WAVE-ヒグラシ

   背景-駅前-夕方


…ひそやかに夜の空気がすべり込んでくる気配を感じた。

歩を進めるたびに、暗くなっていくようだ。

往人(今回くらい、ちゃんと切符を買ってやるか)

ポケットの中に、大量の硬貨が入っている。歩く度にチャリチャリ音がしてうるさい。

往人「…ヘックシ!」

どうも、体調が悪い。喉に嫌な痛みがある。

二回も水をぶっかけられたせいだろうか。それとも、さっき食った弁当が、やはり傷んでいたのかも。

いやそもそも、昨日、クーラーがガンガンに効いた電車の中で居眠りしたのが悪かったのかもしれない。

往人(…まあ、馬鹿は風邪引かないって言うし、大丈夫だろ)

改めて、駅の切符売り場を見回す。

往人(たけぇ…)

たかが数駅で、ラーメンが食えてしまうとは何事か。

…いやまあ、その数駅がかなりの距離らしいというのはわかるのだが…。

結局、いちばん安い切符を買って、テキトーな駅でまた線路から逃げることに決めた。

切符をヒラヒラと振りながら、改札口へ向かう。

いわゆる、自動改札機というヤツだった。田舎町のくせに、生意気だ。

でも意外と、これのほうが人件費がかからず、経営者にとってはいいのかもしれない。

改札口のところにある控え室に、駅員がつまらなさそうな顔で番をしていた。

…てってってってってっ…。

往人「………」

後ろのほうから、誰かが走ってくるような足音が聞こえた。

往人(…まさかな)

少し気になったが、振り返らずに、そのまま自動改札をくぐる。

カシュ…と小気味いい音を立てて吐き出された切符を、無意味に格好つけて受け取る。

…と、そのときだった。

ドカッ!

