火 曜 日



   BGMストップ

   白画面


………。

…目覚めはまぶしい。

そして、動物臭かった。

   黒画面

声「あんた、堤防で倒れとって、死んでるかと思うてビックリしたわ…」

覗き込む顔のひとつがそう言った。

………。

…そうか、堤防で気絶するように寝ていた俺を、ここまで運んできてくれたのか。

しかし…動物臭い。

   CD-02-野道

声「ここの組合の人間で、かついでここまで運んできたんだが…大変だったで」

組合…。

農協組合…。

辺りは干し草が山のように積まれている。

大きなガレージの中のようだった。

そう遠くないところから、牛のモーモー言う声が聞こえる。

おばさん「気分はどうや」

往人「………」

往人「…腹減った」

おばさん「そうか。食欲あるんやったら安心やな」

そこから俺は組合の人たちに囲まれたまま、作りたての朝食を頂いた。

   白画面

おばさん「若いの、もうお出かけかい」

ガレージをくぐって、真夏日の陽光を浴びたところで背中から呼ぶ声がした。

おばさん「弁当作ったげるから、お昼の分も持ってきなさい」

往人「すまない、頼む」

おばさん「ちょい待っててな」

往人「………」

おばさん「ほい、お待たせ。缶ジュースも持ってきな」

往人「悪いな。世話になった」

おばさん「気をつけてな」

往人「ああ。ありがとう」

弁当を受け取り、その場を後にした。

   背景-武田商店-昼間

往人「さて…」

昼までの食料は確保した。

…これから、どうするか。

俺に、なにかできることはないだろうか。



   背景-商店街-昼間

…なんにせよ、なにか行動を起こすにも、金はあって困るモノではない。

そう自分に言い聞かせ、人形芸で金を稼ぐことにする。

…結局は、難題を先延ばしにしているだけのような気もするが…。

ポケットから人形を取りだし、道路に寝かせた。

往人「さあ、楽しい人形劇のはじま…!」

   BGMストップ

――バシャア!

背中からなにか…って、冷たっ…!

水っ!?

