってくるのかも』

観鈴『観鈴ちんの夢は、よく当たるんだよ? これ、わたしの特技。…なんちて、にはは』

観鈴『そしていつか、戻ってきた往人さんは、このメッセージを聴いてくれるような気がするんだ…』

観鈴『………』

観鈴『…ねえ、往人さん?』

観鈴『往人さんが探していた人は、見つかった?』

観鈴『いまも、空にいるっていう女の子…』

観鈴『わたしが夢を見ていたあの女の子を、往人さんは助けてあげることができたのかな…』

観鈴『ごめんね…』

観鈴『わたしわがままだから、あの女の子のことを避けちゃった…』

観鈴『往人さんの手助けができればよかったんだけど…』

観鈴『…往人さん…』

観鈴『もう、往人さんと話をしてから、何ヶ月経っちゃったのかな』

観鈴『えーと、確か七月だったから…』

観鈴『…今日、何日だっけ…』

観鈴『………』

観鈴『往人さんと一緒にいたのが、もう、だいぶ昔みたいに感じるよ…』

観鈴『でも、往人さんと出会ってはじまったあの夏休み。わたし、いまでもはっきりと思い出せる』

観鈴『往人さんと会えたこと、お母さんと仲良くなれたこと』

観鈴『…そして、わたしのお腹の中で命が生まれたこと』

観鈴『あの夏が、わたしにとって一番の幸せだったのかな』

観鈴『にはは、なんちゃってね』

観鈴『…ねえ、往人さん』

観鈴『わたし、がんばってるよ…』

観鈴『往人さん…』

観鈴『ねぇ…往人…さん…』

   BGMストップ

   黒画面


………。

……。

…。



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