金 曜 日



   CD-21-ふたり

   背景-神尾家居間-昼間


観雪「…ゆきとさん、元気ないね」

観雪「からだの調子、まだ悪いのかな…?」

ぼんやりと、見るでもなしにテレビを眺めていたら、観雪に話しかけられた。

俺の顔をのぞきこむように問い掛けられたので、生返事でごまかすこともできない。

往人「…いや、元気だぞ」

往人「逆立ちして腕立て伏せだってできるぐらいだ」

観雪「わ、すごいな。やってみて」

往人「…後で気が向いたらな」

観雪「う〜ん…」

観雪は、俺の隣にちょこんと座り、テレビを見始めた。

しばらく大人しく眺めていたが、やがて飽きたらしく、両膝を抱えて身体を左右にゆらゆら揺する。

かまってほしいのだろうが、俺にはあいにく気力がなかった。

観雪「…お外に遊びにいこっか?」

観雪は、俺の顔をのぞき込みながら話し掛けてきた。

往人「外か…」

晴子「そら、ええな」

背後から、晴子の声。

掃除機を抱えて、ガチャガチャいわせながら晴子が入ってきた。

晴子「今日はうちが家事当番やからな。いまから、ここ掃除するで」

晴子「あんたみたいにでかい図体のが、トドみたいに居座っとったら邪魔やしな」

往人「トドかよ…」

観雪「いこうよ、ゆきとさん」



   背景-神尾家前-昼間

観雪「それじゃ、いってきまーっす」

晴子「あっ、ちょい待ち。ほれ観雪、帽子かぶってき」

観雪「はぁ〜いっ」

観雪は手渡された麦わら帽子をかぶりながら、パタパタと外に出ていった。

晴子「…甲斐性なし」

往人「なんだよ」

晴子「観雪に怪我でもさせたら、承知せえへんからな」

往人「わーってるって」

晴子「…ん」

晴子「ほな、いってらっさい」

往人「………」

往人「…い…」

往人「いってきます…」

晴子「ん」

…なんだか妙な気分だった。

人に、いってらっしゃいと見送られるっていうのは…。



   背景-橋-昼間

観雪「もうすぐ、夏祭りなんだよ」

往人「ほう」

観雪「一年に一回のお祭り」

往人「そら、楽しみだな」

観雪「うんっ。今度の日曜日なの」

往人「あさってじゃないか」

観雪「今年はね、ママがゆかたを新しくしてくれたんだよ」

観雪「ヒマワリのがらの、とってもかわいいの」

往人「へぇ…」

   背景-参道(飾り提灯)-昼間

観雪と一緒に、神社への道を歩いていく。

数日前、観鈴の墓参りにきたときには、こんなふうに飾り提灯はつけられていなかった。

…夏祭りが、近い。

そんな空気を感じてだろうか、観雪はうきうきとした様子で山道を登っていく。

この山道の向こうにある神社でおこなわれる、年一回の夏祭り。

観鈴が楽しみにしていたのを、ぼんやりと覚えていた。

…結局あいつは、夏祭りにいけたのだろうか…。

往人「ほら、ちびすけ。そんなはしゃぐと転ぶぞ」

観雪「ちびすけじゃないよぅ」

往人「んあ〜、はいはい。…観雪、だったな」

観雪「うんっ」

観雪と呼んでやったら、まるで子犬のように俺の周囲を小走りに駆ける。

さっきよりもはしゃいで、逆効果じゃないか…。

――ビタン。

と思ったら、案の定こけた。

観雪「うぐっ…」

往人「だ、大丈夫か、ちびすけ?」

観雪「ちびすけ…じゃないもぅん…」

半べそになりながら立ち上がろうとする観雪に、手を貸してやる。

往人「痛かったか?」

立たせてやったついでに、白いワンピースについた土を払ってやる。

観雪「…ありがと」

にぱっと笑ったかと思うと、俺の腕に引っついてきた。

往人「な、なんだよ…」

観雪「にはは」

往人「あんま引っつくな、暑いだろ」

観雪「ゆきとさん、てれてるてれてる」

   背景-神社(祭りの準備)-昼間

こないだ来たときとは、ずいぶんと様変わりしていた。

すでに、あちこちに屋台の用意がされている。

ここ数日は雨が降ることもないらしいし、もう準備をしていたのだろう。

ちらほらと、忙しそうに行き来している人の姿を見掛けた。

観雪「お祭りのじゅんびって、好きだなー」

俺の手を引っ張りながら、観雪はとてとて忙しなく歩く。

観雪「これからまた、あの楽しい夏祭りに参加できるって、ドキドキワクワク」

往人「そうだな。意外と、待ってるときのほうが楽しいこともあるな」

観雪「うん」

観雪「…でも、夏祭りは参加してもぜったいおもしろいよ」

観雪「今年はね、すっごい花火をあげるんだって」

観雪「ゆきとさん、お祭りいっしょに参加しよーねー」

往人「………」

…無理だ。

俺は、明日の夕方にここを旅立つと約束していた。

観雪「………」

観雪のまぶしいくらいの笑顔が、ふいにかげる。

観雪「…どうして?」

観雪と繋がっていた手が、するりと離れた。

