「……兎。そう、兎だったわね」
瑞穂との打ち合わせを終えた小鳥遊圭は、舞台袖でなにかを思い出したようにポツリと呟いた。
小豆色の厚い垂れ幕をそっとめくり、会場へと視線を走らせる。
四百人近い女生徒たちでひしめく会場の中、たったひとり、目的の人を見つけ出した。
そう、それはまるで磁力で導かれるように引きつけられ。
圭とその人……高根美智子とは、暗い会場の中でふたり、吸い付くように視線を交わした。
美智子はふっと淡い微笑みを浮かべて見つめ返してくる。
それを、圭は素の表情のまま、じっと見つめ続けた。
(中等部から恵泉に来たあたしに……はじめに声を掛けてきたのが美智子だった)
第一印象は、女子校で純粋培養された可愛いらしいウサギさん。
美智子の穏やかな声と愛くるしい瞳が、そんな印象を持たせていた。
先ほどまりやにも云ったのだけれど、圭は小学生の頃に学校の兎を世話していたことがあった。
そのことを思い出して、自分に近づいてきた美智子に警戒心がわかなかった。
……のだけれども。
(アレは、兎の皮をかぶった狼……どころか悪魔。それも淫魔のたぐいかしら)
美智子の外見と中身のギャップを思い出して、圭はクッと小さく笑った。
そんな圭の様子に気づいたかのように、あるいは圭の思考が読めたかのように、会場にいる美智子がちょっと拗ねたような顔を見せた。
こんなにも遠く離れているのに。
そんな小さな表情の動きでさえ、相手のことがわかってしまう。
幾たびも身体を重ねて、心も近寄せ。
互いの空気を感じるだけで意志さえも交わせそうな濃密な時を、何度も過ごした。
演劇の分野で才を見せる圭は、それでも自分のことを特別な人間だとは思わない。
……しかし美智子とのことを考えると、あるいはふたりの関係は特別なのやもしれぬ、と考えてしまう。
他の恋人同士もこのような意思疎通が出来るようだったら、ああもくっついたり離れたりを繰り返しはしないだろう。
(美智子と同じクラスになっていなかったら……どうなっていたのだろう)
以前、美智子は云っていた。
圭を一目見て、なにか感じるものがあったのだ、と。
はじまりは変わっていたかも知れないけれど、いつかは恵泉の中で出会い。
やはり変わらず、ふたりの時間を過ごすことになったのかもしれない。
優しくて甘く、強引で辛く、痒くてもどかしく、愛しすぎて切なく……目眩がするほどに、爛れた日々を。
(……そういえば)
ふと、圭は思い出した。
美智子の第一印象が兎だったという話を本人に云ったことがあるのだけれど、同じような印象を持った人が自分以外にも居たと教えられたことを。
それは、美智子の本性をいまだ知らない、厳島貴子だった。
(アレの中身を知ったら……会長はどう思うのだろう? 自分の身に危険が迫っていたことを彼女は知らないだろうな……)
『貴子さんは、豪奢な金細工のような人』
『……ほお、金細工?』
『上へ天へと伸びていくものの、金自体はそれほど硬くはないでしょう? 補強したり他の物を混ぜたりしなければいけないのに、あの方はそれを潔しとはせず、ひとりで頑張ろうとする純粋な方。
やがては自重で崩れ落ちてしまうような……そんな、危ういところのある人』
『……ふむ』
『特に「お姉さま」と何かあったらしい後は、その危うさが増して……。引きちぎれてしまいそうなほどに繊細な金糸を思わせて、見ていてゾクゾクしてしまいます』
『そうと知りながら……見ているだけなわけ?』
『私には圭さんが居ますから。不器用なんです、私。ひとつのことで精一杯』
紫苑がエルダー・シスターに選ばれた直後のことだっただろうか。
そんな話をしていたことを、不意に思い出した。
外国には首を刎ねる兎という物語があるそうだけれど、美智子が兎だというのなら、おそらくソレだろう。
(……あたしが居るから何もしないと云っていたけど。居なかったら、どうしていたことやら……)
貴子の話は、自分に嫉妬させたかったから云ったのだろう。
他の個性に惹かれているということを口にして、嫉妬させたいと。
……だけれど、嫉妬させようなんて無駄。
それはお互い様だけれども……。
(好きすぎて切なくなったり、親しすぎて怖くなったり、愛しすぎて苦しくなったり……なんて気持ち。美智子にはわからないのかしら?)