往人「なんだっ!?」

俺は目を剥くような勢いで後ろを振り返る。

…そこには、バケツを持った白衣の女が立っていた。

   CD-02-野道

女「やあ、久しいな」

見覚えのある女が、無感動な声音で言った。

…女の背後を見やると、そこに看板がある。

霧島診療所と書かれていた。

   霧島聖の立ちCGをモノクロで一瞬表示

…ぼんやりと記憶にあった。この診療所で医者をしている女だ。

というか。

往人「なにしやがるっ」

空のバケツを手にしている様子から、俺に対して水をぶちまけたのは明らかだ。

女医「打ち水だ」

往人「人に対して水を掛けるのかっ」

女医「あいにくと、私の眼には人の姿が見あたらないのだが…」

なにやら挑戦的な目で俺を見下ろしてくる。

女医「野良犬に噛まれたと思って気にするな…とはよく言ったものだが」

女医「…それで子を孕まされたら、たまったものではないな」

女は苛立たしげな様子で、足を踏み鳴らしていた。

…この女は、知っているのだ。俺と観鈴のことを。

女医「まったく、どの面下げてこの町に戻ってきたのやら…」

女医「さっさと、この町から出ていってほしいものだが?」

往人「…そういうわけにもいかねーんだよ」

俺は、絞り出すように告げた。

女医「ほう…」

女が、俺の顔をうかがうような眼差しで見つめてくる。

女医「それなりに、罪の意識はあるようだな」

往人「あんたは…観鈴のこと、どれぐらい知っているんだ?」

女医「………」

往人「俺は…」

往人「俺は、なにも知らなかったんだ」

往人「あいつが子供を宿し、産んでいたことも。あいつが死んでしまっていたことも…」

往人「観鈴のこと、晴子のこと、観雪のこと…」

往人「あんたの知っていることだけでいい。教えてくれないか…?」

女医「………」

女は長い間、俺の目を覗き込むように見つめてきた。

…そうして、ため息をもらす。

女医「わかった、教えてやろう」

往人「ほんとか? …すまん、助かる」

女医「勘違いされては困るな」

女医「真実を教えて、君が苦しむ様を見るのも悪くないと思っただけだ」

女はくるりと背を向け、診療所の中に入っていく。

女医「ほんとうなら、うちの敷居をまたがせたくはないのだが…」

女医「軒先で話す内容ではないしな。入りたまえ」

俺も、後に続いた。

   背景-診療所待合室-昼間

女医「あらかじめ言っておくが、君に出す茶などないからな」

往人「ああ、いらない」

女は気怠そうな様子を見せながら、青いソファに腰を下ろした。

女医「それと、ソファにも座るな。立ったままでいろ」

往人「ああ、わかった」

…十年前も、女医はこんな感じだったような気がする。

女医「…なにを笑っている?」

往人「いや、あんた、変わってないと思ってな」

女医「変わってない? ふうむ、この若さと美貌は、確かに十年前と変わりはしないな」

…いや、そうは言ってないが。

女医「ところで、さっきから気になっているのだが…」

女医「君は、私の名前を覚えているんだろうな?」

往人「………」

女医「…もしかして、覚えてないのか?」

往人「メスを振り回す悪徳女医だとは覚えている」

女医「………」

女は無言で、メスを取り出す。

両手で八本。昔よりも増えているような…。

往人「…メスを片時も離さない、凄腕の美人女医だと覚えているぞ」

女医「ふむ、よろしい」

女医「…ちなみにこれが、先日前田さんの盲腸を手術したメスだ」

そんなのは訊いてない。

女医「ちなみにこっちが、半月前に鈴本さんの…」

往人「いや、そんなのは訊いてないって」

女医「そうか…」

女は、なにか残念そうな様子でメスをしまった。

女医「それで…そうそう、名前だったな」

往人「………」

女医「私の名前を忘れたとは言わせんぞ」

往人「き、霧島…」

診療所の看板にそうあったのを思い出した。

往人「霧島ぁー…」

女医「…佳乃」

往人「そうだ、霧島佳乃だ!」

女医「馬鹿者、佳乃は妹の名前だ」

ハメやがったな。

往人「こう、喉まで出かかっているんだ。霧島…霧島ぁ…」

女医「霧島ポテトだ」

往人「…絶対違う」

女医「ちぇ、さすがにばれたか」

というか、それは日本人の名前じゃない。

女医「聖だ。霧島聖」

聖「…まったく、私は君のことを覚えていたというのに…。失礼極まるな」

往人「じゃあ、俺の名前は覚えているのか」

聖「国崎…」

聖「…くに…さき…」

聖「まあ、それはそれとして、だ」

往人「ごまかすなっ」

聖「いいじゃないか、下の名前くらい」

聖「忘れてたって、私は死にはしない。…君は死ぬかもしれないけれど」

往人「…自分の名前は思い出させようとしたくせに」