…そうか、俺の感情を読んだのか。

観雪「…ゆきとさんと、ママと、観雪の三人で、いっしょに夏祭り…」

観雪「ぜったい楽しいのに…」

往人「明日、出立しなきゃいけないんだ」

観雪「あ、明日っ…? しゅったつって…ここから出ちゃうってこと?」

往人「ああ。明日の夕方、旅に戻るつもりだ」

観雪「そ、そんな…。だって…」

往人「…約束なんだ。晴子と」

往人「約束は…守らなくちゃいけないからな」

観雪「………」

観雪「…せっかく、会えたのに…」

観雪は瞳に涙を浮かべながら、うつむいてしまう。

…こんなとき、どうしてやればいいのだろう。

頭でも撫でてやればいいのだろうか。

…しかしそんなことをすれば、観雪に俺の感情が伝わってしまう。

いまの俺の心は、迷いに迷っていた。そんな感情を観雪に伝えても、困惑させるだけだろう。

観雪「…つぎはいつ会えるの?」

往人「………」

もう、この町には近寄らない。そう、晴子と約束していた。

観雪「ねぇゆきとさん…、つぎはいつ会えるのかな…?」

往人「………」

往人「…もう、この町にはこない」

観雪「そんなっ…!」

往人「約束したんだ」

観雪「ママとっ!?」

観雪「そんな、ひどいよママ…! どうしてそんなっ…」

往人「いや、晴子は悪くない」

往人「悪いのは、全部俺なんだ」

往人「俺は、晴子に憎まれて当然のことをしたんだから…」

観雪「だ、だってそんな…」

観雪「…やだよ」

観雪「やだよぅ…」

とうとう、声をあげて泣きはじめてしまった…。

往人「泣くなよ…」

観雪が泣いているのに、頭を撫でてやったり、抱きしめてやることができない自分。

観雪の正面に、俺はひざまづいた。

往人「泣くな、ちびすけ…」

そうして、泣きじゃくる観雪に手を伸ばしかけたが、やはりふれることはできなかった。

自分の娘が泣いているのに、慰めてやることもできないなんて。

…なんて情けないのだろう。

   背景-青空3

ふわり…。

身動きできない俺に、観雪が抱きついてきた。

往人「………」

観雪「…いっちゃやだよ、おとーさん…」

俺の悲しみが伝わったのか、観雪の泣き声が高くなった。

悲痛な声音で、むせび泣く。

…それでも、俺から離れようとしない。

いいのだろうか…。

こんな俺なんかが、抱きしめてもいいのだろうか。

…なによりも、プライドがそれを阻んでいた。

こんな小さな子供に、自分の情けないところを知られるのがこわかった。

…それでも。

それでも、抑えきれない想い。

自分の胸の中にいる少女を、ただ力強く抱きしめてやりたかった。

…情けなくてもいいじゃないか。

格好つけなくてもいいじゃないか。

大切だと思える相手に、弱いところを見せてもいいんじゃないのか。

…自分の胸の中で震える観雪を、俺はギュッと抱きしめた。

小さくて、柔らかくて、石鹸の匂いのする、観雪。

…自分の娘。

俺にもこんなものがあったのかと驚くくらい、暖かで優しい感情があふれだした。

往人「…ごめんな」

俺はそう囁いて、胸の中にいる観雪を包み込むように抱きしめた。

   BGMストップ



   背景-梢-昼間

ざぁっ…。

日差しで火照っていた身体を、木々を抜けた涼しい風が撫でていった。

   WAVE-くまゼミ

ここは、神社の裏にある墓地。

…観鈴が眠る場所。

俺と観雪は手を繋いだまま、ここまで一緒に歩いてきた。

墓地に近づくにつれ、俺の中にやるせない悲しみが広がっていく。

そんな悲しみが伝わったのだろう、観雪が俺の腕に両腕を絡めてピッタリとくっついてきた。

観雪「泣かないで、おとーさん…」

往人「…泣いてなんかいないさ。俺は、強いからな…」

観雪「だって、ものすごく悲しそうなんだもん」

往人「それだけ、観鈴のことが…」

好きだった。大切だった。

そして、そんな観鈴を救えなかったことが、身悶えするほど悔しかった。

観雪「………」

そんな俺を慰めるように、観雪の腕に力がはいった。

…観鈴が眠る墓の側にある草地で、俺たちは腰をおろす。

観鈴の墓を見つめながら、俺は隣に座る観雪に語った。

俺が抱いている印象を伝えるためにも、手を繋いだままで。

   BGMストップ

   CD-16-理

   背景-青空3


往人「…この空の向こうには、翼を持った少女がいる」

往人「それは、ずっと昔から」

往人「そして、今、この時も」

往人「同じ大気の中で、翼を広げて風を受け続けている」

往人「そこで少女は、同じ夢を見続けている」

往人「彼女はいつでもひとりきりで…」

往人「大人になれずに消えていく」

往人「そんな悲しい夢を、何度でも繰り返す…」

観雪「………」