少しだけ……ほんの少しだけ距離を置いて、美智子のことを……ふたりのことを考えてみたい。
それと演劇の勉強をもっとしてみたいというのもあって、圭は恵泉ではなく、外部の大学に進学することが決まっていた。
自分が恵泉付属ではなく外部受験することを告げたとき、美智子は珍しく唇をとがらせて怒って見せた。
もっと舞台のことを勉強したいからと云うのだけれど、美智子は納得しない。
あるいは、心の中にある迷い……少しだけ距離を置いてふたりのことを見つめ直したい、という自分の気持ちに感づいているからだろうか。
……あげく。
「演劇と私と、どっちのほうが大切なんですか?」
などと、そんな子供じみたことを云ってきた。
即答できずに唸る圭のことを、美智子は小さな拳を作ってだだっ子のように叩いた。
「どうして私だって云ってくれないんですかっ」
「……どっちも大切じゃあ、ダメなの?」
「私は、圭さんの一番がいいんです」
「対人関係では、美智子が文句なしで一番なんだけど……」
なおも納得しようとしない美智子に、圭はため息まじりに問いかける。
「演劇を捨てて、美智子におぼれ続けるだけのあたしのほうが……良いの?」
この問いには、さすがの美智子も「むう」と唸るだけだった。
結局、しぶしぶながらも圭の外部受験を認めるようになったのだけれど、事あるごとに反対したり、拗ねてみせたりする。
それはもう、すでに進学も決まり、卒業が間近に迫った最近でもだ。
「圭さんはファンクラブが出来るぐらい素敵な人なんだから、外で言い寄られて浮気なんてしたら、承知しませんからね」
ニッコリ笑いつつも、その実、目は笑わないままで云ってのける美智子。
「ファンクラブなんてあったのか……。まあなんにせよ、大丈夫。あたしが心惹かれることなんて、美智子と演劇以外にはありえないから……」
それに。
「……それに、美智子は特別だから」
(……枯れかけたこの心に瑞々しい感情を蘇らせてくれたあなたのことを、どうして忘れることが出来るだろうか。感情というものを失い、いわばモノクロの世界に生きていたあたしに、あなたは華やかな色をともなって現れてくれた。あの時の感動を、あたしが忘れるはずはない……)
例え少しばかり距離を置いたとしても、自分の心と身体は、美智子の呪縛から離れられそうにない。
それとも、そんな些細な迷いでさえも、美智子には許せないというのだろうか。
……あるいは、また。
こんな風に迷い、そう思い悩むことさえも、美智子の思惑通りだというのなら。
すべて、美智子の手のひらの上で踊っているというのなら……。
(……完敗だわ)
圭は今に戻り、肩を大げさにすくめてみせた。
むっと可愛く拗ねて見せる美智子の顔を目に焼き付けた後、めくっていた垂れ幕を元に戻す。
そうして、傍に控えていた案内役の君枝に、頷いてみせた。
君枝も頷き返し、手に持ったマイクを口元に寄せる。
『決勝、エントリーナンバー2。三年の小鳥遊圭さま……!』
ゆるゆると、小豆色の重たい垂れ幕があがっていく。
それを見て圭は気持ちを切り替え、目の前の舞台のことを考える。
(……紫苑さまの演技は予想以上だったけれど、最後が弱かったわね)
男女の告白なのだから『ずっと友達でいましょう』では弱すぎる。
恋を語り愛を語り、キスのひとつでもしてみせないと。
