月 曜 日



   CD-02-野道

   背景-商店街-昼間


…なにはともあれ、まずは腹ごしらえを第一の目標とする。

活動限界にいたる前に、なんとかして金を稼がねばならなかった。

…数年前と、大して変わらない町並み。

それでも、路線が復活したせいか、俺の記憶にあるよりも活気づいて見えないでもない。

適当にひらけた場所で腰をおろし、俺は得意の人形芸をはじめる。



爺さんとその孫らしい男の子が、俺の人形芸を目にして足を止めた。

…しめしめ、最高の組み合わせだ。

孫はここぞとばかりに爺さんに甘え、爺さんはここぞとばかりに孫を甘やかす。

爺さんは孫にいい顔を見せようと、俺への見物料を奮発してくれるのだ。



爺さんとその孫、さらに後からきた女の子二人組が、人形芸を食い入るように見つめている。

よし、いい手応えだ。

俺は気合いを入れて、フィニッシュを決める。

人形がぐぐっと腰をかがめる。

…直後、宙高く飛び跳ねた。

声「おおっ…!」

宙でぐるぐると回転する。

スーパームーンサルトだ。

…そして華麗に着地して、おどけた仕草で礼をして見せた。

声「おおお〜っ!」

四人の観客たちから、拍手喝采。

オマケで、礼をした格好でバランスを崩させ、転ばせてみせる。

頭をかきながら立ち上がる人形。わきあがる笑い声。

…この町で大道芸人としてのプライドをズタズタにされた記憶があったが、いまの俺は昔とは違うのだ。

ふふふ、今日の夕食はラーメンセットか? しかもご飯を大盛りチャーハンにすることができるかもっ…。

男の子「じーちゃん、この人形、ほしいっ!」

往人「…へ?」

爺さん「よっしゃよっしゃ、このじーちゃんに任しとけっ!」

ドンッと自らの胸を叩き、その後にゲホゲホ咳き込む爺さん。

爺さん「ぎょ、行商の人。このハイテックな人形を、ひとつ売ってもらえるかね?」

往人「え、いや、な、なに…? これは別に、電池とかで動いてるわけじゃないぞ」

男の子「コードもないし、もしかして、いま流行りのソーラーパワーってヤツ? すげーエコロジーじゃん!」

往人「え、エロじじい…?」

爺さん「行商の人、これで譲ってはもらえんかのう」

爺さんは懐から財布を取りだす。

そしてゴソっ…と、札束を抜き取った。

往人「なっ…!」

い、一万円札が数十枚もある。…こんな額、初めて見たかもしれない。

というか、万札を拝んだのは何ヶ月ぶりだろうか。

往人「いちま〜い、にま〜い、さんま〜…」

…ハッと我に返る。

差し出された札束を思わず受け取り、金勘定している自分に気づいた。

往人「だ、ダメだっ!」

俺は慌てて、札束を突き返す。

往人「この人形は俺の相棒で、もう二十年も苦楽を共にしてきたんだ」

往人「だいいち、この人形をあんたらが手にしたところで、ピクリとも動きやしないぞ」

往人「この人形はな、俺の法術…わかりやすく言うなら、魔法で動かしているんだ」

爺さん「………」
男の子「………」

往人「どうだ、すごいだろう。俺はこれを芸にして、日本全土を旅しているんだぞ」

爺さんとその孫が、顔を見合わせる。

男の子「じーちゃん、コイツ、やばいよ」

爺さん「まったくじゃ、危うく騙されるところだったわい」

往人「な、なにぃっ!?」

爺さん「こうやって詐欺をして、日本中を逃げ回ってるのかもしれんな」

男の子「いま話題のマルチしょーほーってヤツかもしれないよ!」

爺さん「うむ、『はわわー、すみませ〜ん』というヤツじゃな」

往人「ちょ、ちょっと待て!」

爺さん「ふんっ。警察に届けないだけ、ありがたく思うのじゃぞ」

爺さんと孫は、二人して歩み去っていく。

男の子「ばいばいぶー」

爺さん「逝ってヨシ、じゃ」

爺さんとその孫は、二人して文句を言いながら立ち去っていった。

…ひゅるるるるるるるる…。

ラーメンセットどころか、一銭にもなりゃしなかった。

…いや待てよ!