往人「ぬおっ!?」

背後から、衝撃。なにかが突っ込んできた。

   黒画面

…ビターンっ。

それに抗いきれず、改札口を出た辺りでうつぶせに倒れた。

…ぴぽーんぴぽーんぴぽーんっ。

改札機が、耳障りな警告音を鳴り響かせる。

   BGMストップ

往人「………」

   CD-07-夏影

背中に、小さくて柔らかいモノが抱きついているのがわかる。

石鹸の優しい香りが、鼻をくすぐった。

駅員「お嬢ちゃん、ちゃんと切符買わにゃあかんよ?」

観雪「は、はいっ!」

俺は、仰向けになっていた身体を、グッと持ち上げる。

   背景-駅前-夕方

往人「あのなぁっ」

観雪「きゃっ」

俺の背中にしがみついていた観雪が、コテンと地面に転がる。

観雪「…わっ」

その拍子にまくれあがったワンピースのすそを、観雪は慌てて手で抑える。

往人「…白」

観雪「えっ!?」

往人「じゃなくて。おまえ、なぁっ…」

観雪「は、はいっ!」

観雪はペタンと地面に座ったまま、俺のことを見つめる。

俺は俺で、その場にあぐらをかいたまま、観雪を見つめ返す。

…駅の改札口で、なに座り込んでるんだ、俺たち。

往人「…なにか用か?」

つとめてぶっきらぼうに、問いかけた。

観雪「あっ…そのぅっ…」

往人「………」

観雪「いま別れたら…。もう会えないかなって思って…」

観雪は、つかんでいたワンピースのすそを、ギュッと握りしめる。

往人「…それで?」

観雪「そう思ったら、いてもたってもいられなくって…」

観雪「…それで、走ってきちゃいました」

往人「んで、この後はどうするつもりなんだ?」

俺はやれやれといった感じで、髪の毛をかきむしる。

観雪「…どう、しましょっか…」

観雪はそう言って、困ったような、照れくさいような表情を浮かべた。

後先考えずにまず行動…。

往人「ほんとに、観鈴そっくりだな…」

観雪「え?」

往人「なんでもない。…んで、どうするんだ?」

観雪「う〜ん…」

観雪は、小さな手を口元にやって、生意気にも思索に耽るような顔をする。

ふいに、パッと嬉しそうに顔をほころばせた。

観雪「海。見に行きませんか?」

往人「…なんでそうなる」

観雪「海、きれいですよ。海から来る風、いまならすずしいし」

往人「………」

観雪「うん、きっとすずしい」

いい考えだ、と信じて疑わない顔で、微笑んでいる。

往人「あのな。俺はもう、切符を買って、駅に入っているんだが…」

穴の空いた切符を、ヒラヒラと観雪に見せる。

観雪「…う〜ん」

往人「………」

観雪「そうだっ。切符代、立て替えますっ」

観雪「…だから、海…」

観雪「いっしょに、行きたいな…」



   背景-夕焼け空1

『浜辺にいこっ』

『は?』

『浜辺。そこ』

『どうして』

『遊びたいから』

『はぁ…?』



   背景-駅前-夕方

往人「………」

俺は両手で、自分の顔を撫であげる。

観雪「まだたくさん、お話ししたいな…」

そう言って、涙をためた瞳で訴えかけてくる。

………。

…しばらく迷った後、俺はおもむろに、観雪のおでこを指先ではじいた。

観雪「あイタっ」

往人「泣けば大人が言うこと聞くと思ってるなら大間違いだぞ」

観雪「そ、そんなこと…思ってないもぅん」

往人「ふ〜っ…」

俺は大げさにため息をついてみせる。

往人「…ま、どうせ暇だしな。少しぐらい、付き合ってやるよ」

観雪「ほんとですかっ!」

観雪が、パッと笑顔を咲かせる。

それを見て、観雪のおでこを人差し指でつつく。

往人「やっぱ嘘泣きか」

観雪「ちがっ…!」

観雪「…嬉し…から…」

ほうっと、とろけそうになる微笑みを、観雪は浮かべた。

そんな純粋な微笑みを見せられ、俺の胸が甘がゆく騒いだ。

往人「それじゃ、行くか…」

俺は立ち上がって、座り込んだままの観雪に手を差しのべた。

往人「おまえと話すのも、これが最後だろうからな」