(それとも……あの内容は演技ではなく真実が混ざっていたから、素の自分を意識してキスが出来なかったのか)
『……不安に満ちた先の見えない未来に、此処での思い出はきっと拠り所になるでしょう。あなたと共にあった思い出が、その未来を生きていく糧と……なりますでしょう』
(だいぶ大きな悩みを抱えていたようだけれど……一年一緒に居ても、結局なにも話してくれなかった。瑞穂さんに云うのも躊躇われるぐらいの内容、なんでしょうね……)
垂れ幕があがりきろうとしている。
美智子への思い、紫苑への思いを一旦断ち切って、圭は目の前の舞台を見つめた。
向かいの舞台袖に、瑞穂が立っているのが見える。
それに軽く頷いてみせた後、圭は一歩、舞台へと踏み出した。
圭に続いて瑞穂も、舞台袖から歩き出す。
会場からの歓声をあびつつ、圭と瑞穂は、舞台の左右から中央に向けてゆっくりと歩み寄っていく。
圭が予選で宣言していた『恵泉の最後に相応しい最高の舞台』とは何なのかと、会場の期待は高まり、熱気に包まれている。
舞台中央でふたりは立ち止まるかと思われたが、そのままツッとすれ違い……。
すれ違いざまに、圭が右手で瑞穂の右手をつかみ取り、グッと引き寄せた。
圭の根本を縛り付けただけの闇のように黒い髪と、ライトを受けて輝く瑞穂の長い黒髪と恵泉の黒スカートの裾が、くるりと円を描いて翻る。
そうして、ふたりは舞台中央で抱き合うようにして正面から見つめ合った。
圭のまっすぐな視線に、瑞穂は恥ずかしがるように目を伏せ、顔を背けた。
(……恵泉三大美女っていう噂は、伊達じゃないわね)
羞恥を表すようにひそめられた眉毛も、その伏せられた目を飾る長い睫毛も。
長く美しい直毛はまるで絹糸のようで、その黒髪が柔らかな曲線を描く白い頬に掛かり艶めかしい。
そうして、その美しい顔を彩る赤い唇は上品でありながら扇情的で。
一年近く同じクラスでそれなりに親しくしていたものの、こうやって至近で顔を見るのは圭にとって初めてだったかもしれない。
(こんな美貌を持っていながら、勉学も出来て性格も良く、運動神経も良いのだから……詐欺だわ)
そんな瑞穂のことを……。
四百近いほどの観衆が見守る中、これから「支配」することを考えて、圭の背筋にゾクゾクと快感が駆け上がる。
(美智子に虐められるのも好きだけど……誰かを虐めるのも、やっぱり燃えるわね)
圭は思わずクッと邪悪な笑みを浮かべてしまったのだけれど、観衆からは見えない位置だし、瑞穂は目を逸らしているし、誰にも見咎められることはなかった。
「あまりに美しかったので、ついあなたの手をつかんでしまいました。
ああ、美しく尊いあなたのお手。
それを私の手が穢してしまったというならば、その償いはこの唇がいたしましょう。
聖者に巡礼するがごとく、どうか口付けで清めることをお許しいただきたい」
圭は瑞穂の右手をつかんだまま、その場で跪く。
目を伏せていた瑞穂の目を捕らえ、ふたりはしばらく見つめ合った。
そうして、圭はゆっくりと瑞穂の右手に、自分の唇を押し当てた。
……ざわり、と会場が揺れる。
会場にいる者のほとんどが、四ヶ月近く前の情景を思い浮かべたことだろう。
『えっ、これって……?』
『去年の学院祭でやった「ロミオとジュリエット」……?』
『圭さまの最後の演技が、ロミジュリ……??』