聖「わかったよ、君の名前は国崎ポテトだ。それで決定」

往人「やめろっ!」

聖「なんだよ、贅沢なヤツだな。ポテトという名前に不服でもあるのか?」

往人「おおありだ」

聖「そんなことを言って、日本全国のポテトさんに失礼だとは思わないのか」

日本にゃそんな名前のヤツ、いないっつーの。

…というか、世界中探してもいないような気もする。

聖「…ふぅ、いかんな…」

ふいに聖はうつむき、両手で自分の前髪を撫であげた。

聖「ジクジクいじめるつもりだったのに、君と話しているとどうも和んでしまうな」

充分いびられているような気もするが…。

聖「それで、なんの話だったかな」

聖「…そうだ、観鈴さんのことだったな」



   CD-18-此処

ソファに腰かけていた聖は、居住まいを正す。

話している間に和んでいた表情を引き締め、俺を厳しい目つきで見つめる。

聖「まず、最初に訊いておきたいことがある」

往人「なんだ」

聖「君はどうして…彼女を見捨てたんだ」

往人「………」

聖「…言い方を変えようか」

聖「君はどうして、彼女を置いて旅立ったんだ」

往人「…観鈴を、助けるためだ。あいつを救う方法を探すためだ」

往人「そして、自分が死なないため…だな」

聖「それが結果として、彼女を見捨てることになった…と?」

往人「そうかもしれない」

往人「…いや、そう思いたいだけなのかもしれない」

往人「結局俺は、逃げ出したのかもしれない」

往人「…しかしまさか、子供を宿していただなんて…」

聖「彼女を抱いておいて、よく言う…」

聖は苛立ちを隠せない様子で、自分の髪を掻きあげた。

聖「まったく…。避妊はしていたのか? 外に出せばいいってものじゃないんだぞ」

往人「………」

聖「まあ、いまさら言っても、せんのないことだが…」

聖「…それに…」

聖「観鈴さんは、嬉しそうだったからな。君が無理強いしたわけじゃないんだろう」

往人「観鈴が、嬉しそう…?」

聖「ああ、そうだ。大きくなったお腹を、さも愛おしそうに撫でていたな」

往人「そう…か…」

聖「観雪ちゃんは、観鈴さんが望んで産んだ子供だよ」

それを聞いて、俺は安堵のため息をもらす。

そんな俺を見やって、聖の表情が少し和んだように見えた。

聖「…もっとも、そのせいだろうか…」

聖「観鈴さんは自分の命よりも、観雪ちゃんを産むことを優先したようだな」

往人「どういう意味だ?」

聖「なにから、話すべきか…」

聖はそう言って、両手を組みながら眉間にシワを寄せる。

…女の細腕ひとつで、この診療所を切り盛りしているのだろう。

十年…。

この聖にも、色々な苦労があったに違いない。

眉を寄せて考える仕草が、悲しいくらいよく似合うようになっていた。

聖「…あらかじめ断っておくが、おそらく君が期待しているほど、私は詳しくないんだよ」

聖「なぜかと言うと、観鈴さんには、私以外の医者が付いていたんでね」

往人「あんた以外の医者が、この町にいたのか?」

聖「いや…。観鈴さんの父親がいてね。その父上が懇意にしている医者を呼び寄せたらしい」

往人「観鈴に父親がいたのか…?」

聖「ああ、血の繋がった、ちゃんとした親らしい」

聖「ところがその父上もいろいろあったらしく、死んだ奥さんの妹である神尾さんに、小さかった娘を…」

聖「…まあ、観鈴さんだな。観鈴さんを神尾さんに押しつけ、その父上は十年も放って置いたらしい」

聖「まったく…。まあでも、それなりの事情があったようだがね」

観鈴から、晴子が叔母であることは聞かされていた。

…しかし、観鈴に父親がいたとは、初耳だ。

聖「…そういうわけで、その知人のお医者さまとやらが観鈴さんに付いていたので、あまり詳しくはないんだよ」

往人「知っていることだけでいい。教えてくれ」

聖「…う、む…」

歯切れの悪い頷き。

   モノクロ-背景-ベッドに横たわり、目を閉じた観鈴

聖「…観鈴さんは、君が消えた八月の頃から、体調が悪かったんだが…」

聖「八月の中旬頃だったと思う。彼女が妊娠を知った時から、どうもおかしいことになった」

往人「…おかしい?」

聖「ああ、その、なんだ…。記憶の混乱…」

   モノクロ-背景-ベッドに横たわり、目を開いた観鈴

聖「いや。有り体に言って、気が触れたようになった」

往人「な…」

聖「ああでも、年中がそうじゃあ、ないんだよ」

聖「ふつうの観鈴さんの時もあれば、自分を六歳位と思っている観鈴さんや、自閉症気味の観鈴さんや…」

聖「いわゆるあれだ、多重人格というヤツに似ていた。似ていたであって、ソレとは断言できないのだが…」

聖「…それで、ふつうの観鈴さんとなら、ちゃんとした話はできるんだ」

   モノクロ-背景-ベッドに横たわり、顔を横に向け窓を見やる観鈴)

