track 12……霧海



 天野と並んで歩きながら、俺はいたく後悔していた。

 もっと、穏やかに物事を進められたはずなのに。
 最悪の状況を招き寄せてしまった。

 まことは、自分が求めていた少年が死んでしまったという衝撃に耐えきれず。
 そうして、佐祐理さんに怪我を負わせ、ひとりどこかへ駆け去っていった。

 日が沈みかけ、赤と黒とがせめぎ合う、夕闇の時間。
 俺と天野は、話しをするわけでもなく、ただ黙々と町中を歩いていた。

 行き先は決まっていた。

 …ものみの丘だ。



 しかし、ものみの丘には誰もいなかった。
 俺たち以外に、生あるものの気配が感じられない。

 …佐祐理さんが話していたことを思い出す。

 一弥が自分と一緒に帰るのを嫌い。
 そうして寄り道をしていた一弥を見つけたという、空き地。

 その空き地が、この丘の周辺にあるはずだ。



 天野と一緒に、その空き地があると思える場所を探し歩いたが、それらしいものは無かった。

「何年も前の話だっていうから、もう空き地ではないのかもしれないな」

 空き地が、ずっと空き地で居続けることなどないのだ。
 いまはもう、すでに建物が建っているのかもしれない。

 あるいは、佐祐理さんが一弥を空き地で見掛けたのは偶然だったとも考えられる。
 一弥がキツネと会っていた場所から家に帰るとき…あるいはその逆で、その場所に向かうときに、佐祐理さんが見つけたのかもしれない。

「もう暗くなってきた。天野は、そろそろ家に帰れ」
「いえ、まだ探します」
「天野…」

 薄闇の中、天野はしっかりとした眼差しを俺に向けてくる。
 …こういうときの天野は、並大抵のことでは揺るがせない。

「いま、まことを探し出さないと、危険な気がします。
あの子にとって、求めていた人がいないと知った衝撃は大きいですから…」

 仕方なく、天野の提案を受け入れ、ふたりで手分けして探すことになった。

「じゃあ、天野は商店街や駅前を中心に探してみてくれ。
俺は、丘を中心に、ここら辺の人気がない方面を探してみるから」

 いまはもう日が暮れてしまったけれど、人で賑わう所なら、女の子ひとりでも大丈夫だろう。

「わかりました。まことを見つけたら、どうしましょうか?」
「そうだな。…まことは、佐祐理さんの家を嫌がるだろうから、俺の家に連れていこう」
「私が見つけた場合、秋子さんと名雪さんに…全て話してもよろしいでしょうか?」
「ああ。今夜帰ったら、ふたりにも言うつもりだったしな」

 そうして、俺と天野はふたてに分かれた。



 …見つからない。

 もう、かれこれ何時間探し歩いているだろうか。
 腕時計を持っていないから、いま何時だかわからない。

 夜の中でも煌々と灯りを照らすコンビニエンスストアを見つけたので、その中に入る。
 自動ドアが開くと、暖気が心地よく身体を包む。

 冷たい空気の中を延々と探し歩いていたから、身体はとうに冷え切っていた。
 どこか夢うつつの中を漂っているような感じがあって、現実感を喪失していた。

 だから、暖かい空気とまぶしいくらいの明かりに触れて現実感を取り戻すと。
 感じずにすんでいた疲労が、一気に押し寄せてきた。

 壁に掛けられた時計を見ると、10時を過ぎていた。

 店員に訪ねてみたものの、まことらしい女の子を見掛けてはいないようだった。

 熱い缶コーヒーと肉まんを買って、コンビニを出る。
 かじかんだ手に、それはとても心地いい。

 …天野が、まことを見つけてくれただろうか?