去年の学院祭で行われた、生徒会主催の『ロミオとジュリエット』の劇。
ロミオを瑞穂が、ジュリエットを貴子が演じて人気を博した催し物。
しかし今は、ロミオを圭が、ジュリエットを瑞穂が演じ始めた。
男性用の黒い学生服を着たロミオと、恵泉の黒い制服を着たジュリエット。
「巡礼さま、それはあなたのお手に対してあまりにも非道いおっしゃりよう。
このようにあなたの手はしっかりと信心深さを表していらっしゃるではありませんか」
(……さすがね、瑞穂さん)
去年の舞台では、瑞穂がロミオ役だったのだ。
圭は瑞穂の優秀さを知っていたので、相手役のジュリエットの科白も覚えているだろうと踏んでいた。
先ほどの打ち合わせの際に確認したら、案の定。
(紫苑さまのようにアドリブでやるのも面白いけれど……やはり、計算し尽くされた脚本のほうが、有利)
会場は、静かながらも少しざわめき始める。
予選の舞台で、『最高の舞台を見せる』と公言した圭が、なぜ去年と同じ『ロミオとジュリエット』を演じ始めたのか、という戸惑いが多くを占めていた。
(ふふふ、会場が失意で満たされていくのを感じるわ……。こういう風に大人数の感情を動かすことができるのが、演劇の大きな魅力のひとつ。……さあ、気づきなさい)
「もとより聖者の手は巡礼の手が触れるための物です。
それこそ手のひら同士の口付けという物ですわ」
『あっ……!』
『ロミオとジュリエットなら……!』
『そうよ、このシーンは……!』
「ですが唇は聖者にも巡礼にも、ちゃんとした本物があるというものです」
『……キスシーンがあるっ!!』
どよっ……と、言葉にならぬざわめきが会場に生まれた。
すでに、先ほど会場を占めていた失意というものは吹き飛ばされ、後に残ったのは、この先に起こる出来事への期待感だった。
「いいえ巡礼様、その唇は祈りを紡ぐためのもの」
『圭さまとお姉さまの……』
『き、キスシーン……』
(……同じ舞台、同じ演劇を繰り返し見に来る者が多いのは、その先にあることを知っていてもそれを楽しめるからだわ。人は、自分の好きなことを、好きな場面を、何度でも見たいというもの……観客の見たいものを提示することが、票を得ることの条件)
「ああ、では我が聖女様、手の口付けをお許しいただけるのならば、どうぞ唇にもお許しいただけませんか。
どうか、お許し下さい。私のこの信仰を、絶望に変えてしまわぬように……」
ロミオ役の圭の、求めるような声音。
ジュリエット役の瑞穂は、恥じらいつつ圭の手を軽く払って、三歩ほど前に歩く。
(……去年の『ロミオとジュリエット』で行われた瑞穂さんと会長のキスシーン。唇の横にキスしただの、あれだけは本当だったのだのと一部で物議を醸していたようだけれど……)
演劇部部長をつとめていた圭が、以前、演劇部でキスシーンを指導していた際に口走ったという噂があった。
『……いちいちキスの演技で恥ずかしがらないの。あたしのファーストキスなんて、中等部で演劇にとっくに捧げたわよ』
いまひとつ出所不明ではあるものの、圭の飄々とした態度からそういうことも云うかも知れないな、と納得させる噂ではあった。
その圭が、エルダー・シスターの瑞穂と最後の舞台でキスシーンを演じる。
しかし本当に、あの圭がただのキスシーンを演じるだけで止まるのだろうか?