   背景-青空2

きゅぴーん!と、音がでるほどの目つきで空を仰ぐ。

どっかで安い人形を手に入れ、それを街頭で派手に動かし、観客に高く売り飛ばすというのはどうだっ!?

それを日本中で繰り返せば、あっという間に大金持ちだ。

往人「ウッハウハ…」

俺はそれを想像し、しばらく至福の時を過ごす。

…しかし、思いとどまった。

い、いか〜んっ! それでは詐欺師だ。立派な犯罪者である。人として、それはやっちゃいけない。

往人「う〜ん、む〜ん…」

ひとり腕を組んで、考え込む。

そんな俺に、通行人がいかがわしいものでも見るような目つきを送ってきた。

   背景-商店街-昼間

…ふと気づくと、動きを止めて倒れている人形を、二人の女の子がマジマジと見つめていた。

爺さんとその孫の後にやってきて、人形芸を見ていた二人組だ。

だいたい、十歳くらいの女の子たちだろうか。勉強道具らしいものを手に持っている。

見物料をせしめれば、コンビニのパン代くらいにはなるかもしれない…。

女の子「ねぇマキポン。この人形、どっかで見たことない?」

女の子「あ、シノリンもそう思った? あたしもあたしもー」

その二人は、なにやらそんなことを言っていた。

ややこしいので、小耳に挟んだ、まき、しの、という名前で区別してみる。

しの「えっと…うう〜んと…」

まき「………」

まき「…あっ!」

…お?

しの「なになに、思い出したっ?」

まき「あんね、ミユキちんに算数のドリル返すの忘れてたーっ」

…おい、人形はどうした。

しの「あ、あんたね〜。ちがうでしょ、いまはこの人形のことを…」

まき「にはは、こんな汚い人形なんてどうでもいいじゃん。ミユキちん、まだイタルンちに居るかなぁー」

どうでもいいって、おい…。

しの「…あっ!」

…お?

しの「そうだよ、ミユキちんだよっ!」

まき「ほえ? シノリンもなにか忘れものー?」

しの「違うって」

しの「ほらほら、ミユキちんの部屋に、これと同じ人形、あったじゃない!」

まき「あ〜…、あっ!」

まき「あーあーあーっ! あったあったー」

…ほほう、聞き捨てならないな。

往人「…なんだ、この人形と似てるのを持ってるヤツがいるのか?」

まき「うん。ミユキちんっていって、あたしたちの友だちなんだよ」

まき「ね〜?」
しの「ねーっ」

女の子ふたりは楽しそうに顔を見合わせる。

…どういうことだ? 俺のと同じ人形を持ってるヤツがいるってのか?

もしや、俺以外にも法術使いが居るとか? この町に…?