観雪「………」

観雪はなにか言いたげな表情だったが、無言のまま、俺の手をつかんできた。

   BGMストップ

   黒画面




   波の音

   CD-03-伝承

   背景-堤防-夜


往人「もう暗くなっちまったけど大丈夫なのか?」

観雪「うん…、あっ、はい」

観雪は、大げさなくらいに頷いた。

…どうして子供っていうのは、こうも挙動が大きいのだろう。

往人「わざわざしゃちほこばった喋りかたしなくていいぞ」

観雪「シャチ…ホコ…?」

往人「緊張しなくてもいいってことだ。普段通りでいい」

観雪「はい…、あっ、うん」

ふたりして、堤防の端に腰かけ、海を眺める。

静かな海。そこから流れてくる風は、涼しかった。

…話したいことはたくさんあるはずなのに、言葉に出せない。

だから、世間話のようなくだらない話を持ちかける。

   波の音のみストップ

往人「…学校はどうだ?」

観雪「え?」

観雪「あー…うん。楽しい…です…よ」

観雪「でも、いま夏休み…」

往人「そうだったな。じゃ、宿題が大変だ」

観雪「うん、すごく大変。なんであんなに多いのかなー…」

往人「ギリギリになって焦るタイプか?」

観雪「そうかも…」

観雪「…いまね、友だちと協力して、自由課題やってるの」

往人「そっか。…友だち、たくさんいるか?」

観雪「うんっ。クラスのみんな、仲良しさんだよ」

観雪「観雪の友だち、昨日見たよね?」

観雪「あのふたりと、もうひとりいれて、観雪たち四人は大の仲良しさんなんだよ」

往人「親友か。そら、羨ましいな」

観雪「にはは」

取り立てて話す内容でもない、ありふれた会話。

でも、そんなありふれたもののひとつひとつが、胸に染みた。

こんな調子で、ポツポツと会話を交わす。

俺のこと、観雪のこと、そして晴子のこと。

…観鈴の話は、互いに避けていた。

ほんとうは話したいのに、キッカケがつかめないような感じだ。

   背景-夜空2

観雪「おとー…、さん…は、ふしぎな力、持ってるんだよね?」

お父さん…。

なんだろう。なんでこんなに、胸がざわつくんだ。

胸に、持て余してしまうくらいの愛情が溢れ出す。

隣に座るちっちゃな女の子が、かけがえのない存在に思えてくる。

無条件で優しくしてやりたくなるような…そんな、初めての感情。

往人「…ああ…」

観雪「お人形さんを動かす力?」

観雪は、そのつぶらな瞳で俺のことを見上げてくる。

往人「いや、人形だけじゃない。自分で持ち上げられるていどの大きさなら、なんでも動かせる」

観雪「…超能力? あの…本にのってた念動力ってやつなのかな」

往人「詳しいじゃないか。念動力ってのと同じかどうかは知らないが、俺は法術だと教わった」

観雪「ほー術…」

往人「魔法の法の字で、法術」

観雪「魔法の…法術」

往人「…まあ、そうだな。魔法みたいなもんだ」

往人「俺の家系に、代々伝わる能力なんだそうだ。でもまあ、そう大したもんじゃないけどな」

往人「昔は…もっともっと昔には、すごい力もあったらしい」

往人「人の心が読めたり、人に幻や自分の記憶を見せたり」

往人「手をかざすだけで病気を治したり、人の記憶を忘れさせたり」

往人「果ては、死んだ人の声を聞いたり、魂を呼んで会話することまでできたそうだぞ」

往人「…でもまあ、それも血が薄れるにつれ、力は失われていってしまった」

往人「いまや見ての通り、人形を動かすていどの力しかないんだからな」

往人「この力も、俺の代で終わ…り…、俺の…代…で…」

それで気づく。

   BGMストップ

隣にいる観雪に。

観雪は、顔をうつむけてじっと考えている様子だった。

月明かりに照らされた横顔は、どこまでも真剣な表情をしていた。

往人「おまえ…もしか、して…」

観雪は、深い悲しみをたたえた瞳で、空を見上げた。

   背景-月

   CD-19-月童


そこには、白い月。