 店先に据え付けられた公衆電話に、テレホンカードを差し込む。
 家に電話してみると、すぐに秋子さんが出た。

「祐一です。…天野から、電話ありませんでした?」
『ええ、あったわよ。ちょうど10時だったと思うわ』
「なにか、伝言とかありました?」
『いいえ、なにも。美汐ちゃんも、祐一さんから伝言がないかって、電話してきたけど』

 そうか…やはり、まだ見つからないのか。
 そして、天野はこんな時間なのに、まだ探し続けてくれている。

「そうですか…わかりました、ありがとうございます。
それと、秋子さん。今日俺、遅くなるかもしれないから」
 そう言い終えて、電話を切ろうとする。

『…祐一さん』

 受話器を置こうとしたが、秋子さんの声が聞こえたので慌てて耳に当てる。

「はい?」
『わたしは、真琴のことを本当の子供のように思っていますから』
 秋子さんの突然の言葉に、意表を突かれた。

『親なら、子供のことを知りたいです。…たとえ、それが悲しいことでも』
「秋子さん…」

 秋子さんの思いやるような優しい声が、胸に染みわたる。
 疲れていることもあってか、その声にちょっと涙ぐんでしまった。

 でもどうして、秋子さんはまことのことを知っているのだろう?
 もう、天野が話したのだろうか?

『真琴の部屋を見て、すぐにわかりました。
それと、祐一さんと美汐ちゃんの行動を見て、なにかあったと想像できました』

 秋子さんは、やっぱり秋子さんだった。

 いつも、名雪や俺のことを考えて、理解していてくれて。
 それでいて、あまり口に出さず、微笑んで側にいてくれる。

 そうして、本当に困っているときには、こうやって手を差しのべてくれるのだ。

「秋子さん…俺、どうすればいいのかわからないんだ」

 いつもの俺なら、たとえ秋子さんにだって、泣き言をもらすようなことはない。

 でもいま、肉体的にも精神的にもまいっていて。
 夢の中を漂っているような浮遊感も手伝って、俺は急き立てられるように言葉を紡いでいった。

「いまのまことは、1年前の真琴とは違うんだ。別の狐らしい。
それで、その子は俺じゃなくて俺の…友だちに会いに、人の姿で現れたんだ」

 でも姿は、以前の真琴とまるっきり同じで。
 同じ姿、同じ声、同じ性格で…俺は平静ではいられない。

 天野は、前の真琴と血縁じゃないかって言っているけど。

 …そうだ、あの時の真琴と同じなんだよ。

 また消えてしまうんだ、あいつはっ!

 だから俺は。
 …だけど俺は。

 いまのまことの望みを、少しでも叶えてやろうと思っているんだけど。
 …そう、天野にも言ったけど。

 でもそれで、具体的になにがやれるかとか、なにをしてやれるかっていうのがわからないんだ。

「…それと、ほんとうにそれで良いのかって迷っていて。俺は、どうすればいいんだろう…」

 俺の中で渦巻いていた不安を、全てぶちまけてしまった。

 俺がやろうとしていることは、間違っていないだろうか。
 天野には潔いことを言ってしまったけれど、俺自身、その疑問が拭えずにいた。

『真琴との出会いが、悲しみを生んだだけではないはずよ?』
 俺が喋るのをじっと聞いていてくれた秋子さんが、優しい声音で応えた。

「…はい」
『真琴のときの祐一さんの行動は、立派でした。素晴らしかったです。
とても、強い心を持っている男の人だと思いました』
「……」
『心が弱い人なら、自棄になったり逃げ出したり。ただ泣いたり、落ち込んだり。
消えていく真琴に対して、なにもできなかったかもしれませんね』

 1年前の自分を思い出す。
 …いまと違って、自分がなにをすればいいのかが明確だったから、これほど悩み苦しむことはなかったような気がする。

『祐一さんはどうして、あんなにも立派に行動することができたんですか?』
「…真琴のことを、本当に好きだったから。大切にしてやりたかった。
ずっと一緒にいてやりたかった。
でもそれが無理だから、せめて少しでも長い間、あいつと笑っていたかったから」