いや待てよ、この人形って、じつは市販されてるものだったりして…。

何十年も前のレア物で、テレビでやってたお宝鑑定団とか言うのに出せば、じつは凄い値が付いたりするヤツで…。

…いや、いくらなんでもそれはないか。

こんなかわいげのない人形、誰が好きこのんで買うっていうんだ。

まき「…これは、ひょっとしたら、ひょっとするかもしれないよっ」

しの「どうしたマキポン」

まき「ほら、よくあるじゃん。同じアイテムを持った選ばれし者たちが出会うと、奇跡が起こるっていう、アレ!」

しの「おーっ。たしかに、このオッチャンの怪しげなフータイはただものじゃあないよね」

オッチャン…。

いやまあ、そう言われるのにもいい加減になれてしまったが。

…しかし、怪しげなオッチャンってのはさすがに…。

しの「日本全国津々浦々、こどくに旅をしてきた男は、ついに、この町で運命の人と出会うのだった…」

まき「おおお〜…運命の出会い、そして起こる奇跡、あるいは宿命の戦い」

な、なんだこのガキどもは…。

まき「待っててねオッチャン。いまミユキちんを…運命の人をここにしょーかんしてあげるよ!」

女の子たちは、よくわからないが変なポーズを決めて、俺のことを指さしてきた。

なんだかめんどくさいことになってきたな…。

往人「…あぁ、まぁ、そんじゃ頼む」

しの「まだ、イタルンちに居るかもしれないよ。マキポン、いまケータイ持ってる?」

まき「オッケー」

マキポンとかいう女の子が、手提げ袋からあたりまえのように携帯電話を取り出した。

まき「あ、もしもし、イタルン? あたしー、マキだよん。うん、まだ、商店街」

まき「でね、まだそっちにミユキちん居る? あ、居る?」

まき「じゃごめん、代わってくれるかなー? ごめんね」

まき「…あ、ミユキちん? マキだよーん。でね、ちょっと急ぎの用なんだけどー、商店街にきてくんない?」

まき「えっと…ほら、お医者さん。おっかない女先生の居るトコ。そそ、そこまできてくれるー?」

まき「えっとねー、一大事なんだよ! ほら、ミユキちん、人形持ってたじゃん!」

まき「ほらほらええっと…そうそう、あの人を呪い殺せそうなヤツ!」

…人を呪い殺せそうって…。

まき「うん、じゃ、急いできてね。ばいば〜い」

マキという女の子が、携帯電話を切って、ニッコリと笑いかけてきた。

まき「ミユキちん、いま来るってー」

しの「近くの友だちんちでさっきまで宿題してたの。すぐ来れるよ」

往人「そうか…」

ミユキ…人形…。

なにか、気になった。

まき「おお、ついに、わたしたちの前で奇跡のカイコーがおこなわれるのだ」

しの「あたしたちは、その奇跡のもくげきしゃとなる」

まき「…あわよくば、その奇跡のおこぼれを…なんちて」

しの「にはは」

まき「にははっ」



観鈴『にはは』



………。

ふと、あいつの笑い声を思い出した。

往人「そのにはは笑い、流行ってんのか? 漫画かなにかで?」

まき「ん? ちがうよ〜」

まき「これはミユキちんの真似。にはは…って笑うんだよー」

しの「ちがうよマキポン。ほら、ミユキちんのママが使うから、それをミユキちんが真似たんだよ」

まき「あ、そだっけー?」

往人「………」

人形、にはは笑い、そしてママ…?