聖「それでそのふつうの観鈴さんから言わせると、そんな状態は過去の夢を見ないため…だそうだよ」

観鈴『往人さん、ほんとうは知ってるんだよね』

観鈴『わたしの夢が、わたしをこんな風にしてるって』

観鈴『夢を見るたびに、わたしはだんだん弱っていって』

観鈴『最後はきっと…』

観鈴『空にいる女の子と、同じになってしまうって』

往人『そんなわけあるか』

観鈴『にはは…怒られちゃった』

観鈴『でも…』

観鈴『夢を見ないなんて、できないから』

観鈴『わたしが思い出してあげなかったら、その子がかわいそうだから…』

観鈴『だからわたし、がんばる』

観鈴『往人さんも手伝ってほしいな』

往人「………」

   モノクロ-背景-ベッドに横たわり、目を開いた観鈴

聖「できる限り夢を見ないで、少しでも長生きして、君の赤ちゃんを産む…」

聖「そう言ってきかなかったんだよ、彼女は。強迫観念のように、彼女はその言葉を繰り返していた」

聖「そして観鈴さんは、それを実行した…」

聖「…知っているかい?」

聖「人間は、睡眠をとらなくても生きていけるんだよ」

聖「毎日動きっぱなしというのは無理だが、目を閉じてゆったりと安静にしているだけでも、睡眠に近い効果があるんだ」

聖「それに、近年の技術というヤツは、睡眠の際に夢を見ないようにすることもできる」

聖「…だがそれは、どうやっても、身体に少なからず負担を掛けていくことになる」

聖「日々弱っていく身体」

聖「そして観鈴さんは、出産予定日を迎えることなく…」

   背景-診療所待合室-昼間

往人「………」

聖「亡くなった観鈴さんのお腹から、観雪ちゃんを取り上げた…というわけだ」

聖「そういう状況だったので、観雪ちゃんは超未熟児で仮死状態だ」

聖「…娘を失い、その彼女がすべてを賭して産もうとした命も、消えようとしていた」

聖「そんな神尾さんの心情を君は想像できるか?」

往人「………」

聖「そして、なんとか観雪ちゃんは持ち直した…」

聖「…とまあ、私が知っているのはこれぐらいだな」

聖は口を閉じる。

………。

待合室に付けられたクーラーの音や、壁越しに聞こえてくる商店街のざわめきが、重苦しい空気を埋めていく。

…急に、視界が暗くなる。圧迫感を覚え、ここにいるのが苦しくなった。

   黒画面

ぎゅっと目を閉じる。

呼吸を整えようと、大きく息を吸って、吐いた。

聖「…私は、君を誤解していたのかな…」

聖「君は、彼女を利用するだけ利用して逃げ去ったと思っていたのだが…」

聖「…どうも、違うようだ」

………。

往人「…俺は、観鈴を置いて、ひとりで旅立った」

往人「しかし結局、なにひとつとして、あいつを救う方法は見つからなかった」

往人「見捨てたのと一緒だ…」

聖「………」

   背景-診療所待合室-昼間

往人「…なあ」

聖「うん?」

往人「もうひとつ、教えてほしいことがあるんだ…」

   BGMストップ



   背景-商店街-昼間

聖『…観鈴さんの墓か…』

   背景-橋-昼間

   WAVE-あぶらゼミ


聖『高台の神社は知っているだろ? あの神社の裏手にあるな』

聖『神尾という名字はこの辺りではあそこだけだし、墓石も新しいからすぐにわかるはずだ』

聖『…神尾さんは…ずいぶんと立派な墓を立てていたな…』

聖『観鈴さんを進学させるために、積み立てていたようだぞ』

聖『神尾さん自身も、ここに骨を埋めるつもりらしい…』

   背景-参道-昼間

聖『国崎君…』

聖『神尾さんは、確かに常の親と違って、観鈴さんを突き放していたように見えたが…』

聖『そのじつ、神尾さんは神尾さんなりに、観鈴さんのことを考えていたんだよ』

聖『例えば、観鈴さんが学校で癇癪を起こしたら、神尾さんは仕事中でもすぐに迎えに行った』

聖『そんなことができるように、仕事も選んでいたようだぞ』

   背景-神社-昼間

聖『…なあ、国崎君』

聖『見えるものだけが、すべてじゃないよ』

聖『君の知っていることだけが、すべてじゃあないんだ』

聖『神尾さんと、腹を割って話し合うといい』

聖『…君たちは、互いをひどく誤解しているようだぞ』

   背景-梢-昼間

木々の間から、海を見渡すことができる墓地。

往人「………」

…聖の言っていたように、観鈴の墓はすぐに見つかった。

   BGMストップ



神尾家之墓――



ずん…と、突然、なにかがのし掛かってきたように、身体が重く感じられた。

地震でも起きているかのように、足元がおぼつかない。

よろよろと、膝をつく。

観雪や、晴子、聖の口から、観鈴が死んだとは聞いていた。

…でもどこかで、信じ切れていなかった。

嘘だと思いたかった。

しかしいま…。

…目の前に、観鈴の墓。

この墓石の下に、観鈴が眠っている。

それを、実感させられた。

往人「観鈴…」

…観鈴は死んだ。

確かに、死んだんだ。

疑いようのない事実として、その悲しみが心を食い尽くしていく。

…と、その悲しみとともに、別の感情がわきあがってきた。

激しく、強い、その感情は…。

   黒画面

…怒り。

激情に身を任せて、その思いを言葉で吐き出す。

往人「どうして…」

   CD-14-双星

往人「…どうして、観鈴が死ななきゃいけないんだっ…!」

なんで観鈴なんだっ…!?

誰が決めた!

…翼を持った空の少女かっ!?

なんだそれはっ!

なんなんだよ、それは…!

そんな得体の知れないヤツに、観鈴を死なせる権利があるっていうのかっ!

ふざけんなっ…!

なにが空の少女だっ!

どうして観鈴を選んだんだっ!

…おまえのせいじゃないか。

おまえが観鈴を死なせたんじゃないかっ…!

苦しむなら勝手に苦しめ!

観鈴を連れて行くな…!

…観鈴を。

観鈴を、返してくれよっ…――!!