観雪「声が聞こえるの…」

往人「声…?」

観雪「ずっとずっと小さい頃から…声が聞こえるの」

観雪「観雪だけしか聴けない声」

観雪「その子はね…女の子なんだけど。いつも、悲しそうに泣いているの」

観雪「そして、大切な人たちのために、いつもいのっているんだよ」

観雪「その子は、自分のほうが苦しいはずなのに、他の人たちのために泣いているの」

観雪「とってもやさしい子なの…」

観雪「観雪は、その子とお話ししたいのに。友だちになりたいのに、観雪の声は届かない」

観雪「だからいつも、その子が泣いているのを聞いているだけなの…」

観雪「どうしてあの子は、あんなに苦しまないといけないのかな…」

観雪「どうしてあの子ひとりが、悲しまないといけないのかな…」

往人「それ、は…」

観雪の言葉が、翼を持った少女のイメージを喚起させた。

往人「その子が…どこにいるか、わかるか」

観雪「…空」

観雪「なにもない、ただ風が吹き続ける、広い空…」

観雪「こわいくらいにすみ渡った空に泣き声だけがひびいて、そして空にとけていくの」

俺の頭の中に、あの空の少女のイメージが鮮烈に浮かびあがった。

空の遙か高みで、風を受け続ける少女。

…そしてその光景に、観雪が語ったイメージがぴたりと重なった。

俺が追っていた空の少女と、観雪が聴く空でひとりで泣く少女は、同じなのだろうか。

永遠にもひとしい長い時間、ひとりきりで空に囚わている少女。

長い時間をかけて風は、彼女にどれだけの仕打ちを与えるのだろうか。

なんということだろう…。

その空の少女には、感情があるというのだ。人と同じ感情が。

ただひとりきりで、泣き続けている。それも自分のためでなく、人のために。

ずっとずっと昔から…。

往人「…他には…あるか。不思議な力。おまえに…?」

観雪「うん。ほかにも…ある…けど…」

往人「どんな力だ?」

観雪「う〜ん…」

観雪は、困惑した顔つきになる。

幼い少女には、不釣り合いな表情。

観雪「…ひみつ」

往人「おいおい」

観雪「だって…。これ話したら、きらわれちゃう…」

観雪「ママはぜったいひとに話すなって…」

往人「大切な話だぞ? 俺が相談に乗れるかもしれない」

観雪「だって…。この力のせいで、ちっちゃい頃、友だちなくしちゃったんだもん…」

観雪「おとーさんもぜったい、観雪のこときらいになるもん…」

観雪は涙声で呟き、膝小僧を抱えた腕に顔を埋めた。

往人「晴子だって…おまえのママだって、知ってるんだろ? だったら…」

観雪「…ママだって、しばらく観雪のことこわがったんだもん…」

観雪と晴子の様子を、思い出す。

あんなに仲が良さそうだったのに、それでも、観雪の力を知って一時期怖がったというのか?

それは、どんな力なんだろう…。

往人「…わかった。聞かない」

観雪「うん…。ごめ…なさい…」

…なんにせよ、はっきりしたことがある。

観雪には、法術の素養がある。

導いてやれば、きっと、俺なんて比べものにならないくらいの力を手に入れられるかもしれない。

翼を持った少女は、物凄い力を持っていたという。ひとつの山を焦土に変えたなんて伝説も残っていた。

空の少女のことを、自分のことのように、夢の中で見続けていた観鈴。

そして、そんな少女を救おうと、長い年月探し求めていた法術使いの家系。

そのふたつが交じり、生み出された結晶が…観雪。

なにかが作用し、観雪には俺が及ばぬほどの力が潜在しているようだ。

この子なら…。

…この子なら、救えるかもしれない。

長い年月…忘却の中に消え行くほど続いてきた、悲しみの輪廻。

それを、終わらせることができるかもしれない。

俺にはできなかった宿命を、この観雪になら…。

観雪「おとーさん…?」

観雪が俺の目をのぞきこむようにして問いかけてくる。

それで、俺は我に返った。

往人(馬鹿、なにを考えてるんだ…!?)

こんな小さな子に、あんな辛い旅をさせられるか!