   BGMストップ

…俺の胸に、ざわめきが生まれた。

渦巻く感情。

期待、不安、焦り、おののき…。

…そして、緊張している自分に気づく。

しの「あ、ミユキちんだ!」

まき「ミユキちん、こっちこっちー!」

女の子たちが見やる方向に、俺は視線を向けた。

夏の日差しを受け、陽炎にゆらぐ商店街。

熱さを物語る陽炎の中に、彼女は、いた。

目を逸らしてしまいそうになるほど、まぶしく照り返す白いワンピース。

降り注ぐ日の光を一身に集めているかのように、輝いている。

   CD-07-夏影

   背景-青空3


光をまとうような彼女が、かげろうの中から現実の姿を持って、こちらに歩いてきた。

…心臓を鷲掴みにされるような感覚。

鼻の奥に刺すような痛み。

喉になにかがせり上がってくるような圧迫感。

往人「みすず…」

身体の奥から、絞り出すようにそう紡いで、俺は泣いた。

   背景-商店街-昼間

女の子「お待たせー」

白いワンピースの女の子が、澄んだ声で喋った。

いまにも、夏の暑い空気の中に消えていってしまいそうな、キレイに澄んだ響き。

涙で滲む視界。俺は急いで、シャツの袖で目元をぬぐった。

しの「ミユキちん、この人だよこの人っ。ミユキちんが持ってたのとおんなじ人形、持ってるんだよ」

まき「きょーりゅうじゃないよっ。あの、呪いの人形みたいなヤツー」

みゆき「………」

俺と女の子は、互いをじっと見つめ合う。

…歳は、やはり他の女の子たちと同じ、十歳くらいだろうか。いやもう少し、小さい気もする。

長くて癖のない頭髪を後ろで縛っているが、尻尾が腰の辺りまで届いている。

ほっそりとした身体に白いワンピースをまとい、手提げ袋を持っていた。

…観鈴だ。

観鈴が十歳くらいのときは、こんな姿をしていたんじゃないかと思えるような女の子。

みゆき「こんにちはっ」

女の子はニコリと微笑んで、朗らかに挨拶してきた。

往人「…こんにちは」

俺は、声が震えそうになるのをなんとか抑えつつ、応えた。

…間違いない。

この子は、観鈴の子供だ…。

そうだ。よく考えたら、この町を去ってからもう十年は経っていたような気がする。

観鈴のヤツ、元気なんだな。

俺が居なくなった後、ちゃんと体調を持ち直していたんだ。

そしてあいつは、誰か好きな男ができて、子供を作って…。

それで、この子を産んだんだ。

俺の選択は、間違っていなかったんだな。

…しかし俺の中で、得体の知れぬ不安が渦巻いていた。

この熱い日差しの中、身体に氷を埋め込まれたような…そんな感覚。

みゆき「えっと…初めまして。神尾観雪って言います」

………。

往人「…俺は、国崎往人っていうんだ」

そう応えると、女の子は大きく目を見開いて硬直した。

言葉を失ったかのように、口を少し開いたまま、呆然と俺を見つめてくる。

   背景-青空2

…神尾観雪。

観鈴にそっくりな容姿。

神尾という姓。

十歳くらいの女の子。

俺がこの町を去ってから十年。

そして俺の名前を知り、驚いている様子。

答えなんて、いとも簡単に導き出せるじゃないか。

…観鈴。

馬鹿だよ、おまえは…。

おまえを見捨てた男の名前なんかを、子供の名前につけるだなんて。

…そうか、あのときの…。

あのとき、子供が…。

   背景-商店街-昼間

まき「…シノリン、なにかただごとではない様子ですじょ?」

しの「まったくですじゃ。これはやはり、ぐーぜんの出会いではないようですな?」

女の子たちのヒソヒソ声が耳に入り、俺は我に返った。

コホンと咳払いをした後、つとめて笑顔を作って、女の子…観雪に話しかける。

往人「キミのお母さんは、元気にしているかい?」

俺の問いかけに、観雪は呪縛が解かれたかのように、パチパチとまばたきした。

観雪「え? あ…はい、ママは元気です」

往人「…そうか」

俺の中に、安らぎが広がっていく。

…よかった。観鈴、元気にしているんだ。

ほんとうによかった…。

まき「観雪ちんのママ、すっごい元気だよねーっ」

観雪「にはは。元気すぎて、ちょっと困っちゃう…?」

しの「そんなことないよ。わたし好きだな、観雪ちんのママ」

女の子たちは共通の話題をみつけ、きゃっきゃと楽しそうに喋りはじめた。

…観鈴。

いまさら、どんな顔をして、あいつに会えるっていうんだ。

俺のこと、恨んでいるよな…?