俺は泣いていた。

そのまま墓前にうずくまり、泣き続けた。

…観鈴。

観鈴…。

…なあ観鈴、笑ってくれよ。

おまえさえ笑っていてくれれば、もう、他にはなにもいらない。

…俺は…。

おまえのこと、ほんとうに好きだったんだな。

なのに俺は、結局おまえを助けてやることができなかった…。

たとえいま、苦しみから救いだしてやれる方法を見つけたとしても、おまえはいない。

足がすり減るまで探し歩いても、おまえとはもう、会えないんだな。

…失ってしまった。

なにもかも、失ってしまった…。

観鈴も、旅の目的も、理由も、目標も。

…なにもかも、だ。

後に残ったのは、意味のない宿命と、くだらない力だけだった。

そんなものが、いったいなんになるっていうんだ…。

………。

   背景-青空3

…もう、疲れた。

すべてを、終わりにしたい。

そう思った俺の脳裏に、観鈴の顔が浮かんだ。

ついで、晴子と、小さな観雪の顔が。

往人「………」

大切な人を失ったという悲しみ。

理由もわからないまま、奪われた怒り。

…観鈴が死んだとき、晴子もこんな思いを抱いたんだ。

だが晴子の場合は、その怒りの理由を俺に求めた。

すべてを、俺のせいにするしかなかったんだ。

…それに、それは事実だ。

俺は、なにもできなかった。

俺の宿命とは、観鈴を助けることじゃなかったのか?