観雪「…その女の子は、ずっと泣き続けているのかな」

往人「………」

観雪「観雪がずっと聴き続けてきた泣き声って…その女の子のなのかな」

往人「そうかもしれないな…」

往人「俺たちの遠い先祖が、空の少女の声を聴くことができたって、伝承の中に残っていた」

観雪「…じゃあその子は、もうずっと昔から、空の向こうで泣き続けているのかな」

観雪「それはとても、悲しいね…」

往人「………」

観雪の手から、自分の手を離す。

観雪は名残惜しげに手をうろうろさせたが、それを俺は拒んだ。

これから先は俺のイメージ抜きで、観雪自身に考えてほしかった。

   背景-青空2

往人「…俺はずっと、旅を続けてきた」

往人「空にいる少女を探す旅」

往人「俺の母さんも、母さんの母さんも、ずっとそうしてきた」

往人「そしてみんな、その子に出会った」

往人「とても悲しい思いをした…」

じわりと、目頭が熱くなる。

母の言葉が、不思議なほど鮮明に思い出されていく。

…そして、母の悲しみに満ちた瞳を。

俺にこの話をした時、母もまた、いまの俺と同じような気持ちだったのだろうか。

俺にとっての観鈴のように、心を交わした人を救えなかった後悔を、母も背負っていたのだろうか。

そして、自分の子供につらい目を味合わせたくないと思い、しかし同時に、宿命を引き継いでもらいたいと苦しんでいたのだろうか。

自分には彼女を救えなかったけれど、目の前にいるこの子なら…と。

往人「…海に行きたいって、その子は言ったんだ」

往人「でも、連れていってあげられなかった」

往人「やりたいことがたくさんあったのに」

往人「でもなにひとつ、してあげられなかった」

往人「夏はまだ、はじまったばかりなのに…」

往人「知っていたのに、俺はなにもできなかった」

往人「誰よりもその子の側にいたのに、救えなかった…」

観鈴…。

   背景-青空1

往人「女の子は、夢を見る」

往人「最初は、空の夢」

往人「夢はだんだん、昔へと遡っていく」

往人「その夢が、女の子を蝕んでいくんだ」

往人「最初は、だんだん身体が動かなくなる」

往人「それから、あるはずのない痛みを感じるようになる」

往人「そして…」

往人「女の子は、全てを忘れていく」

往人「いちばん大切な人のことさえ、思い出せなくなる」

往人「そして、最後の夢を見終わった朝…」

往人「女の子は、死んでしまう」

観鈴もまた、そうやって死んでしまったのだろうか。

あのテープの中で、夢を見ないように頑張っていると言っていたが…。

往人「二人の心が近づけば、二人とも病んでしまう」

往人「二人とも助からない」

往人「だから俺は、その子から…」

往人「…観鈴から、逃げ出した…」

   背景-梢-昼間

観雪「おとーさんはにげたんじゃないもん……」

意外にも、頑なな声音で観雪が言った。

観雪「お母さんは、おとーさんが自分を助けるために離れていったって言ってたもん」

それは、あのテープのことだろうか。

観雪「…空の女の子と、お母さんはつながっていたの?」

往人「そうだ」

往人「観鈴は、空の少女の記憶を、まるで自分のことのように夢で見ていたらしい」

往人「もうひとりのわたし…。そう、観鈴は言っていたな」

観雪「おとーさんのお母さんも、女の子に会ったんだよね?」

観雪「じゃあ、おとーさんのお母さんが出会った女の子が、観鈴お母さんに生まれ変わったりしたのかな?」

往人「うーん…」

往人「空の少女がまず最初にいて、その少女となにかしら繋がっている女の子たちが人として生まれているんじゃないかな」

観雪「そっか…」

観雪「それじゃ、観鈴お母さんのつぎに、空の女の子とつながりのある子が生まれているのかな」

往人「つぎ、とかそう言うのはわからないが…」

往人「おそらくいまもどこかで、空の少女の夢を見ている女の子がいるんだろうな…」

観雪「その子も、苦しんでいるのかな…」

観雪「観鈴お母さんや、空の女の子みたいに、ずっと苦しんでいるのかな…」

観雪は、自分の母が眠る墓をじっと見つめながら、言葉を続けた。

観雪「お母さんはね、空の女の子を助けたいって言ってたんだよ」

観雪「でも、空の女の子よりも、観雪を選んだから…」

観雪「自分のわがままで空の女の子を救えなかったって、こうかいしていたの」

往人「なにを馬鹿なこと…」

往人「観鈴に、空の少女を救う義務なんてないんだ」

往人「そんなのを、後悔する必要なんてないんだよ」

往人「あいつは馬鹿だ…。なんで、そんな他人のために苦しまないといけないんだよ」

観雪「だって…」

観雪「人が苦しんでいたら、たすけてあげなきゃって思うから」

往人「………」