観鈴との別れのような…あんな悲しい思いを、経験するかもしれない。

それはぜったい、させたくない。

この小さな少女には…ずっと、この海辺の町で笑っていてほしい。

それに、観雪を連れていく資格など、俺にはない。

観雪「観雪は…どうすればいいのかなぁ…?」

往人「どうもしなくてもいい。おまえは、いまのままでいいんだ」

観雪「でも、それじゃあの子、かわいそう…。ずっと泣いているんだよ?」

旅の目標を…宿命を捨てようとしていた。

それを俺は、もう一度探し求めてみようと決断した。

往人「…じつはな、俺はその女の子を探しているんだ」

往人「俺がきっと、見つけ出してやる」

往人「だからおまえは安心しろ。おまえは、この町で待っていればいい」

そう言い切った俺の瞳を、観雪はのぞき込むように見つめてくる。

その視線から目を逸らしてしまいそうになるのを、ぐっと我慢する。

…俺は、どこかで悟っていた。

観鈴と別れてから、十年…。

俺ではもう、空の少女…あるいは、そんな少女の夢を見る女の子とは、出逢えないかもしれない。

そして探し出したとしても、俺なんかじゃ救えないだろう。

なにひとつとして、救い出す方法が見つからないのだから。

…また、あの悲しみを繰り返すだけだ。

しかし…そうなると…ここまで続いてきた宿命は、断ち消えるのだろうか。

俺の母も、その母の母も、さらにその母親も…。

ずっとずっと、翼を持った空の少女を探し、旅をしてきた。

そして、悲しい別れを繰り返してきた。

俺の母親…。

『今、わたしが話していることを、あなたは全て忘れてしまう』

『それも、わたしが受け継いだ「力」のひとつ』

『あなたが思い出さなければ、わたしたちの願いはそこで終わる』

『これはほんとうなら許されないこと』

『あたりまえの母親に憧れ続けた、わたしのわがまま』

『あなたには自分の意志で、道を決めてほしいから…』

二十年ものあいだ旅をしてきて、俺はすべてを思い出していた。

そして、いまならわかる。

母の苦しみを。俺への愛情を。

俺もまた、母と同じように、自分の子供に悲しい思いをさせたくはなかった。

でも同時に、この宿命を受け継いでもほしかった。

…どうすればいい?

どうすればいいんだ…。

考えても、答えなど一向に出やしない。

   BGMストップ



   波の音

   背景-堤防-夜


観雪「あの子に会いたいな」

往人「…そうだな」

往人「それじゃあ、見つけたら連れてきてやるよ」

往人「…だからおまえは、この町で待ってろ」

観雪「約束してくれる?」

俺の心を見透かそうとするかのように、大きな瞳でじっと見つめてくる。

往人「…ああ、約束する」

心の動揺を抑えながら、強く答える。

観雪「…じゃあ、指切りして」

観雪は右手の小指をぴょこんと差し出してきた。

往人「指切り? いまどきの子供もそんなことするのか?」

観雪「指切り…してほしいな」

往人「…ああ、わかったよ」

俺は渋々、その申し出に応じた。

交わる、ふたりの小指。

…すると、どうしたことか。

突然、観雪の顔が泣きっ面に歪んだ。

観雪「…嘘ついてる」

往人「なにを言って…」

観雪「…おとーさん、嘘ついてるもん」

そうして、グシグシと泣きはじめる。

あ〜っ…。

ど、どうすりゃいいんだ?

っていうかなぜ泣く? わけがわからない…。

ひとり泣きむせぶ観雪を前に、俺は途方に暮れた。

…そうして、思う。

もしも観雪が俺の宿命を受け継いでしまったら、やがてはひとりで旅をすることになるだろう。

ひとりぼっちになって、おろおろと泣き出す観雪。

悲しみに暮れて、その場にしゃがみ込む観雪の姿を思い浮かべてしまう。

…ダメだ。

やっぱり、この子にはつらい思いをさせたくはない。

俺がなんとかしないと…。

でも俺じゃあ、きっと無理だ…。

チクショウ、どうすりゃいいんだよ…。

…とりあえず、目の前で泣きむせぶ観雪をなんとかしないと。

俺はおずおずと手をのばし、観雪の頭を撫でる。

往人「馬鹿、泣くな。男の子だろ」

観雪「女の子だもぅん…」

往人「って、そうだった…」

あ〜…。

まったく情けないことに、ひとりの子供を慰めてやることもできない。

俺はワシワシと自分の頭髪を掻きむしりながら、なんとか言葉を探す。

往人「なあ、みゆ…」

観雪、と呼びかけようとして、ふと思いとどまる。

そんな風に呼びかける資格が、自分にはないように思えて。

…ふがいない自分を思いだし、情けないことに言葉に詰まってしまった。

往人「…なあ、ちびすけ」

なんとかそう声を絞り出して、もう一度観雪の頭に手を伸ばす。

観雪「ちびすけじゃないもん、観雪だもんっ!」

のばした手を、観雪にペイっとはね除けられてしまった。

往人「…のわっ」

あげく、観雪は両手で俺の胸をドンッと押しのけて、この場から駆け去ってしまった。

パタパタと走る観雪を追いかけようとして、俺は立ち上がる。

往人「ちょっ、待てって…!」

往人「って、あれっ!?」

立ち上がった途端、足元がふらついた。

しかも最悪なことに、堤防の端から足を踏み外す。

往人「…どっ…わああっ!!」

   黒画面

…どさっ!!