…それなのに、観鈴と出会えた俺は、なにもしてやれなかった。

そして、観鈴を置いて旅してきたってのに、救ってやる方法を見つけられなかった。

観鈴はもう、いない…。

…ならばせめて。

晴子になにかを、してやりたかった。

少しでも、償ってやりたかった。

観鈴が好きだと言った晴子を。

そして、観鈴が愛したかった観雪を。

…ふたりに、せめて笑っていてほしかった。

   BGMストップ

   黒画面



   背景-梢-夕方

   WAVE-ヒグラシ


…日が傾いてきた。

座っていた地面から、ゆっくりと腰を持ちあげる。

観鈴が眠っている墓は、手入れが行き届いていた。雑草のひとつも、生えてはいない。

…花ぐらい、持ってきてやれればよかったんだけどな。

金もないし…だいいち、あいつが好きだった花なんて知らない。

…そうだ。

俺は、あいつのこと、なんにも知らないじゃないか。

…ああ、でも。

観鈴になら、ヒマワリが似合いそうな気がした。

向日葵。元気いっぱいに、微笑むような花。

往人「…そろそろ行くよ」

俺は、声を絞り出した。

往人「じゃあな、観鈴…」

くるりと背を向けた。

そうして歩きだそうとしたが、ふと、視界の隅に人の姿をとらえた。

…背広姿の男。

ヒマワリの花と、水桶を手に提げていた。

いつから、そこにいたのだろう。

男「こんにちは」

静かな微笑みを浮かべて、挨拶してきた。

   橘敬介の立ちCGをモノクロで一瞬表示

…どこかで、見たような覚えがあった。

往人「………」

往人「…こんにちは」

足を止めている俺のほうに、男が歩み寄ってきた。

地面に敷き詰められたじゃり石が、男の歩みとともに小さな音を立てる。

…そうして、だいたい五歩くらいの距離を置いて、男は立ち止まった。

男「墓参りですか?」

往人「そら、まあ…」

ふと、男が手に持っているヒマワリの花が気になった。

俺の視線に気づいたらしく、男は苦笑して見せた。

男「ヒマワリ。…変ですか?」

往人「いや、べつに…」

男「墓前に供える花、ヒマワリでも構いませんよね?」

男「仕事以外、うといものですから…」

男「…ヒマワリ」

男「娘が好きだった花らしいんですよ」

往人「大丈夫だと思うぞ」

男「…よかった」

男は、安心して微笑んだ。

男「娘が元気なうちに、いろいろしてやれればよかったんですけどね…」

男「後悔先に立たず、とは、よく言ったものです」

往人「………」

往人「それじゃ、俺は、そろそろ…」

男「はい」

男「引き留めて、すみませんでした」

往人「いや…」

俺は歩き出し、男の横を通り抜けた。

男「…ありがとうございました」

すれ違い様、男が呟いたその言葉が、妙に耳に残った。

   BGMストップ

   黒画面



   CD-21-ふたり

   背景-橋-夕方


………。

…ぐぅ〜。

往人「腹ぁ…減ったなあ…」

…人間は、どんなときにでも腹が減る。

往人「そいや、今朝もらった弁当があったんだっけか…」

背負っていたバッグから、弁当を取り出す。

…腹は減っていたが、食欲など欠片もなかった。

もそもそと、弁当に箸をのばす。

梅干しが入っていたが、時間が経っているせいか、少し痛んでいるような気がした。

構わず、腹の中にぶち込んでいく。

…腹が減れば飯を食い、眠くなれば横になる。

そんな自然な欲求が繰り返され、否応なく、人は日常の中に戻されるのだろうか。

   背景-商店街-夕方

…霧島診療所。

とくに意識することなく、診療所の前にあるひらけた場所に腰を下ろす。

そうして、いつもどおりに商売道具の人形を取り出していた。

…しかし、それを動かして芸をする気力もない。

ポテッと倒れた人形をそのままに、深くため息をもらす。

往人「どーすりゃいいんだ…」

ぼんやりと、商店街を行き来する人たちを見やる。

遊び帰りの子供たち、買い物をしている女たち、せわしなく歩いていく男たち。

彼らは戻るべき場所に帰り、家族というものの中で今日という日を終えるのだろうか。

…家族という温かさに、俺は子供の頃から憧れていた。

道行く人にとってあたりまえのような家族の団欒。

母が俺に人形と宿命を残して消えたとき、家族の温かさというものを自分が手にすることはないと、幼心に理解していた。

他人にはあたりまえのものでも、自分では手に入れることができないと知ったときの悲しみ…。

…夕暮れ時は、好きじゃない。

自分に帰るべき場所がないことを、思い知らされる。

…背後で、物音がした。

扉が開く音。

霧島診療所から、誰かが出てきたのだろう。

聖か、それとも患者か…。

――バシャア!