観雪「それに、自分でしかその苦しみをわかってあげられないなら…」

観雪「自分でしかたすけてあげられないなら、なおさらだよ」

往人「だからって…」

観雪「じゃあ、おとーさんはどうしてずっと長い間、ひとりで旅をしてきたの?」

往人「それは…」

観雪「…その女の子を、助けるためでしょ?」

観雪「それと、お母さんは言ってた」

観雪「おとーさんも自分と同じ子をたすけたいってがんばってるから、なおさら自分もたすけてあげなきゃって…」

往人「………」

観雪「…観雪も、その子をたすけてあげたい」

観雪は、揺らぐことのない意志を感じさせる瞳で、俺を見上げる。

観雪「空で泣いている女の子と…」

観雪「そして、観鈴お母さんと同じように、夢を見て苦しんでいる女の子」

観雪「…たすけてあげたいな」

そして観雪は、微笑んだ。

観雪「あのね、空の女の子も、お母さんと同じく苦しんでる子も、きっと、とてもやさしい子だと思うんだ」

観雪「人のために苦しんでいるその子たちは、きっといい子だと思うから」

観雪「たすけてあげられたら…」

観雪「…うん。きっと、いい友だちになれると思うんだ」

そう言って、にはは、と声をあげて笑った。

観雪「その子たちと、会いたいな」

往人「………」

観雪「…会えないかな?」

往人「俺たちの血は、引かれ合う…」

往人「だから俺も、この町で観鈴と出会えた」

観雪「じゃあ、観雪も会えるかもしれないんだね」

往人「そうかもな…」

観雪「…どんな女の子なのかな」

観雪「お母さんと同じ、夢を見る女の子は、もう生まれてるのかな」

観雪「…いまも、苦しい思いをしているのかな」

往人「さあ、どうだろうな…」

観雪「観雪も旅をすれば、会えるかな」

   黒画面

その観雪の言葉に、俺は目をつぶる。

叫びだしたいくらいに、心が揺れた。

…その言葉を、俺はどれだけ待ち望んでいただろうか。

そして同時に、どれだけおそれていただろうか。

観雪がついてきてくれれば、空の少女を…。

観鈴と同じように夢を見て苦しんでいる女の子を、今度こそ救えるかもしれない。

…しかしそうなると、観雪にふつうの女の子としての生活を捨てさせることになってしまう。

そんな資格が、この俺にあるだろうか。

血が繋がっているだけの俺。

観鈴を見捨てた俺が…。

そんな俺に、なんの権利があるっていうんだ。

せめて…。

せめて幸せを奪うことなく、穏やかに暮らせることを願ってやれるだけじゃないのか。

   背景-梢-昼間

往人「無理だ」

観雪「…どうして?」

往人「おまえみたいなちびすけには、旅なんて無理だな」

観雪「そんなことないよ」

往人「そんなことある」

観雪「う〜ん…」

往人「そんな可愛くうなったってダメだ」

観雪「…いま、ちょうど夏休みだし」

往人「あのな…」

往人「んな簡単に見つけられるんなら、誰も苦労しないっての」

観雪「う〜ん…」

往人「おまえの…それになにより、観鈴の望みなんだろ」

往人「なら、俺が見つけだして、そいつを救ってやる」

往人「だからおまえはいつも通りに、ここでのほほんと暮らしてればいいんだ」

観雪「…じゃあ、指切りして」

観雪はちょっと頬をふくらませながら、小指を差し出してきた。

観雪「こないだみたく嘘ついてないか、信じさせてほしいな…」

往人「………」

   BGMストップ

往人「…さぁて、そろそろ帰るか?」

言いながら、俺は立ち上がった。

観雪「わっ、そんな、ごまかさないでよーっ」

そんな俺に、観雪が取りすがってきた。

   WAVE-くまゼミ

往人「あ〜、セミの声がうるせぇなぁ…」

往人「暑いし、腹も減ってきたし、こりゃまいった」

自分の迷いを、慌てて別の考えで掻き消す。

くだらないことを考えて現実逃避するのは、俺の得意技だった。

観雪「ず、ずるいよ、おとーさんっ」

俺の目論みどおり、観雪に迷いを読みとられずに済んだようだ。

往人「どっちがズルだ。ん?」

抱きついてきた観雪をひっぺがした後、そのおでこを人差し指でつつく。

往人「その力に頼らないって言ったのは、どこの誰だったかな?」

観雪「う、う〜ん…」

往人「それじゃ、帰ろうな」

観雪「わぁ、待ってよーっ」

   BGMストップ

   黒画面



   CD-03-伝承

   背景-夕焼け空2


…夕方。

   背景-武田商店-夕方

観雪と晴子が散歩に出掛けるというので、それに付き合わされた。

   波の音

   背景-堤防-夕方


晴子は俺がついてくるのを渋ったが、観雪に押し切られるようにして、俺は連れてこられてしまった。

   背景-堤防を正面から-夕方

夕方か夜に、こうやって海岸を散歩するのがふたりの日課らしい。