あるいは圭なら、本当に口付けしてしまうのでは……。
そんな期待感が、抑えようとしても抑えきれないほどに会場に充ち満ちていた。
「たとえ祈りにほだされても、聖者の心は動きませんわ」
そう強がって云う瑞穂の前に回り込み、その両肩を、圭がそっと押さえる。
(……あたしの後に続く三人には悪いけど、これで優勝は確実にさせていただくわ。さあ……では、いただくとしましょうか。優勝と……瑞穂さんの、唇を)
「では、どうか動かずにいてください。祈りのしるしをいただく間だけ……」
その圭の言葉に、肩を抑えられた瑞穂の目がゆっくりと閉じられていく。
そうして、真剣な表情を作っている圭も、優しく目を細めながら瑞穂の顔へと近づいていった。
……ごくり。
と、誰しもが固唾を呑んで見守る中。
スポットライトで優しく照らし出される舞台のうえで、瑞穂の唇に、圭のソレがゆっくりと重ねられた。
会場内の温度が、冗談ではなく本気で数度跳ね上がる。
……それは、どう見ても本当のキスにしか見えない。
そういったことがわかる絶妙な立ち位置で、圭が瑞穂に口付けしていた。
瑞穂の、どこか色っぽい感じにひそめられた眉。
抵抗しない瑞穂に対して、圭が「本当にしているぞ」と示すように、まさに奪うという形容があうような様子で、噛みつくようにして唇をさらに押しつけた。
……どれだけ、そうしていたのだろうか。
誰もが息を止めたように見守る中、瑞穂の膝がガクリと折れた。
そうして、圭にしなだれかかるように、クタリとその場で両膝をついた。
瑞穂の羞恥に赤く染められた悩ましげな顔を見て、会場で黄色い歓声が怒号のようにわきあがった。
それはもう……恵泉が設立されてから最も大きな音量で。
このお嬢さま学校ではありえないほど、大きな声による悲鳴じみた大歓声だった。
瑞穂が膝を折るのと同じくして、舞台の上から小豆色の垂れ幕が下り始めた。
その垂れ幕は君枝が動かし始めたのだけれど、あらかじめ圭からそう指示されていたのだが、舞台の演技に見入っていてあやうく忘れるところだった。
「さあ、これで私の唇の罪は浄められました。……あなたの唇に触れたおかげで」
垂れ幕が下がり行く中、歓声に負けないほどに整った声が会場に響く。
あらかじめ、圭と瑞穂のふたりにはハンドレスマイクが付けられているので、よほどのことがなければ声がかき消されることはない。
「……で、では、その罪というのは……私の唇が背負うのですね……」
圭のまったく動揺がうかがえない凛々しい声に反して、瑞穂の声は切れ切れだった。
こんな状況でも演技を続けようとする瑞穂の姿が、圭にはとても嗜虐心をそそる。
「何と云うお咎めでしょう。……それではその罪、どうか私に返して下さい」
「……ちょっ、待っ、圭さっ、約束違っ……! ……んぶ、んんんふん〜〜っ……!!」
厚い垂れ幕が最後まで落ちる寸前。
下がり行く垂れ幕からのぞける瑞穂の白く細い指が、苦しげに大きく広げられた後、ぶるぶると震え……。
そうして最後に、パタリと床に落ちた。
……垂れ幕が下がりきった後。
上気して息も絶え絶えのように力尽きている瑞穂は、クテンと舞台の上に崩れ落ちた。
圭はすっくと身を起こし、倒れている瑞穂を見下ろしつつ口元を拭った。
それは別に瑞穂とのキスが嫌だったというわけではなく、口の周辺についた互いの唾液を拭うものであり……。
「……ふふん、奪ってやったわ」
ロミオの仮面も剥ぎ落ち、笑みさえも浮かべず、無表情で圭はそう云ってのけた。
垂れ幕が下がった舞台のうえでは、圭以外動く者は居なかった。
新生徒会のメンバーと控え室にいた出場者たちは、目の前で行われたキスシーン……というかキスに硬直していた。
「他の先生を呼んでなくてよかった……」
そう、しみじみと云ったのは企画者の緋紗子女教師。
しかしその顔は「良い物が見れた」という感じでまったく悪びれていない。
誰しもがその余韻に捕らわれて身動き出来ない中。
圭はひとり、出場者控え室に戻ろうと歩き始めた。
……と。
「おおうっ……?」
圭の背筋に寒気が走った。
その悪寒に導かれるようにして、垂れ幕を少しめくって会場を見た圭は、間違いようのない殺気を感じ取れた。
……暗い会場の中、穏やかに微笑みつつもその実、烈火のごとく怒り狂っている美智子の顔と出会ってしまった。
(……やばい……やり過ぎたか……)
今夜にでもベッドの上で悶え殺されることを予感し、圭は小さく唸った。
◇