………。

一瞬で濡れネズミになる。髪の毛から、水がポタポタと滴り落ちた。

あのなあ、聖さんよ…。俺はいま、そんな気分じゃないんだ。

噛みつく気力もなく、のろのろと背後を振り返る。

   背景-夕焼け空2

往人「晴子…」

…そこに、バケツを持った晴子が立っていた。

晴子「まだおったんか、おのれは…」

眉をつりあげた晴子が、喘ぐように言った。

その右手首に、真っ白い包帯が巻かれていた。

晴子「はよこの町から出ていかんかいっ!」

往人「晴子…」

往人「…聖から、大体のことは聞いた」

晴子「まったく、あのセンセは…。うちにも、あんたのこと言うてきたわ」

晴子「…いまさら、あんたなんかとなに話せっちゅうんや」

往人「俺は結局、観鈴を救えなかった…」

晴子に対して膝をつき、頭を下げた。

往人「…謝らせてほしい」

晴子「………」

往人「せめて、償いをさせてくれないか」

往人「俺に、なにかできることはないか…?」

晴子「………」

晴子「…はっ」

晴子「あんたに、なにができるっていうんや」

晴子「もしもできるっちゅうんなら、観鈴を生き返らせてみんかい!」

晴子「いまここで、観鈴を返してっ…!」

往人「………」

晴子「この疫病神っ! 貧乏神の死神めっ!」

晴子「おのれなんかを一瞬でも信じて観鈴を任せたん、一生の不覚やったわ…!」

往人「………」

晴子「………」

晴子「…ふぅ」

晴子「あかんな、取り乱してしもた…」

晴子「ここは人通りも少なないしな。妙な噂立てられたら厄介や」

晴子「…うちはええ。やけど、このことで観雪が友だちからハブにされたら、可哀想や」

晴子は胸の前で腕を組み、なにやら寂しそうな表情をのぞかせた。

晴子「それにな…」

晴子「うちにもわかってるんよ。うちかて観鈴を苦しめてたっちゅうこと…」

晴子「…自分のことばかり考えて、あの子の母親やるの拒んどった」

晴子「死にそうに…気ぃ狂いそうになるほど後悔したわ」

晴子「…けど、あの子が死んだ理由をあんたに押しつけて、それを怒りにかえた」

晴子「怒りや憎しみは、すごい力になる。生きていく力になる」

晴子「あんたを恨むことで、うちはこうやってがんばってこれた」

晴子「…あんたは、いまさら償わんでもええ」

晴子「ただ、うちに憎まれたままでいてほしい…」

往人「晴子…」

晴子「そんで、いますぐこの町から出ていってほしい」

晴子「…な? お願いや…」

晴子は、包帯を巻いた右手を辛そうに動かしたかと思うと、財布を取り出した。

その財布からよれよれの紙幣を数枚抜き出し、俺に押しつけてきた。

晴子「貧乏やから、これしか出せへんけど…。旅費くらいにはなるやろ?」

晴子「それ使て、はよ、この町から出てって…」

往人「…受け取れない」

その俺の返事を待たず、胸元に押しつけた紙幣を晴子は手離した。

数枚の紙幣が俺の太股の辺りに舞い落ちる。

晴子「あんたがこの町におると、うちが不安になる。…観雪も不安になる」

晴子「九年…」

晴子「いままで頑張って築いてきた家族っちゅうもんが、あんたのせいで揺れているんや」

晴子「…うちの望みは、この町で、観雪と静かに暮らすこと」

晴子「あったかい家族…」

晴子「…うち、いまごっつ幸せやねんで?」

晴子「貧乏やけど、観雪とふたりして、がんばって暮らしてるねん」

晴子「…ほんとうの幸せ…」

晴子「それが、うちにとってのほんとうの幸せや」

晴子「…お願いやから、こんな小さな幸せに波風立てんといて」

晴子「もう二度と、この町には来んといて。そしてあの子に、近寄らんといて…」

口を開こうとした俺を制するように、晴子はくるりと背を向けた。

晴子「…それが、うちの望みや…」

晴子は言って、とぼとぼと歩み去っていく。

…夕日に照らされた、晴子の背中。

あんなにも、寂しげな女だっただろうか。

往人「………」

   背景-商店街-夕方

その場に両膝をついたまま、俺はなにも言えなかった。

なんの言葉も思い浮かばなかった。

晴子が置いていった紙幣を、のろのろと拾い集める。

こんな時でも、金を粗末にできない自分に怒りを覚えた。

衝動的に、拾った紙幣をグシャグシャと丸めた。

しかし投げ捨てることもできず、結局、のろのろとポケットの中に突っ込む。

…情けない。

こんな俺に、なにができるっていうんだ。

晴子の言うとおり、この町から出て行くしかないのか…。

   BGMストップ

往人「…ふぅ」

大きくため息をつきながら体重を後ろにあずけ、ドッカリと尻もちをついた。

そうして、地面を見回した。

人形を、どこかに放っておいたままだったのを思い出したからだ。

…見つけた。

道路の近くに、ポテッと倒れていた。

あのまま放って置いたら、そのうちバイクかなにかにひかれてしまいそうだ。

立ち上がって取りに…と思ったが、座ったまま硬直する。

   CD-22-回想録

   背景-夕焼け空2


倒れている人形を、小さな手が拾いあげた。

…夕日を背にした、ひとりの女の子。

長い髪が風になびいて、夕日を浴びてキラキラと輝いていた。

往人「…観雪」

観雪「………」

名前を呼んだ後、言葉が続かない。

…なにを言えばいいのだろう。

俺は…そして観雪も黙ったまま、互いにしばらく見つめ合っていた。

…やがて、観雪がおずおずと人形を差し出してきた。

俺はそれを受け取ろうと、手を伸ばす。

…しかし観雪は直接手渡してはくれず、俺の手が届く範囲にトン、と置いた。

そうして観雪は、一歩後ろに退いた。

俺は、その人形を拾いあげる。

往人「………」

観雪「………」

再び、ふたりの間に静寂が訪れた。

…言葉が出ない。

たくさん、伝えたいことがあったはずなのに。