晴子「…やっぱ海はええなぁー」

海から来る潮風を全身で受けつつ、晴子が背筋を伸ばす。

晴子「こうやってゆったり眺めると…なんちゅうか、落ち着くわ」

晴子「うちの悩みなんて、ほんまちっぽけなもんやって思えてくる…、ってな」

晴子「こんな近くに海があるってのに、若い頃は全然見にも来ぃへんかったのになぁ」

晴子「…あ、いや、いまも若いねんで?」

晴子は俺に苦笑いを見せた後、先に砂浜に着いていた観雪を追って、階段をおりていった。

砂浜におりた晴子は、観雪に手を差し出す。

観雪は、それをあたりまえのように受け、ふたりは手を繋いだ。

潮風にあおられ、晴子の長い髪と観雪のポニーテールが、サラサラと流れた。

夕日を浴びながら、手を繋いで歩くふたりの姿は、どこからどう見ても親子のそれだった。

   背景-砂浜-夕方

俺も砂浜におりながら、そういえば、と思い出す。

数日前、風邪かなにかでぶっ倒れた俺は、こうやって散歩していたふたりに見つけられたのだろうか。

…そう思い至って、その無様な姿を思い浮かべ、居心地が悪くなった。

観雪「ゆきとさん行こうよっ。向こうにね、灯台があるんだよっ」

晴子「あそこから日没を眺めるんが、これまた格別なんや」

振り返ったふたりを追って、俺も砂浜を歩き出した。

夕焼けに彩られた砂浜を、楽しげな様子で歩いていく母子。

ふたりの足跡が砂に刻まれていく。

…と、一際大きな波がやってきた。

ふたりは慌てて、悲鳴をあげながら逃げる。

そうして波がひいていくと、ふたりしてきゃっきゃと笑っていた。

波で消された、ふたりの足跡。

しかしふたりは振り返ることなく、また波際を歩いて足跡を刻んでいった。

…どこででも見られるような、母子の光景。

それなのに、どうしてこんなにも胸を締めつけられるのだろう。

観雪「ゆきとさんっ」

ふと気づけば、観雪が俺に向かって手を差しのべていた。

観雪「早く行こうよっ。夕日がしずんじゃうよ」

往人「ああ、そうだな…」

胸をよぎった切ない感情を振り切り、そっと、観雪の手をつかんだ。

もう片方の手を繋いでいる晴子が、そんな俺たちの様子を見て、ちょっと寂しげな表情を浮かべた。

晴子「…んなっ」

往人「…どわっ」

突然、観雪が走り出した。俺と晴子の手をつかんだまま。

観雪「はやく行かなきゃっ」

観雪「さいきん、お日様しずむの見てなかったから!」

晴子「やれやれや」

俺と晴子は観雪に引っ張られるようにして、小走りに砂浜を駆けていく。

観雪「こうして、三人で歩いてると…」

観雪「ホントの家族みたいだね」

晴子「………」

往人「………」

ざっ、ざっ、ざっ…と、しばらく無言で砂浜を進んでいく。

晴子「…なにアホなこと言っとんねんっ」

ズビシっと音を立てて、晴子が空いた手で観雪をチョップした。

観雪「あイタっ」

晴子「こんな得体の知れん黒いのと夫婦なんて、辛抱たまらんわ」

往人「俺だって、四十過ぎのオバサンを妻帯なんて嫌すぎだ」

晴子「なんやてーっ!?」

往人「俺はまだ、二十代だぞっ」

…多分だけど。

晴子「う、うちかて、まだ三十代やっ」

往人「ほんとか?」

晴子「ま、まだ三十二やねん」

往人「それは絶対嘘だ」

晴子「…三十八や…」

往人「それも嘘っぽいな」

晴子「これはホンマやっ」

観雪「にはは、ふたりともケンカはメッ、だよ」

晴子「あんたが言い出したんやろがアホちんっ」
往人「おまえが言い出したんだろーがっ」

晴子とほぼ同時に、観雪にチョップをいれた。

観雪「はうぅ、マジ突っ込みだー…」

   背景-夕焼け空2

   背景-夕焼け空1

   背景-夜空2


観雪「こうやって、ずっと三人でいられればいいのにな…」

晴子「………」

往人「………」

   BGMストップ

   黒画面



   WAVE-コオロギ

   背景-神尾家居間-夜


観雪「はくしょんっ」

晴子と観雪は、今夜もまたふたりで風呂にはいり、仲良く髪を洗ったようだ。

扇風機の前に観雪を座らせ、その髪に風を当てながら、晴子が手で髪を梳いて乾かしてやっていた。

晴子「どしたー? そのなんやら、わざとらしいクシャミは?」

観雪「わ、わざとらしくなんかないよー」

晴子「なんや、ホンマに風邪でもひいたんか?」

観雪「う〜ん、そうかも…」

晴子「ありえるなぁ。どこぞのアホたれにでもうつされたのかもしれん」

往人「………」

晴子「念には念をいれて、いまのうちに風邪薬飲んどくか?」

観雪「苦いのヤぁ…」

晴子「ったく。そんなら、今日は早めに寝るんやで」

観雪「はぁーい」

扇風機の強風と晴子の愛でるような手が、観雪の長い髪を宙で泳がせる。