往人「…ぐふっ」

往人「あ〜…、げほっげほっ」

背中をしたたかに打ち付け、咳き込んだ。

   背景-夜空2

往人「………」

往人「星がキレイだ…」

往人「っていうかイテぇ。背中がすっげぇイテぇぞ…」

落ちた場所が砂浜だったからまだよかったものの…。

そう思って顔を横に向けたら、すぐ側に岩が転がっているのに気づいて冷や汗をかいた。

仰向けのまま、手足を伸ばす。

そうして、しばらく星空を見上げていた。

   BGMストップ

   CD-16-理


往人(俺は考えるのが苦手だ…)

この町に来て、二日。

普段とは比べものにならないくらい、考え事をしているような気がする。

夜空を見上げながら物思いにふけっていたら、ふいに寒気が襲ってきた。

往人「…へっぶし!」

…やばい、マジで風邪を引いたかもしれない。

辺りはもう、すっかり夜になってしまった。

今日中に町を出るつもりだったのだが、観雪の中に希望を見出し、その決心が揺らいでいた。

往人(ぬあ〜っ…)

胸にもやもやしたものが渦巻いている。苛立ちを紛らわせようと、頭髪を掻き回した。

往人(…とりあえず寝よう。考えるのは明日だ)

面倒なことを、後回しにする。

明日起きたら、もしかしていい考えが浮かんでいるかもしれない。

…昨日もそう思っていたような気がしないでもないが。

上半身を起こす。

すると突然、眩暈にとらわれた。

ついで、ズキズキときしむような頭痛がやってきた。

往人「ぐっ…」

頭痛に苦しみつつ、堤防に寄りかかりながら立ち上がった。

はぁ…と大きく吐いた息が、なんだかやけに熱い気がした。

往人(おいおい、マジでやばいぞコリャ…)

今夜はどこで寝ようか?

どこでもいい…ただ、早く横になりたい。

…堤防の向こうに、学校があったはずだ。観鈴が通っていた学校。

普段なら宿直の教師や警備員でもいるかもしれないが、いまは夏休みだ。

いつもより警戒していないはず…だと思う。

しかし、堤防を越えるにはかなりの距離を歩いて、沿え付けられた階段を登るしかない。

あんな遠くまで歩かねばならないのか…と思い、気力が萎えた。

夜の砂浜を見回す。

…少し離れた砂浜に、まるで打ち捨てられているような小舟を見つけた。

ちょっとした川や湖で遊ぶボートのような代物だ。

往人(…風よけにはなりそうだ。砂浜で寝るよかマシだろ…)

早く横になりたいので、その小舟の中で寝ることに決めた。

その小舟に向かって、バッグを引きずりながら歩いていく。

柔らかい砂地を一歩進むたびに、身体が重くなっていく…。

ぐらんぐらんと揺れる視界。

うるさいくらいだった波の音が、いつの間にか聞こえないことに気づいた。

代わりに「…はぁ…はぁ…」といった耳障りな物音が近くで響いていた。

…どうやら、それは自分の呼吸音らしい。

ずいぶん長い間放置されているのか、舟は中まで砂まみれになっていた。

俺がのぞき込むと、フナムシらしいのが数匹逃げ去った。

往人「………」

月明かりでも汚い様子がうかがえ少し躊躇したが、観念して舟の中に転がり込む。

人ひとり、なんとか寝そべることができるていどの大きさ。

引きずってきたバッグから、替えの衣類を取り出して身体に羽織る。掛布代わりにはなるだろう。

バッグに抱きつくような格好で身体をくの字に曲げ、寝る体勢に入る。

…いまの俺の姿を他人が見たら、どれだけ情けなくうつるだろうか。

そんな考えをめぐらした自分を笑った。他人の目を気にできるほど、余裕なんてない。

とにかく、あまり風の当たらないところで横になれた。それだけで充分だ…。

そう思った途端、どっと寒気が押し寄せてきた。いままで耐えてきた疲れが、せきを切ったように溢れ出した。

…身体がだるい…。

いや、なにより頭が痛い。割れるように痛い。

中から、なにか鋭利な物が生まれ出ようとしているかのようだ。

いっそ、ソレを頭の中から引きずり出せば、この頭痛も収まるだろうか?