いざ観雪を前にすると、なにひとつとして、言葉が口から出なかった。

もどかしい。焦りがつのっていく…。

…ふと、俺の手の中にある人形に気づいた。

『…往人さん、笑わせられるよ、子供たち』

『純粋に心から笑わせること、できるよ』

…ああ。そうだったな、観鈴…。

俺の望み。

この目の前の女の子に、笑っていてほしかった。

俺が好きだった観鈴のように、微笑んでいてほしかった。

…迷いは消えた。

俺は人形に念を込めつつ、地面に立たせた。

人形が頭を下げ、礼をしてみせる。

往人「さあ、楽しい人形劇のはじまりだぞ」

たったひとりの観客に向けて、俺は口上を述べた。

…人形は舞う。

まるで命を得たかのように。

それこそ、水を得た魚のように、元気よく動き回った。

俺は、頭が悪いから…。

こんな時になんて言えばいいのか、わからない。

だから、俺の想いの全てを込めて、人形を動かした。

   背景-夕焼け空1

…長い旅の間に身につけた技術を、すべて出そうと一生懸命になる。

静と動と。

喜怒哀楽と。

それらを、人形の全身で表現する。

そんな俺の人形芸を見て、商店街を行き来していた人たちが集まりだす。

十年前は見向きもされなかった俺の芸が、いま、ここに人垣を生み出していた。

鳴り止まない歓声。

そうして俺は、人垣の中にある観雪に視線を向けた。

   CD-26-羽根

観雪「にはは」

…笑っていた。

楽しそうに、声をあげて笑っていた。

…よかった。

観雪が、笑っていてくれる。

俺は、それだけで満足だった…。

…人形の一挙手一投足を、周りの人たちと一緒になって、食い入るように見つめている。

歓声がわきあがる。笑い声が弾ける。

『往人は誰にも笑ってほしくない?』

『わたしは笑ってほしいな。出会ったひとたち、みんな』

…それは、いつかどこかで聞いた、母の言葉。

俺の人形芸が、人々の顔に笑顔を呼び寄せていた。

   背景-商店街-夕方

…限界を感じた。そろそろ、終わりにしよう。

人形を長い間動かすのは、かなり疲れる。

一際鮮やかに、人形を宙に舞わせる。

その着地にピッタリと呼吸を合わせ、人形と俺は同時に、格好つけたフィニッシュを決めた。

…わきあがる歓声。鳴り止まない拍手。

エプロン姿のおばさんが、満面の笑みを浮かべて、俺に百円玉を手渡してきた。

それを見て、ひとり、またひとりと、人垣を作っていた人たちが競うようにチップをくれた。

質問をされることもあった。大体にして、その人形をどう動かしているか、というモノだ。

…そうするうちに、やがて人垣は崩れていった。

残されたのは、手の平いっぱいの硬貨と、熱狂が過ぎ去った後の寂しさと。

そして…。

観雪「………」

観雪は、胸に小さな拳を寄せて、上気した顔で俺を見あげていた。

そんな観雪に、俺は少しかがんで、目線を合わせた。

往人「…どうだった?」

観雪「うん、すてきだった!」

往人「そっか」

観雪が、俺に対して微笑みかけてくれた。

だから俺も、微笑みを返す。

…俺が求めていた幸せ。

なんて、簡単なことだったんだろう。

大切だと思える人が、側で笑いかけてくれる。

そんなにも簡単なことが、俺にとっての幸せだったんだな。

晴子『それが、うちにとってのほんとうの幸せや』

晴子の言葉が、痛いほど理解できた。

…行こう。

この町から、去ろう。

観雪「…あの、これ…」

観雪が、百円玉を取り出した。

それを受け取ろうと、俺は右手を差し出す。

…今度は、直接手渡してくれた。

俺の手の平に、観雪の小さな指が触れる。

小さくて、温かい指先だった。

…胸にこみあげるものがあった。

目頭が熱くなる。

なにか言わなくちゃいけない。

…でも、言葉が見つからない。

だから一言。

たった一言。

ありふれた言葉に、たくさんの想いを込めて、身体の奥から絞り出した。

往人「…ありがとう」

言って、観雪がくれた百円玉を、ギュッと力強く握りしめた。

観雪は、こぼれ落ちそうなくらいに瞳を見開いて、俺のことを見つめてきた。

そのキレイな瞳がまぶしくて、俺は背を向け、支度をはじめた。

観雪がくれた百円玉を、左のポケットに。

他の人たちがくれた硬貨を、右ポケットに。

相棒である人形を、後ろのポケットに。

置いておいたバッグを、ひょいっと背に担ぎあげた。

顔をあげると、診療所のドアの前に聖が立っているのに気づいた。

口元に小さな笑みをのせて、頷きかけてくる。

往人「いろいろ、世話になったな」

聖は軽く手を振って、診療所の中に戻っていった。

…そして俺は、振り返る。

そこに観雪は、まだ立っていた。

観雪「………」

往人「…それじゃ、ばいばいだ」

観雪に背を向け、駅に向かって歩きはじめた。

   背景-夕焼け空1

観雪「…あっ、あのっ…!」

後ろから、引きとめる声。

往人「…なんだ?」

ゆっくりと、振り返る。

観雪「もう、行っちゃうの? 別の町に行っちゃうの…?」

往人「ああ。そういう生活だからな」

往人「晴子にも…おまえのママにも、そう伝えておいてくれ」

観雪「………」

観雪は、うつむいた。

なにかを言いたそうにしていたが、言葉が見つからないようだった。

俺は少し迷った後、そんな観雪の頭に右手をのばした。

そうして、くしゃくしゃっと観雪の頭髪を撫で回した。

往人「…元気でな」

観雪が、泣きそうな瞳で俺を見あげる。

俺はそれに背を向け、歩きはじめた。

…今度こそ、足を止めない。

背中に視線を感じたが、俺はもう振り返らなかった。

   BGMストップ

   黒画面




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