晴子「…髪は女の子の命やからな。大切にせなあかんで」

観雪「ママもだよ。ママの髪、ホントにキレイ」

晴子「お、生意気にもお世辞つかえるようになったんやなー、この子は」

観雪「お世辞なんかじゃないよう」

観雪「ママもまだ若いんだから、髪の毛大切にしなきゃね」

晴子「なんや、まだっちゅうんが気になるけど…。まぁ、ええか」

   BGMストップ

   黒画面




   CD-04-跳ね水

   背景-神尾家居間-夜


観雪「ねぇ、おとー…っとっとっと、ゆきとさん」

往人「…なんだ?」

てっきり、眠るために部屋に行ったとばかり思っていた観雪が、居間に戻ってきた。

観雪「お人形さんの動かし方、教えて」

往人「………」

観雪は、俺の人形そっくりの例のヤツを持ち出してきていた。

往人「なんだよ、今日は早く寝るんじゃなかったのか?」

俺は観雪から人形を受け取った。

観雪「うん、だから、寝る前にちょこっとだけ教えてほしいな」

往人「人形なんてもんは、簡単に動かせるだろ?」

俺は言いながら、人形の腕をつまんでワキワキと動かして見せた。

観雪「ちがうよっ、そうじゃなくって」

観雪「ほー術だよ。えと、法術…?」

往人「………」

往人「んだよ、なんでそんなもん教えてほしいんだ?」

観雪「う〜ん…、なんとなく?」

往人「なんとなくで教えられっか」

往人「だいいちな、そんな簡単に覚えられるわきゃないっつの」

観雪「じゃあ、一回だけでいいからっ」

往人「………」

観雪「一回だけでいいから。…ね?」

手の平を拝むように合わせ、俺にお願いしてくる。

…こいつ、甘えかたがうまいような気がする。

それとも、ただ俺が甘いだけなのだろうか。

ふぅ…とため息をついた。

往人「…一回で出来なかったら、あきらめろよ?」

観雪「うんっ」

一回教えたぐらいで、覚えられるわけがない。

俺だって、母親から毎日教わったのに、それでも一年近く必要だったんだ。

…そう、思っていた。



   背景-夜空2

今日は、涼しい風が吹いていた。

俺たちは窓際に座って、観雪が持ってきた人形を縁側に置く。

寝かせた人形の上に、俺は手のひらをかざした。

そうして、意識をてのひらに集中させる。

念じる。

往人(…ん?)

観雪「わっ」

むくりと、人形がひとりでに起きあがった。

往人(なんだ、気のせいか…? 変な感じがしたぞ…?)

違和感を覚えたが、人形は俺の思い通りに動かせた。

とことことこ…。

観雪の元に人形が歩み寄って、ぴょこんとお辞儀をした。

観雪「…やっぱり、すごいねー」

往人(おまえが持ってる力に比べりゃ、大したことないけどな…)

観雪「じゃ、教えて」

俺は観雪の小さな手を取って、倒れた人形の上にかざしてやる。

往人「人形に手をくっつけなくてもいいんだけどな」

往人「いまは、指先を当ててみろ」

俺の言葉に従って、観雪は右手の人差し指を人形の頭に当てた。

その観雪の指に、俺も人差し指を重ねた。

往人「動けって念じてみな」

観雪「ね、ねんじてって…?」

往人「動け動けって、心の中で思ってみるんだ」

観雪「うんっ」

観雪はキュッと目をつぶって、ぶつぶつと言いはじめた。

観雪「動けー、動けー、動けー…」

往人「口に出さなくてもいいっつーの…」

………。

……。

…。

   背景-月

案の定、人形はピクリとも動かなかった。

観雪「う〜ん、ダメだなー。観雪にはそんな力無いのかなー」

往人「かもな」

そう言って、重ねていた手を離そうとしたら、観雪がもう片方の手で抑えた。

観雪「まってっ」

往人「なんだ、一回きりって約束したろ?」

観雪「えっとね、このまま人形を動かしてみてほしいの」

往人「ああ…。でも、それで寝ろよ?」

観雪「うん」

観雪の手に自分の手を重ねたまま、人形を動かそうと念を込める。

これといって無理することなく、俺の意志を受けて人形が起きあがった。

そして、念じる。

動け…と。

とことこ…。

…とことこ…。

観雪「わかった!」

往人「へ?」

観雪「コツ、つかんだかもっ!」

往人(んな馬鹿な…)

観雪「嘘じゃないよ、ホントだもんっ」

あ…。

そうか、俺の感情を読みとっていたのか?

観雪「見ててね」

観雪は、バッと両手を振り上げたかと思うと、人形の頭に向けて振り下ろした。

観雪「動け〜、動け〜、動け〜…」

…さっきとやってることは大して変わらなかった。

往人「だから口に出さなくてもいいっつー…」

往人「…って、えっ!?」

   背景-神尾家居間-夜

見れば、観雪の手の下にある人形が、ピクピクと震えはじめた。

観雪「えいっ!」

…バキ。

ズドンっっ…!!

