水 曜 日



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   CD-22-回想録


…やすらぎ。

あまりにも優しくて甘やかで、涙が出そうになるほどだった。

俺は、こんなやすらぎを長い間求めていたんだ…。

こんな穏やかな気持ち。

…思い出せるのは、ふたつ。

幼い頃、母と一緒に旅をして、冬の寒さに耐えるように抱きしめ合って眠った日々。

あの優しいぬくもりは、いまでも思い出せる。

往人(母さん…)

ふいに、つきあげるような想いが身内を焦がす。

思えば俺の旅のはじまりは、母を探す旅だった。

…そうして、もうひとつ。

俺が思い出せるもうひとつのやすらぎは、観鈴。

観鈴と一緒にいるのが好きだと気づいた、あの夏の日。

見る者がつられて笑みを返してしまいそうな、晴れやかな微笑み。

そして、そんな観鈴を抱いた夜。一緒に眠った、あの暑い夜。

観鈴の汗ばんだ滑らかな肌を、いまでも忘れずにいた。

往人(観鈴…)

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   WAVE-ヒグラシ


…目を開いた。

涙で視界がにじんでいた。

ギュッとまぶたを閉じて、もう一度見開く。

木目。

…天井が目にうつった。

ぼんやりとした意識の中、とにかく身体を起こすことにする。

…しかし、動かない。

身体にまったく力が入らなかった。

…散らばっていた意識を掻き集め、現状を把握しようとつとめる。

往人(だりぃ…)

全身になにかがのしかかっていて、このまま押し潰されてしまうのでは、と思えるほどだるかった。

往人「ぐっ…」

声「…起きたか?」

俺のうめきに応じて、静かな声が聞こえてきた。

かろうじて動く目を向け、そこに見覚えのある姿を見つける。

   背景-神尾家居間-夕方

晴子「まったく…」

晴子がかったるそうな様子で、ひざで歩いてにじり寄ってきた。

晴子「死にそうな顔しくさりおって」

横になって動けない俺を見下ろして、悪態をつく。

晴子「人に迷惑掛けるのだけは一人前やな、このろくでなしは」

往人「…ぐ…ぬっ…」

言い返そうとしたが、舌も満足に動かせなかった。

大きく息を吐いて、天井を見上げる。

晴子「ほれ、薬やで」

晴子が、俺の顔をのぞき込むようにしながら言った。

往人「………」

いらない…という意味を込めて、かろうじて自由になる瞳を晴子から逸らす。

ああ、なにくだらない意地を張ってるんだ、俺は…。

…と、晴子とは逆の方向に観雪の寝顔を見つけた。

俺には毛布が掛けられていたのだが、そんな俺に抱きつくような感じで眠っていた。

晴子「観雪がつきっきりで看病したんやで。その子に感謝し」

晴子「それと、わざわざここまで出向いてくれた診療所の女先生にもな」

晴子「あーそうそう、後、あんたをここまで運ぶんを手つどうてくれた敬介にもなー」

往人(ケイスケって誰だよ…)

聞き覚えのない名前だった。

というか、観雪、聖、敬介とかいうヤツ、それに晴子。四人の人間に、助けてもらったのか。

…晴子の手が俺のあごをつかんできて、ぱかっと口を開かせられた。

そして、水差しのさきっぽを口の中に突っ込まれる。

晴子「空きっ腹に薬飲んだらあかん言うしな。牛乳飲んどき」

晴子の示す優しさに戸惑っていると、勘違いしたのか、俺の鼻をギュッとつまんできた。

そして、俺の口にドクドクと牛乳を注いでくる。

往人「……!?」

晴子「うりうり、意地張らんと飲まんかい」

往人(飲むっ、飲むから止めろ!)