『…うん』

「あいつのためだけでなくて。俺が、あいつと一緒にいたかったから。
それが俺の望みで…願いだったから。
立派なんかじゃありません。俺はただ、真琴と一緒にいたかった。だから求めただけです」

 真琴のとき、俺が選んだ道は間違っていなかったと信じている。
 後悔はしていない。

『祐一さんがそうやって、気持ちを整理できたのはなぜかしら?
…美汐ちゃんが、真琴の真実を教えてくれたからよね?』
「はい。天野には感謝しています。
それと、俺と真琴を支えてくれていた、秋子さんと名雪にも。…ほんとうに感謝しています」

『だったら』
 秋子さんは明るい声で言う。

『だったら今度は、祐一さんが、美汐ちゃんの役をやる番です。
祐一さんの友だちと、その子が最後まで幸せでいられるように。祐一さんが導かなくちゃいけないわ』
「……」
『そのお友だちが、祐一さんと同じように後悔しないですむように、見守るんです。
そうすれば、しいてはその子たちの幸せに繋がるんですから…』

 秋子さんの諭すような言葉に、いくぶん気が楽になった。

「…そうです、よね」
 でも。
 …でも、秋子さん…。

『つらいですか?』
「…はい」
『美汐ちゃんも、つらかったでしょうね』

 秋子さんの言葉で天野のことを思いだし、胸がしめつけられた。
 「つらかった」だけでなく、「いまもつらいんだ」との意味が込められているように思えたから。

「すみません、いろいろ聞いてもらって」
『いいえ。…でも残念です。あまり、祐一さんのお役には立てなかったかしら?』

 俺の中で割り切れない思いがまだあるのを、秋子さんに見透かされているようだ。

「いえ、そんなことはないです。秋子さんから言われると、それが間違っていないんだと思えて、安心できます」

 これは本当だった。
 秋子さんと話して、だいぶ身軽になったように思える。



 電話を切った後、夜空を見上げる。
 いつの間にか、雪が降りはじめていた。

「…でも、秋子さん」
 切ないものがこみあげるのに耐えきれず、言葉にして吐き出す。

「まことが会いに来た男の子は、もうこの世にはいないんだよ…」

 ものみの丘へと向かう道すがら、また夜の闇にとらわれ、夢の中にいるような感覚に埋もれていく。

 …その中で、ひとつの思いが浮かんだ。

 秋子さんは、真琴のときの天野の役を、俺にやれと言った。

 今度は俺の番だと。
 前回のことを、今回の件に当てはめて言ったのだ。

 では逆に、いまの件を、前回に当てはめたらどうなるだろうか。

 まことが会うことを求めた一弥は、いない。
 まことは、佐祐理さんと舞になつき、一緒に遊びたいと思いはじめていた。

 それを、さきの真琴に当てはめてみる。

 真琴が会うことを求めた、俺はいない。

 でも真琴は、幼い頃に秋子さんになついていたことを覚えていたかもしれない。
 それは、いまのまことが、佐祐理さんを憎むのとは違って、淡いものかもしれないけれど。

 真琴(まこと)が、俺(一弥)はいないものの、秋子さん(佐祐理さん)や名雪(舞)の前に現れたとしたら、どうなっただろうか。
 そして、天野(いまの俺)が、彼女たちに真琴の真実を話したとしたら?

 …秋子さんや名雪なら、真琴に出来うる限りの幸せを与えようと頑張ってくれるだろう。
 たとえ俺がいなかったとしても、真琴は幸せに最期を迎えられたかもしれない。

 まことと、佐祐理さん。

 あのふたりを、幸せにしてやりたい。
 奇跡が終わるその時まで暖かく一緒にいられるようにしてやりたい。

 それができるのは、俺と天野だけかもしれないのだから。
 そしてそれが、俺のいまの望みであり、願いなのだから。

 …そう思えて、なにか吹っ切れた。
 それと同時に、真琴のときの天野の苦しみを痛いほど理解し、身が引き締まる思いだった。


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