寝かせていた人形が、縁側の板を突き破って地面に叩きつけられた。

観雪「わ、わーっ!」

往人「そ、そんな馬鹿な…」

観雪「お、おとーさんおとーさんっ! ど、どうすればいいのっ!?」

見れば、縁側を突き抜けた人形が、地面にズブズブと埋もれていくのが見えた。

往人「おまえの力が下に働いてるんだ。そうだ、上に働かせてみろ」

観雪「う、上って…!?」

往人「上に跳ねさせろ。飛べって念じてみるんだ」

観雪「は、はね…? 飛ばす…?」

観雪「…と、飛んでっ!」

どむっ…。

   背景-月

物凄い音を立てて、人形が猛烈な勢いで飛び跳ねた。

飛び上がる際、壊した縁側の板に引っかかったのが、グルグルと回転しながら宙を昇っていく。

…尋常じゃない力だった。

あ、いや、俺の力も尋常じゃないんだろうが、観雪のそれは、俺をはるかに凌駕していた。

…っていうか、バネでも入ってるんじゃないか、アレ?

板に引っかかった際にどこかを破ったのか、切りもみして昇っていく人形から、中身の綿が飛び散りはじめた。

往人「あーあ…」

観雪「きゃーっ」

観雪が泣きそうな声をあげて、垂直に飛んでいく人形を見守る。

やがて飛びあがる勢いを失ったのか、ピタリと空中で止まった。

…後は落ちてくるだけだ。

そう思って一安心したのもつかの間、人形が弾けるように飛び散った。

どうやら引っかけどころが悪かったらしく、とうとう盛大に破れてしまったようだ。

観雪「はぅっ?」

   背景-神尾家居間-夜

ひゅるるるる…。

…ぽて。

情けない音を立てて、人形だった布きれと、その中に入っていた綿が落ちてきた。

観雪「う、うわーんっ!」

往人「…馬鹿、泣くな。女の子だろ」

観雪「意味不明だよぅ…」

往人「…ん?」

人形の中に入っていた綿の切れ端だろうか。

なにかが降ってきた。

   BGMストップ

   背景-月


…羽根だった。

晴子『…中身は、白い羽根一枚と、カラスの羽根数枚や』

真っ黒なのでハッキリとは見えなかったが、観鈴の側にいたあの子ガラスの羽根だろう。

   CD-19-月童

   背景・月を背に舞い落ちる白い羽根


ところが、その黒い羽根がまるで化学変化でも起こしたかのように、瞬く間に黒から白に変じた。

月を背に、空から舞い落ちてくる白い羽根。月明かりを受け、淡く輝いて見えた。

…背筋に寒気を覚えるほど、美しかった。

観雪「ふえーんっ、お母さんの大切な形見なのにぃーっ」

往人「観雪…」

地面にうずくまって泣いている観雪に、声をかけた。

往人「空、見てみろ…」

観雪「へ?」

観雪「…わっ!」

カラスの黒い羽根が、十年の歳月で脱色したっていうのか?

…いや、はじめに空を見上げたときは、確かに黒かったはずだ。

フワリと舞い降りてきた白い羽根に、手をのばした。

手の平に落ちた途端、まるで熱した石に水滴をたらしたかのように一瞬で消え散った。

…そして、突然にあふれだす悲しみ。

なんだ、これは…?