鼻をつままれているので、呼吸ができない。

俺は必死の思いで、そそがれる牛乳を飲み込む。

優しいなんて勘違いもはなはだしい。こいつは、隙あらば俺を殺すつもりなんじゃないだろうか。

やっと飲み終えて一息ついたら、今度は錠剤らしきものを口に突っ込まれた。

再び注がれた牛乳とともに、死にそうになりながらもなんとか飲み込んだ。

晴子「観雪がせっかく助けたんやから、この子の前では死ぬんやないで」

晴子「うちらの知らんところで野垂れ死ぬんはいっこうにかまへんけどなー」

そう言って軽く笑った後、晴子は手を動かして、俺の額にあったなにかを取りあげた。

濡れタオルだった。

それを使って、晴子は俺の顔を拭う。

…ゴシ、ゴシ、ゴシ…。

往人「む…ぐ…ぬ…ぎ…」

往人(痛いって…)

顔の皮を削ぎ落とそうとでもするかのように、強く拭いてくる。

…しかし、おかげですっきりした。

枕元で、ジャブジャブという水音。

その後に、額に冷たくて心地いい感触。

晴子「はよ治して、とっととこの町から出てってや」

やんわりと言った後、晴子の気配が遠ざかっていった。

俺にしがみつくようにして眠る観雪に視線を送る。

観雪の疲れ切ったような顔を見やった後、まぶたを閉じた。

…眠りの中へと沈み込んでいく中、観雪の寝言が聞こえてきた。

観雪「お父さん…」

やすらぎが胸にあふれる。

…よく、眠れるような気がした。

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   CD-10-夜想


目を覚ますと、そこは真っ白な世界だった。

どうも、まだ夢の中らしい。

夢から覚めた夢…。

…夢の中の俺も、現実と同じように仰向けで横になっているようだ。

ふと、腹部になにかがのしかかっていることに気づいた。

ちらりと視線を向けると、そこに観雪が寝ていた。

起きたときに見たそのままに、俺の身体にすがりつくようにして眠っている。

観雪の頭が重くて少し苦しかったが、眠っているようなので好きにさせておく。

夢の中だからか、身体の調子がすこぶるいい。

自由に動く手で、寝入る観雪の頭を撫でてやった。

…愛おしい。

そんな感情が、抵抗なくわきあがる。

柔らかくてなめらかな長い髪を撫で、その手触りを楽しむ。

夢の中だというのに、現実と変わらない感触があった。

大きく息を吐いて、手足をグッと伸ばす。

うん、問題なく動かせる。

…夢の中なら、俺の自由になるのだろうか。

俺の願いを、かなえてくれるのだろうか。

そんな想いに応えるように、不思議な感覚がやってきた。

心を、柔らかな綿毛で撫であげられるような…そんな感覚。

   背景-青空2

…目の前に、ふいに青空が広がった。

目も覚めるような青と、雲の白。

そして、潮を含んだ風が、俺の身体を叩くように撫でていく。

視線を下ろす。

   背景-堤防-昼間

見慣れた堤防に、俺は腰を下ろしていた。

…隣に人の気配を感じた。

   背景-すぐ隣に、うつむいた観鈴

観鈴が、隣に座っていた。

往人「観鈴…」

声を震わせながら、隣の観鈴に手を差しのべる。

…しかし、俺の手は無情にも、観鈴にふれることはできなかった。

まるで幻影であるかのように、すり抜けてしまう。

いや、事実まぼろしなのだろう。

でも、あんまりに酷いじゃないか。夢の中でくらい、ふれさせてくれてもいいんじゃないのか。

往人「なあ観鈴…。どうして、そんな顔してるんだ?」

往人「もっと笑えよ。おまえ、いつも笑っていたじゃないか…」

ふと目を離せば泣き出していそうな、そんな顔つき。

往人「俺のせいか…?」

往人「…だよな、俺のせいだよな」

ふいに、俺の中でこみあげるものがあった。

往人「…ごめんな」

言った途端、胸から悲しみが噴きあがる。

…夢の中だからだろうか。

俺の感情で、まわりの空気が満たされていくのがわかった。

どこまでも沈んでいきそうな、深い悲しみ。

まわりの雰囲気が、どんよりと曇っていく。

観鈴『…往人さん』

観鈴の声が聞こえた。

観鈴『あやまられる覚えなんてないよ』

観鈴『それよりも…』

観鈴『…ありがとう』

そう言って、観鈴はふわりと立ち上がった。

   背景-両手を広げ風を受ける観鈴

潮風を全身で受けるように、両手をのばしていた。

気持ちよさそうな顔で、空と海をまっすぐに見つめる観鈴。

その長い髪が、服が、潮風に撫でられ荒々しく揺れていた。

往人「…礼を言われる覚えこそないぞ」

観鈴『往人さんのおかげで、鎖のいくつかを断ち切ることができた』

往人「鎖? なんのことだ…?」

バサっ…!