…変に視界が狭く、それでいて、妙にチカチカと光る。

それが鬱陶しくて、目を閉じた。

   黒画面

…寒い。

ふいに、身体の芯からわきあがるように悪寒が駆けめぐった。

がたがたと震えながら、体温を逃がさないように自分の身体を両手で抱き、背を丸めた。

苦しい…。

往人(…なにかないか)

   背景-夜空2

うっすらと、はれぼったい感じのするまぶたを開く。

眼が異様に熱い。このまま、沸騰して溶けだしてしまいそうだ。

なにか…。

この寒さ、この頭痛、このだるさを、少しでもやわらげてくれるなにかを、求める。

…そんなもの、どこにもなかった。

   黒画面

再び、まぶたを固く閉じる。

往人(そうだ。俺はいつだって独りだ)

…唐突に、身を切るような孤独がせりあがってきた。

旅の途中で病に倒れることなど、一度や二度ではない。

誰も通りかかることのないへんぴな場所で倒れたときは、死さえも覚悟する。

そんな寂しい場所で病に倒れ、誰に見取られることなく死んでいくのは、とても哀れで俺らしかった。

…観鈴も、こんな寂しさを味わっていたのだろうか。

俺に見捨てられ、晴子が旅行に出掛けている間、ひとりきりで…。

往人(…喉が乾いた)

貼りつくくらいに、喉が乾いていた。

水…そんなもの、手元にない。

目の前には…この舟の外には、海。

塩辛い海水を飲めば、たとえ一時でも痛みを忘れることができるだろうか。

例えその後、いままで以上の乾きを覚えることになっても、一度の快楽に身を任せてみたい。

…しかし、外に出るのも億劫だった。

身体を起こそうにも力が入らず、舟から出れば潮風が震えるような寒さを押しつけてくるだろう。

往人「くっ…!」

頭痛がふいに、強さを増した。

ずくずくと血管が脈打つのを感じられ、それさえも痛みに変わる。

…一瞬でも痛みを逸らすために、寝返りをうった。

その際に、下のほうでチャリ…と金属音が聞こえた。

そうだ、金があった。

観雪の前で見せた人形芸。あの時、けっこうな額をまわりから貰えたんだった。

震える手をポケットに突っ込むと、硬貨の冷たい感触。

これさえあれば薬を買える。

飲み物だって買えるさ。

…よし、買いに行こう。

買いに行こう。

買いに行こう。買いに行こう。

買いに行こう。買いに行こう。買いに行こう。

買いに…。

…身体が動かない。

頭だけ…想像でだけ、外を歩く自分を見た。

ああ…。想像でだけなら、俺はどこにでも行くことができるんだな…。

   背景-青空1

それならいっそ、空の向こうに…。

翼の生えた少女が待っているだろう、あの大空の向こうに行ってみたい。

   背景-青空2

…いまなら、行けるさ。

ああ、きっと行ける。

   背景-青空3

ちょっと、眩暈がするけどな。

大丈夫。俺が本気になれば、空を走るように飛ぶことができるんだ。

   背景-雲間

…ほら。

観鈴を見つけた。

…ああ、そうか。

空の少女って、おまえだったのか?

いや、違うような気もするけど、まあ、いいや。

   背景-両手を広げ風を受ける観鈴

…なあ観鈴、どこに行っていたんだよ。

ずっと、おまえを探していたような気がする。

いや、ずっとおまえを避けていたのかな。

どっちだったっけ?

…まあ、いいか。

なあ、観鈴…。

ひとつだけ、俺のお願いをきいてくれないか。

…おまえを、思いきり抱きしめたい。

それと、そんな俺をおまえにも抱きしめてほしい。

そうやって抱き合えば、とても幸せになれるような気がするんだ。

なあ、観鈴…。

観鈴…。

   BGMストップ

   黒画面


………。

……。

…。



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