背景-神尾家居間-昼間
二人の心が近づけば、二人とも病んでしまう。
二人の心が遠ざかれば、まだ間に合うかもしれなかった。
背景-神尾家居間-夕方
気づいた時には日が暮れかけていた。
少ない荷物をまとめて、俺は立ち上がった。
昨夜、俺は観鈴の側にいた。
遠い昔のことに思えた。
CD-21-ふたり
背景-観鈴の部屋-夕方
色あせた陽射しの中に、観鈴の姿はあった。
俺を見つけると、安心したように微笑んだ。
観鈴「往人さん…」
夢の中にいるような顔で、俺に語りかける。
観鈴「海に行きたいな」
観鈴「砂浜で遊ぶの」
観鈴「かけっこしたり」
観鈴「水の掛けあいしたり…」
観鈴が望むもの。
誰もが飽きるほどやったはずの、他愛のない子供の遊び。
たったそれだけのことさえ、俺は与えることができなかった。
観鈴「そして、最後に」
観鈴「また明日、って…」
観鈴「でも、今は我慢」
観鈴「その方が、海まで行けた時にもっと嬉しくなるから」
観鈴「観鈴ちん、ふぁいとっ」
その笑顔に、俺は告げる。
CD-10-夜想
往人「そろそろ、出ていこうと思うんだ」
観鈴「え…?」
往人「最初はバス代を稼ぐまでだと思っていた。けど、色々あって、長居になってしまったからな…」
観鈴「お金…まだ稼げてないよね」
往人「そんなものいらないんだよ。最初からいらなかったんだ」
往人「歩けばいいんだからな」
観鈴「………」
観鈴「ずっと、一緒にいてくれる…そう言ってくれた」
往人「悪いな。そのことに関しては謝る」
往人「性分なんだ。俺は一カ所に留まっていられないんだ」
観鈴の目を見ずに言う。
観鈴「そんな…これからだって思ってたのに…」
観鈴「これからがんばろうとしてたのに…」
観鈴「往人さんにいてほしいな…」
観鈴「ずっといてほしいな…」
もちろん、すぐに納得してくれるとは思わなかった。
だから俺は、言葉を突きつける。
往人「な、観鈴」
往人「おまえが俺を苦しめているんだよ。わかるか」
観鈴「え…?」
往人「おまえはずっとひとりぼっちだった」
往人「今、だんだん身体が動かなくなってきている」
往人「心当たり、あるだろ?」
往人「このままいくとおまえは、あるはずのない痛みを感じるようになる」
往人「そして…」
往人「おまえは、全てを忘れていく」
往人「いちばん大切な人間のことさえ、思い出せなくなる」
往人「そして、最後の夢を見終わった朝…」
往人「おまえは…」
観鈴「………」
無言のまま、立ち尽くしていた。
往人「おまえが俺を選んでしまったからだよ…」
往人「二人の心が近づけば、二人とも病んでしまう」
往人「二人とも助からない」
往人「これ以上おまえと居続けたら、俺のほうが先に倒れる」
往人「だから、おまえから逃げることにしたんだ」
往人「この町を出て、もうおまえと出会うことのない場所までいく」
観鈴「ひとりで?」
往人「ああ」
観鈴「やっと、ひとりじゃなくなったのに…」
往人「おまえには、ほら、晴子がいるじゃないか」
観鈴「そうだけど…」
観鈴「………」
しばらく黙っていた観鈴が口を開く。
観鈴「じゃあ、仕方ないね」
観鈴「仕方ないよね…」
そう繰り返した。
俺にはわかっていた。
『これ以上おまえと居続けたら、俺のほうが先に倒れる』
そう言ってしまえば、観鈴は決して俺を引き留められない。
二人の心が近づけば、二人とも病んでしまう。
だとすれば、俺たちは、心を離さなければならない。
知り合ったばかりの頃の冷たさに、俺は戻らなければならない。
観鈴が追ってこないように。
観鈴が俺のことを忘れてしまえるように。
馬鹿な俺が考えついた、それが最後の望みだった。
観鈴「いつ、出るの?」
往人「今日」
観鈴「すぐ?」
往人「ああ。今すぐだ」
観鈴「もう一晩だけ、泊まっていけばいいのに」
往人「…俺はおまえが寝ている間に苦しむんだよ」
観鈴「あ、そうか…」
観鈴「うーん、じゃ、これでさよならだね…」
往人「そうだな」
観鈴「………」
観鈴「あのね、往人さん」
往人「なんだ」
観鈴「楽しかった、この夏休み」
観鈴「往人さんと過ごしたこの夏休み…」
観鈴「一番、楽しかった」
往人「そっか…」
観鈴「わたしもがんばれて良かった」
往人「そっか…」
観鈴「往人さん、わたしにできた初めての友達」
往人「そうだな…」
観鈴「きっと、往人さんいなかったら、もっと早く諦めてたと思う」
往人「…馬鹿」
往人「これからも頑張るんだろ、おまえは」
観鈴「そっか。そうだよね…」
観鈴「にはは…」
枕元にあるトランプを、観鈴は並べはじめた。
ぱたぱた…。
最後まで、観鈴はトランプをしていた。
俺はそれをじっと眺めていた。
その姿が観鈴を象徴していた。
観鈴「やっぱり、こうしてひとりで遊んでいればよかったんだね…」
往人「そうかもな…」
観鈴「………」
往人「でもな、楽しかったよ、俺も」
観鈴「ほんと?」
往人「ああ。観鈴と過ごせて良かった」
本心からそう思う。
観鈴「わたしもよかった」
ぱたぱた…。
往人「じゃ、いくな、俺」
観鈴「うん」
往人「じゃあな」
観鈴「うん…ばいばい、往人さん」
トランプを膝の上に広げたままで、見送る観鈴。
カラス「………」
観鈴の側にいる子ガラスが、俺を責めるように見つめていた。
往人「ばいばい」
俺は部屋を後にした。
BGMストップ
モノクロ-背景-観鈴の部屋-夕方
あれから、もうどれだけの月日が流れただろうか。
◇