近くで、羽音。

黒い塊が飛んできて、観鈴の左腕に止まった。

   背景-左腕に子カラスをのせた観鈴

…そら。

そう名付け、観鈴が可愛がっていた子ガラスだ。

そのカラスが、冷たい瞳で俺のことを射抜く。

俺が観鈴を見捨てたあの日も、おまえは責めるような瞳で俺を見つめていたっけな。

観鈴『…つぎの子なら、すべてを断ち切ることができると思う』

往人「つぎの子って…?」

観鈴『往人さんが、わたしを守ってくれたおかげ』

往人「俺がいつ、おまえを守ってやれたっていうんだ?」

往人「俺はおまえを見捨てて…。でも結局、おまえを救う方法なんて見つからなくて…」

観鈴『そらは、往人さんだったから』

往人「空? なにを言ってるんだ、観鈴」

往人「夢の中だからって、いくらなんでも言うことに筋を通せよ」

そんな要求こそ、夢の中では無理というものかもしれないが…。

…バサっ!

   背景-青空2

観鈴の腕に止まっていた子ガラスが、空に舞った。

黒い羽根が数枚、散った。

観鈴『…そろそろ、行かなきゃ』

往人「観鈴…」

観鈴『ね、往人さん』

観鈴『…あの子は、どう?』

観鈴の問い。

とても明るく、優しく、そして甘やかな感情が伝わってきた。

往人「観雪のことか?」

俺はそう応えながら、胸からあふれでる優しい気持ちを抑えられなかった。

感情が視覚できそうなほど強く浮かびあがるこの中では、嘘をつくほうが気恥ずかしかった。

往人「…ああ、可愛いな」

往人「さすが、おまえの子供だ」

俺は、自然に微笑むことができていると思う。

観鈴『…違うよ』

観鈴『わたしと、往人さんの子供だよ』

その観鈴の言葉で、狂おしいほどの愛しさが胸のうちで爆発した。

悲しみに満ちていた世界が、愛しさと優しさで満たされていく。

光として視覚できてしまいそうな幸福感の中、観鈴が朗らかに微笑んだ。

   背景-すぐ隣に、ブイサインで微笑む観鈴

観鈴『観鈴アーンド往人さん』

…この白い世界が、閉じていくのがわかった。

にはは…という笑い声を残して、観鈴と、この世界が消えていく。

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………。

……。

…。



   WAVE-コオロギ

   背景-神尾家居間-夜


目を覚ますと、やはりそこは晴子の家だった。

…台所があったと記憶しているところから、料理でも作るような物音がしていた。

顔を動かすと、寝る前と同じ格好で、観雪が俺にしがみついていた。

寝入る観雪の頬が、涙で濡れているのに気づいた。

観雪「お母さん…」

観雪のその呟きに、ふと思い当たることがあった。

いままで俺が見ていた夢を、観雪も見ていたのではないだろうか。

あるいは、観雪が俺に、あの夢を見せてくれたのではないだろうか。

『人の心が読めたり、人に幻や自分の記憶を見せたり』

『果ては、死んだ人の声を聞いたり、魂を呼んで会話することまでできたそうだぞ』

観雪に教えた、法術の話。

…もしかしたら、さっきの夢は観雪のなにかしらの力なのではないだろうか。

『つぎの子なら、すべてを断ち切ることができると思う』

夢の中での観鈴の言葉が、俺の心を激しく揺さぶる。

つぎの子…。観鈴のつぎに、空の少女を夢で見る女の子のことだろうか。

俺なんかとは比べものにならないほどの素養を持った観雪になら、あるいはその子を…。

けれど、こんな小さな観雪に、あんな宿命を背負わせるのは酷だった。

観雪への期待と、抑えきれない愛情とが、俺の中で終わることなくせめぎ合っていた…。

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