…でも、子供の名前に、俺の名前を取って付けたみたいだし…。

そうだ。ほんとうに憎んでいたなら、俺との子供を産む必要なんてなかったはずだ。

…そう考えるなら…。

いやでも、この観雪の様子から、いまの明るい家庭が想像できる。

そんなところに、俺がいまさらノコノコ現れたりなんかしたら…。

…そうだ。だいいち、あの晴子が許しはしないだろう。

   神尾晴子の立ちCGをモノクロで一瞬表示

酒瓶を抱えた、あの豪快な晴子を思い出し、俺は苦笑した。

往人「そうだ。あのうるさい晴子は元気か? キミのお婆さんだ」

「ババア」と言ったら、晴子はどんな顔をするだろうか。

あいつはまだ、四十歳くらいだろうか。そんな年齢で祖母呼ばわりされる晴子の姿を想像し、俺はほくそ笑む。

しの「…えっ?」
まき「…ほえ?」

ところが、俺の声に女の子ふたりが首をひねる。

観雪「………」

まき「なに言ってるのー? 観雪ちんのママが晴子って名前だよー?」

しの「観雪ちんのママ、あたしたちに晴子さんって呼ばせるんだよねー」

まき「オバサンって呼んだらつねられちった」

…ぞわり、と背筋に寒気が走った。

往人「じゃ、じゃあ観鈴は…。観鈴は、どうしているんだ?」

俺は観雪に話しかける。

観雪「………」

…しかし観雪は、キュッと唇を結んで、うつむいてしまった。

まき「ミスズって、誰ぇー?」

しの「観雪ちんは、知ってる?」

観雪は、うつむいていた顔をグッとあげる。

そして、友だち二人に背を向けたまま、泣きそうな声で言った。

観雪「マキポン、シノリン。…ごめん、帰ってくれるかなあ?」

観雪「…観雪ね、このオジサンと、大切な話をしなきゃならないの」

しの「えっ…」
まき「えーっ」

観雪「ごねんね。ホントにホントに、大切な話なの…」

観雪「呼んでくれて、ありがとう。今度ちゃんと、おれいするね」

観雪「…だからね。今日のこと、だれにも言わないでほしいな…」

まき「………」

しの「………」

まき「…わ、わかったよー、観雪ちんっ!」

まき「シノリンがくちすべらすようなら、水平チョップいれたげるっ!」

しの「な、なにようっ。マキポンのほうが口軽いじゃないっ」

しの「マキポンがしゃべるようなら、バッグドロップ決めたげる。だから観雪ちん、安心してオーケーよ!」

まき「なにおーっ。じゃああたしは、七年殺ししてやるからーっ」

ウキーっと二人して騒ぎはじめるのを見て、観雪は涙をにじませながら微笑んだ。



まき「おれい、期待してるよーっ」

しの「どろりノーコーはイヤだかんねーっ」

観雪の友だちふたりは後ろ髪引かれる様子だったが、観雪の頼みに従い、手を振りながら帰っていった。

それを見送って、観雪は振り返る。

…十歳くらいの子供にしては、影のある表情をのぞかせていた。

観雪「観雪を育ててくれたママが、晴子ママ」

観雪「…観雪を産んでくれたお母さんが、観鈴お母さんです」

往人「…み…」

往人「観鈴は…?」

観雪「…死にました」

観雪「観雪は、息を引き取ったお母さんのお腹から、産まれました」

観雪「手術して取り出されたって…ママが教えてくれました」

往人「…そう…か…」

俺はうなだれた。

…このまま地面に倒れることができたら、どんなに楽だろうか。

俺が居なくなった後の観鈴を、想像したことがあった。

観鈴が独り寂しく死んでいく様を、悪夢で見たこともある。

…けれど、こんなこと…。

いま突きつけられた現実。

俺なんかの夢想を越えて、現実はあまりに過酷だった。

観雪「…くにさき…ゆきと…」

観雪が、言葉の響きを確かめるように、ゆっくりと呟いた。

   黒画面

観雪「オジサンが…。ママを怒らせた最低のお父さん…?」

往人「………」

観雪「あなたが観雪のお父さん…なんですか…?」

   BGMストップ



   CD-21-ふたり

   背景-神尾家前-夕方