   背景-月

観雪「消えちゃった…」

やはり宙に手をのばしていた観雪が、自分の手の平を見つめて呟いた。

往人「…いまのは、なんだったんだ?」

観雪「お守りの人形の中にはいってた、羽根のお守り…」

往人「でもその羽根ってカラスの黒い羽根だろ?」

往人「いま舞い落ちてきた羽根、全部白かったじゃないか」

観雪「一枚だけはいってた天使さまの羽根が、カラスさんの羽根を白くさせちゃったのかな?」

往人「…天使の羽根?」

観雪「ママは、アヒルさんか白鳥さんの羽根だって言ってたけど…」

観雪「観雪は、あれは天使さまの羽根だったと思うの」

観雪「はじめて見たとき、あの真っ白な羽根が、生きてるみたいに光ってたの」

観雪「あれはきっと、天使さまの羽根だよ」

往人「………」

観雪「羽根のお守り、ぜんぶ消えちゃった…」

地面に落ちてきたはずなのに、一枚も見あたらなかった。

観雪「お人形もやぶれちゃったし…。もう、どうしよー…」

往人「…また綿詰めて縫えばいいじゃないか」

観雪「うん…」

往人「それとな、いまの力、あんま使うなよ?」

観雪「はーい…」

往人「……?」

ふと、視線を感じた。

   背景-神尾家居間-夜

いつからいたのか、縁側に晴子が立ち、俺たちのほうを見つめていた。

唇をギュッと閉じ、小刻みに肩を震わせている。

…その顔が青白く見えるのは、月明かりに照らされているだけではないようだった。

   BGMストップ

   黒画面



   WAVE-虫の鳴き声

   背景-夜空2



   CD-10-夜想

   背景-神尾家居間-夜


…夜が更けていく。

近所の家々が、だんだんと寝静まっていく気配を感じた。

それにつれて虫たちの鳴き声が大きくなり、夏の夜を埋めていく。

晴子「………」

観雪が部屋に戻った後、晴子はずっと、居間に座って酒を飲み続けていた。

飲むか?と誘われたとき、俺には断れなかった。

変に刺激すると、爆発させてしまうような危うさを、いまの晴子から感じ取っていた。

そのまま、互いになにも話すことなく、ただ黙々と酒を飲み続ける。

俺たちの間に言葉はなく、しだいに大きく感じられる虫の声が、押し寄せるように響いていた。

そんな時間が、どれだけ経ってからだろうか。

   虫の鳴き声だけストップ

晴子が、ボソリと呟いた。

晴子「観雪は、ふつうの子やない…」

その言葉にこめられた重さを、いまの俺は理解できた。

往人「ああ…」

往人「他の人間には聞こえない声を聴いたり、人の感情を読むことができるな」

晴子「そか、やっぱ観雪は、ぜんぶあんたに話してたか…」

晴子は疲れた表情で言いながら、俺のコップに酒を注いできた。

晴子「…なんや、それはやっぱ、あんたの血のせいなんか?」

往人「それもあるだろうが…」

往人「俺の血だけなら、あんな桁外れの力、持つことはなかっただろうな」

晴子「桁外れ…? あんたみたいなヤツでも、あの子のことそう思うんか?」

往人「ああ」

晴子「…もしかして、観鈴の…?」

往人「そうだと思う」

晴子「観鈴も、やっぱりふつうの子やなかったんかな…」

往人「………」

晴子「…空の少女がどうの、もうひとりのわたしがどうとか、記憶を夢で見るとか、繰り返す不幸がどうの…」

晴子「観鈴が伏せるようになってから、いろいろ言うてたんは…」

晴子「別に頭がおかしゅうなったわけでも、あんたに世迷い言ふきこまれたわけでもなかったんやな」

晴子「うち、てっきりあの子がおかしゅうなったと思て…真面目に受け取ってやれんかったわ…」

晴子「娘を信じてやれへんでなにが母親なもんか…。ほんま、片腹痛いわ」

往人「晴子…」

晴子が、涙を流さずに泣いているように思えて、俺は声をかけずにはいられなかった。

往人「…あんたは、ちゃんと母親をやれているよ」

往人「母親の顔を、あんたはしてる」

晴子「なんや…。まさかあんたに慰められるとは思ってなかったわ…」

ちょっとおかしそうに、しかし乾いた声で晴子は笑った。

そして、両手で自分の顔を覆った。

晴子「…観雪は、ふつうの子やない」

晴子「うち、ほんま言うと怖いんや…」

晴子「あっ、観雪が怖いんやないで」

晴子「…いつか、観雪の持っとる力が、なんかを引き寄せたりして、連れ去られてしまうんやないかって…」

晴子「観鈴は、空の少女がどうとかって言うとったやろ。それでな、なんや、おとぎ話を思い出したりしてな」

   背景-月

晴子「かぐや姫…。はは、そうや、かぐや姫や」

晴子「…あのかぐや姫よろしく、観雪も、本来いるべき場所に連れ戻されてしまうんやないかって…」

晴子「あんたが…」

晴子が、泣きそうな目で俺を見つめてきた。

晴子「あんたが、観雪を連れ去ってしまうんやないかって…」

晴子「うち、怖かったんや…」

往人「………」

晴子「…観鈴のときもそうやった」

晴子「観鈴には、実の父親がちゃんと生きとってな」

晴子「でも、観鈴が小さい頃にうちに押しつけてって…」

晴子「うちにとっちゃ、ええ迷惑やったんやけど。でも、ちっちゃな観鈴と暮らしてくうちに、少しずつ可愛く思えて…」

晴子「…けど、観鈴を好きになるんが怖てなー」

晴子「観鈴にはほんとうの父親がおって。んでそいつが、いつか連れ戻しに来ると思っとったから…」

晴子「…観鈴に情をうつすのが怖くて、ずっと気持ちを抑えて避けるようにしとったんや」

さわれば壊れてしまいそうな悲しい笑い声が、夜の空気に溶けていく。

晴子「うちはアホや」

晴子「…観鈴をホンマに失ったとき、ものすご後悔したわ」

晴子「空の少女? もうひとりのわたし? 繰り返す不幸…?」

晴子「なんやそれ。なんやねんな、それ…」

晴子「ようわけわからんうちに、観鈴を失ってもうた…」

晴子「…そんで…」

晴子「そんでいつか観雪も、そんなわけわからんもんに連れて行かれるんやないかって、うち怖ぁてな…」

   BGMストップ

   黒画面



   WAVE-コオロギ

   背景-神尾家居間-夜


晴子は、テーブルに顔を伏せ、微かな寝息を立てていた。

俺は、晴子の部屋から適当に毛布を持ってきて、掛けてやる。

…晴子の、細い肩。

往人「………」

俺は…。

俺は、こんな晴子から…。

慎ましやかに幸せを望み、誰よりも娘を慈しんでいる晴子から…。

なによりも大切にしている観雪を…。

   黒画面

   BGMストップ


…俺は、奪おうとしているのだろうか。

………。

……。

…。



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