1999.01/05 Tue 19:13

 …雪の降る街…。

「あ。ひとつだけ言い忘れていたんだけど」

 母親が、自分の娘に話し掛けていた。

「あのね…」

 母親は、いつもの穏やかな顔つきで、ゆっくりと言葉を継いだ。

「いとこの男の子、覚えてるわよね」
「…え?」

 母親の言葉に、少女は固まる。

「昔は、何度も家に遊びに来てたものね。
 ご家族が海外転勤になってしまって、その子だけ残ることになったのよ。

 それで高校を卒業するまでは家に泊まって貰おうと思うんだけど…」



   1999.01/06 Wed 14:58

 …彼がまぶたを開けると、そこに、重く曇った空が写る。
 真っ白な雪が、ゆらゆらと螺旋を描いて舞い降りてきていた。

(…なんだ、俺、居眠りしてたのか…?)

 …ぼんやりと。
 長い間、夢を見ていて。
 それから覚めたような…。

 そんな感覚に、とらわれた。

(…寒い)

 ぶるっと身を震わせて、コートのポケットに手を突っ込んだ。

「馬鹿は風邪ひかない…か」

 なんとはなしに、そんな言葉が彼の口から紡がれた。

「誰だっけ…、そうだ、あいつに言ったんだっけか…」

 自分で呟いた言葉に、彼の中でなにかがうずく。

(…あれ? あいつって…誰だ?)

 チラリとひらめいた、胸を切なく締めつけるなにか。
 彼はそれに手をのばすが、寸前で逃げられてしまった。

(…まあ、いいか…)

 ひとつ溜め息をついて、彼は辺りを見回した。

 …駅前の広場。

(6…違う、7年ぶり…だったか)

 なんとなく見覚えのある場所。
 駅前の広場と、そこに据え付けられた木のベンチ。

 …そこで人を待つ、自分。

(以前にも、そんなことがあったような気がする…)

 ぼんやりと思い出せたが、それがどんなものだったか、はっきりしなかった。

(…ただ、悲しかったことだけは覚えているのにな)

 彼は溜め息をついて、また空を見上げる。
 相も変わらず、雪が降り続けていた。

 彼はベンチに深く沈めた体を起こして、もう一度居住まいを正した。

 屋根の上が雪で覆われた駅の出入り口は、今もまばらに人を吐き出している。
 白い溜め息をつきながら、駅前の広場に設置された街頭の時計を見ると、時刻は3時。

 まだ昼間だが、分厚い雲に覆われてその向こうの太陽は見えない。

「…遅い」

 再び椅子にもたれかかるように空を見上げて、彼は一言だけ言葉を吐き出した。
 視界が一瞬白いもやに覆われて、そしてすぐに北風に流されていく。

 体を突き刺すような冬の風。
 そして、絶えることなく降り続ける雪。

 心なしか、空を覆う白い粒の密度が濃くなったように、彼には思えた。

 もう一度ため息混じりに見上げた空。
 その彼の視界を、ゆっくりと何かが遮る。

「……」

 雪雲を覆うように、少女が覗き込んでいた。
 長い髪をした、穏やかな顔の少女。

「雪、積もってるよ」

 少女は、ぽつりと呟くように、白い息を吐き出す。

「そりゃ、2時間も待ってるからな…」
「…あれ?」

 彼の言葉に、不思議そうに小首を傾げる。

「今、何時?」
「3時」
「わ…びっくり」

 そんな台詞とは裏腹に、全然驚いた様子はなかった。
 少女のどこか間延びした口調と、とろんとした仕草。

「まだ、2時くらいだと思ってたよ」

(2時でも1時間の遅刻だ…)

「ひとつだけ、訊いていい?」

「…ああ」
「寒くない?」
「寒い」

「これ、あげる。遅れたお詫びだよ」

 そう言って、少女は缶コーヒーを1本、彼に差し出した。

「それと…再会のお祝い」
「7年ぶりの再会が、缶コーヒー1本か?」

 彼は缶を受け取りながら、改めて少女の顔を見上げる。

「7年…そっか、そんなに経つんだね」
「ああ、そうだ」

 彼は、温かな缶を手の中で転がす。
 もう忘れていたとばかり思っていた、子供の頃に見た雪の景色を重ね合わていく。

「わたしの名前、まだ覚えてる?」
「そう言うお前だって、俺の名前覚えてるか?」
「うん」

 雪の中で…。
 雪に彩られた街の中で…。
 7年間の歳月を、一息で埋めるように…。

「祐一」



 …――そして、もうひとつの、はじまり。



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