観雪に連れられるようにして、俺は神尾家に足を運んでいた。



   モノクロ-背景-商店街-昼間

観雪『あなたが観雪のお父さん…なんですか…?』

あの後、口にすべき言葉も見つからず、長い間ふたりして黙りこくっていた。

首筋を容赦なく夏の日差しが焼く。

…沈黙の中、ジリジリと焦りがつのっていく。

それに耐えられなくなったのか、観雪が絞り出すように言った。

観雪『…観鈴お母さんに、お線香…あげてくれませんか?』



   背景-神尾家前-夕方

…その申し出に応じて、ここまで来た。

まるで水の中を歩いているかのように、踏み出す足が重く感じられた。

ここまで歩いてくる間、一言も会話はない。

俺の前を行く、小さな観雪。

細い脚でとてとてと歩く様は、俺の記憶の中にある観鈴と、よく似ていた。

…そろそろ世界が赤く染まりはじめた頃、神尾家に着いた。

往人「…晴子は?」

観雪「ママは…晴子ママは、出かけてます」

観雪「いまは、家にいません…」

観雪は振り返らずに、そう言った。

…晴子が居ないから、家に来ないかと言ったのだろう。

観雪「ただいまー」

観雪は引き戸をガラガラと開け、家に入っていった。

それに続こうとして…俺は足を止めた。

声「観雪ぃ、おかえりやーっ」

家の中から、明るい声が飛んできた。

…十年前と変わらない、あの晴子の声だった。

観雪「えっ、あれ、ママ…?」

観雪「きょ、今日はおじーちゃんと会うんじゃなかったの?」

晴子「んん〜、あのアホちんがくだらんこと言うてきてなー。呆れて早よ帰ってきたわ」

晴子「…まったく、お互いの年齢を考えてもの言えっちゅうねん…」

晴子「それにな、観雪との日課、できるだけ欠かしとうなかったからなー」

晴子「ほれ、観雪。おかえりのキスや。ん〜…、ちゅっ」

…晴子の明るい声。

こんな甘ったるい声を、あの晴子が酒を飲んでいる時以外でも出すとは…。

晴子「なんやぁ、今日の観雪ちんはいけずやなぁ。ただいまのキスは? ん?」

観雪「あっ、あのね、ママっ」

観雪「お、お客さん、連れてきてるの…」

晴子「そっかー、また友だち連れてきたんか?」

観雪「あの…男の人」

晴子「おとこーっ!? なんや観雪、あんたいつの間にボーイフレンドなんて…」

晴子「まったく、最近の小学生はませませやなっ」

晴子「どれ、うちがその彼氏、見定めたるわ」

観雪「あっ…」

ひょい…と、玄関から晴子の顔があらわれた。

…これがあの、晴子なのだろうか。

十年の月日を感じさせるように、晴子の顔にはシワが増えていた。

しかしなにより俺を驚かせたのは、その晴子の表情だ。

俺の記憶の中では、いつも疲れたような雰囲気をまとっていた女だった。

酒が入るとご機嫌になるが、その影にどこか寂しさを隠していたような…そんな印象。

それがいまは、幸せに満ち足りたような…。

…そうだ、母親の顔をしていた。

そんな晴子の顔が、音を立てるような勢いで険しくなった。

   BGMストップ

晴子「………」

ふいに呼吸を荒げ、唇をぶるぶると震わせた。

   CD-16-理

…かと思うと、晴子の瞳からジワリと涙がこぼれ落ちた。

憎悪に彩られた眼で俺を射抜き、晴子が泣いている。

ぷいっと晴子の顔が引き戸の影に隠れた。

観雪「わっ! ママ、ダメっ!」

晴子「…離し」

観雪「ダメっ! ダメだよーっ!」

ドアの向こうから、晴子が出てきた。

…その右手に、金属バットを握って。

晴子「…殺す。そこ動くな」

晴子はひどく冷静な声で告げた後、金属バットを振り上げた。

観雪「ママぁ、止めてよぉっ!」

観雪が泣きながら、晴子の腰にしがみついて止めようとしていた。

…なんだろう。

こんな状況だというのに、俺はひどく落ち着いていた。

無感動…というか、思考が上滑りしているというか。

…もう、どうなってもよかった。

