…贈る相手がいなくなったセーターを編むことに、いったいなんの意味があるのだろう。
2本の編み棒を動かし、セーターを編み上げていく。
編み棒の端につけられた小さな鈴が、静かな音色を立て続ける。
それはまるで、ひとつの曲のように。
…まことにせがまれて、付けた鈴。
最初こそ違和感があったけれど、そのうち、慣れてしまった。
なにより、編み棒を動かして鳴り続ける鈴の音色を、まことは気に入っていた。
綺麗な音楽にうっとりと聴き入るように、鈴の音色を楽しんでいたまこと。
…でももう、あの子はいない。
わたしが奏でる鈴の音色を聴く人は、もう、この部屋にはいない。
贈る相手のいなくなったセーターを、わたしは編み続ける。
…それに、なんの意味があるというのだろう。
『佐祐理。まことのセーターを編み終えて』
まことを失って塞ぎ込んでいたわたしに、舞は強い口調で言った。
部屋の隅に放置していた、編みかけのセーター。
それを舞が拾い上げ、わたしに押しつけて言ってきた。
(…なんの意味があるの?)
そんな思いを込めて、舞を見返してみる。
『いいから、編み終えるの』
しかし舞は、強い口調で繰り返すだけだった。
のろのろと、セーターを編んでいく。
…なんの意味があるの?
編み棒を動かす度に鳴る鈴が、ふいに、癇にさわった。
発作的に鈴を引きちぎろうとして…思いとどまる。
『佐祐理、この鈴を付けてみてよ』
『え、編み棒に?』
『そう、その棒のお尻の所。そうすれば、佐祐理が編む度に音が鳴るでしょ』
鈴の音色が好きだったまこと。
わたしが奏でる鈴の音を、心地よさげに聴いていたまこと。
…とくに、まことが子供のようになってしまってからは、この音聴きたさによくせがまれたっけ。
チリリ…チリリ…と鈴の音を立てながら、セーターを編んでいく。
『早く春にならないかなあ…』
『まことは、冬は嫌い?』
『うーん…寒いのはちょっとね。雪とか好きだけど。でもやっぱり、暖かい春が良い』
『そうだね』
『でも、ちょっと寂しいかな』
『どうして?』
『佐祐理がせっかく編んでくれた手袋、春になったらつかえなくなっちゃうし。今編んでるセーターも…』
『…来年もまた、使えばいいよ』
『来年…あはは、そうだね!』
舞は…。
セーターを編むことで、わたしの気を紛らわせたかったのだろうか。
…でも、逆効果だよ。
セーターを編んでいると、まことのことばかり思い出してしまうもの。
いまでは、なにもかもが悲しくて切ない、思い出たち。
『まこと、暖かいところに、行こうか』
『…あぅ?』
『南の、暖かいところ。沖縄とか。みんなで一緒に。一足早く、春に行ってみよう?』
『あぅー…』
『ね?』
『…や』
『どうして…?』
『……』
まことは答えず、わたしが編んであげた手袋を、楽しそうな様子で動かす。
その度に、手袋に付けられた鈴が鳴った。
『…手袋、外したくない…から?』
わたしの問いに、やはりまことは答えず、ただ鈴の音色を楽しんでいた。
わたしの身体にもたれながら、編み棒が奏でる曲に聴き入る、まことの姿。
まことのために、頑張ってセーターを編み続けたけれど。
…間に合わなかった。
『やだよう…。まことぉ、いなくなっちゃやだよぅ…』
編み終えられなかった、まことのセーター。
「できた…」
そうしてわたしは、セーターを編み終えた。
贈る相手を失った、手編みのセーター。
『…おねえちゃん』
まことの声が、聞こえたような気がした。
…子供のようになったまことは、いつしかわたしを『おねえちゃん』と呼ぶようになった。
「まこと、出来たよ…」
わたしは、まことのセーターを抱きしめながら、ふらりと立ち上がった。
「…佐祐理」
舞の声。
いつからいたのだろう、舞が部屋の隅にいた。
「行こう」
と舞が言ったので、わたしは頷いた。
「…あの丘だね」
「うん」
…ものみの、丘。
この丘は、そんな名前らしい。
草地の中に、ぽっかりと浮かび上がるようにある、小さな広場。
ここでまことを見送ってから、もう何日経ったのだろうか。
地面にそっと、セーターを置いた。
そのセーターに、わたしは語りかける。
「まこと、編み終えたよ」
丘を、冷たい風が渡っていく。
わたしの髪と服を、乱暴にかき乱す。
そんな中、わたしの視界が、じんわりと涙で歪んだ。
「寂しいよ、まこと…。ねえ、帰ってきてよ…」
「…佐祐理」
わたしの肩に、舞の手が置かれる。
「まことは、いる」
「えっ…?」
驚いて見つめるわたしに、舞は自分の胸に手を当てて見せる
「私たちの中に」
「……」
「忘れないで。まことは、私たちの中に、悲しみだけを置いていったわけじゃない」
「……」
「忘れないで…」
舞の言わんとしていることは理解できていたけれど。
でもやっぱり、わたしは…。
長い間、その丘にいた。
そんなわたしに、舞はなにも言わずに、ただついていてくれた。
日が傾き、夕焼けに世界が染まる頃、わたしたちはそこから立ち去った。
…ふと、身を切るような冷たい風が、鈴の音色を運んできた。
はっとなって振り返ったわたしは…。
あの小さな広場に置いてきたセーターが、消え失せているのに気づいた。
「まっ…」
わたしは、泣きながら丘に駆け戻った。
「まことぉーーっ…!!」
泣き叫びながら、丘を駆け走る。
…けれど、まこともセーターも、見つからなかった。
その夜、夢を見た。
幸せな夢。
わたしが編んであげた手袋とセーターを身につけた、可愛らしいまこと…。
恥ずかしそうに微笑んでいる、まこと。
…それだけで、わたしは嬉しかった。
なによりも、満足だった。
幸せだった。
…頑張らなくちゃ。
相手に幸せを与えて、自分も、幸せになる。
そうだったね、まこと。
うん。
一生懸命に、幸せになろう。
まだ時間は必要だろうけど。
頑張るね。
ね、まこと…。
◇