今日、俺に突きつけられた現実に、なにもやる気が起きなかった。

晴子「…死ね」

やはりひどく冷静なまま、晴子が告げる。

そうして、勢いよく振り下ろされる金属製のバット。

…それに頭を打ちつけられれば、すべてが終わるのだろうか。

こんなに悲しくて切ない苦しみから、開放されるのだろうか。

俺の手足は、ピクリとも動かなかった。

   黒画面

ガツっ…――。

固いモノが砕ける音。

   背景-神尾家前-夕方

…振り下ろされた金属バットが、軒先の石畳をうがっていた。

観雪がとっさに晴子の腕に抱きつき、それで振り下ろされたバットは俺の頭から逸れた。

晴子「うあっ…ツ…」

晴子の手に石畳を叩いた衝撃が伝わったらしく、その痛みでバットを取り落とす。

晴子「観雪っ! こら、離さんかいっ!」

観雪「ダメぇっ、ダメだよぉっ!」

晴子「こっのアホちんはーっ!」

晴子は、自分にしがみついている観雪を引っ剥がし、玄関から家に押しやった。

そうして引き戸を閉じ、鍵を閉めた。

観雪「ママっ、ママぁっ!!」

がしゃんがしゃん…と音を立てて、観雪が閉じられた引き戸を叩いていた。

…晴子はゆっくりと、俺のほうに歩み寄ってくる。

晴子の長い髪が、汗や涙で顔に貼りついている。

ぎゅっと唇を引き締めているが、かすかに震えているのが見える。

鼻息荒く、肩を上下させていた。

無言のまま、そんな晴子が右手を振り上げる。

その拳が、振り下ろされた。

…俺は避けない。

   黒画面

左頬に衝撃。

肉を打つ鈍い音。

視界が歪んだ。

…晴子の力を見くびっていた。

晴子が振り下ろした拳には、俺に対して長い間蓄積してきた怒りが込められていた。

殴られた衝撃に、俺は一瞬、気を失った。

   背景-神尾家前-夕方

…したたかに尻餅をついて、意識を取り戻す。

口一杯に、血の味。

ベッと吐き出すと、血だまりの中に歯が一本、転がった。

晴子「…っツぅ」

俺を殴った晴子は右手を痛めたのか、手首を左手でさすっていた。

そして、声を限りに吠えかかってくる。

晴子「…なにをのこのことっ!」

晴子「いまさらっ…。いまさらなんで現れたんやっ…!」

晴子は半狂乱で泣き叫びながら、俺のことを蹴りはじめた。

容赦ない晴子の蹴り。それを俺は、抵抗せずに受け入れた。

晴子「観鈴を…観鈴を見捨てたくせにぃっ…!」

顎をつま先で蹴られ、後ろに倒れた。

がつっと後頭部を打ち付け、目から火花が散る。

   背景-夕焼け空1

…違う。

違う、見捨てたんじゃない…。

俺は、あいつを救いたかったんだ。

…それは、自分に何度も言い聞かせた言葉。

自分をごまかすための言い訳。

…観鈴は死んだ。

死んでしまった…。



   モノクロ-背景-神尾家前-昼間

往人『娘を置いて温泉に行くのが、あんたの事情か?』

晴子『観鈴はうちの娘やあらへん』

晴子『だから、行くんやないか』

倒れ、寝てばかりいた観鈴を置いて、晴子は旅行に出かけた。



   背景-神尾家前-夕方

…ふいに、脳裏に蘇った過去の記憶。

忘れかけていた感情が、ふつふつと蘇る。

それは怒り。

切なさと苦しみと悲しみと…。そんな感情をごまかすための強烈な怒り。

往人「…俺だけか?」

往人「俺だけが、悪かったって言うのか?」

晴子「なんやて?」

往人「…あんただって、観鈴を見捨てたんじゃないのか」

往人「違うかっ? 倒れた観鈴を置いて、あんたは旅行なんかに出かけたんじゃないかっ!」

晴子「………」

往人「いや、そもそもあんたが、観鈴を愛してやらなかったから、あいつはずっと苦しんでいたんじゃないかっ!」

往人「親じゃない、義務なんかないってほったらかして…」

往人「あんただって、あいつを苦しめてたんじゃないのかっ!?」

俺の言葉に、晴子はうめいて顔を蒼白にした。

悲痛に歪むその顔。

…それで、俺は理解した。

こいつも…晴子も、ずっと苦しんでいたんだ、と。

晴子「う、うちかてっ。うちかてっ…!」

晴子「でも、いまさら、おまえなんかにっ…!」

足元もおぼつかないのか、晴子は玄関の引き戸にふらふらと背を預けた。

晴子「…けどな」

晴子「けど、これだけははっきり言えるわ…」

晴子「観鈴は、あんたが言うたように、あるはずのない痛みに苦しんだり、記憶を失ったりした…」

晴子「…あんたは…」

晴子「あんたは、観鈴がああなることを知っとったのに見捨てたんやないかっ…!!」

晴子「観鈴を孕ませて…気ぃ狂わせて…! あんたは…あんたはぁっ…!!」

晴子は、顔を覆って泣きはじめた。

慟哭…というのだろうか。悲しい声をあげて、泣きじゃくっている。

…なんだろう、この胸の痛みは。

こんなにも苦しいのは、初めてだ。

こんなにも悲しいのは、生まれて初めてなんだ。

…観鈴。

あいつの顔を思い出し、声を限りに叫びたい衝動に駆られた。

観雪「ママっ!」

観雪が別のところからまわってきたのか、玄関に走り込んできた。

そのままの勢いで、晴子に抱きつく。

晴子は、自分に抱きついてくる観雪を、まるですがるように抱きしめた。

晴子「ご、ごめんなぁ、観雪。ママ…、ちょっと自分、見失のうてたわ」

抱きしめた観雪の髪の毛に、そっと頬を寄せる晴子。

晴子「…あんた」

晴子が、俺のことを睨みつけてくる。

晴子「はよ、どっかいねや」

晴子「…あんたの顔見てると…声聞くだけでも、殺意抱いてしまう」

晴子「よー考えたら、うち、観雪がおるから、人殺して犯罪者になるわけにはいかんのや」

晴子「…せやから、早よ、目の前から消え去りや」

俺は、なにも言えなかった。

晴子の言葉に押されるようにして、のろのろと立ち上がり、この場に背を向けた。

…いまの俺に、なにができるというのだろう。

   BGMストップ

   黒画面





   波の音

   背景-堤防-夕方


…殴られ、蹴られた身体が、ズキズキと悲鳴をあげていた。

唇に違和感を覚えて手の甲で拭ってみると、べっとりと血がついた。

口中には、鉄の味。歯が抜けたところから、血でも出ているのだろう。

堤防の上にゴロリと仰向けになって空を見あげた。

   背景-夕焼け空1

往人「どーすりゃいいんだ…」

一向に、いい考えなど浮かばない。

…俺は、考えるのは苦手だ。

   黒画面

目をつむって、しばらく考える。

………。

…ぐうぅ〜…。

   背景-夕焼け空1

往人「腹減った…」

身体は、どこまでも正直だった。

なにもあるわけないと思いつつも、ポケットの中を探る。

往人「お」

固い感触。それをつかんで、引き出す。

…十円玉が一枚。

往人「こんなんじゃ、いまどき駄菓子も買えやしねぇ…」

だいの大人が、全財産十円かよ…。

往人「…この十年、なにやってきたんだろうな…」

往人「あいつを助ける方法を探して…でも結局、見つからずじまいだ」

往人「あげく、あいつはとっくに死んでしまっていた…」

………。

往人「…ヘっクシ!!」

…ちと、寒いな。

さすがに、堤防の上は風通しがよすぎる。

場所を変えようと立ち上が…ろうとしたが、途中でヘナヘナとひざまづいた。

…力が入らない。

どうやら、度の過ぎた空腹が、俺の活動限界を越えてしまったらしい。

腹が減りすぎると、なにもできない。俺の最大の弱点だ。

…まあ、ここで寝ても、死にはしないだろう。

いまは夏だ。確かに、ここはちょっと風通しがよすぎるが…。

明日になれば、きっと、なにかいい考えが浮かぶはずだ。

そう思って、そのまま堤防の上で寝そべり、まぶたを閉じた。

…意識が薄れていくのがわかる。

俺は、それに身をゆだねた…。

   黒画面

………。

……。

…。



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