「ミスコン、ですか? この時期に……?」
来年度の生徒会長を任されることになった現副会長の門倉葉子は、自分の目と耳を疑った。
ここは、恵泉女学院の生徒会室。
生徒会のメンバーが詰め、様々な業務を取り仕切る最前線。
一般の生徒ならば足を踏み入れることさえ抵抗を覚えるような場所に、その人はひとりだけ微笑んでいた。
「そもそも恵泉のミスコンと云えばエルダー・シスターという例年行っている歴史あるイベントもありますし、それはあと三ヶ月後に行うわけですが……」
葉子は、微笑みを絶やさぬその人の隣に居る、今年度のエルダー・シスターに視線を向ける。
その視線を受けて、エルダー……瑞穂はなにやら苦笑いを返して来た。
「ちがうちがう。企画書をよぉーっく見て」
微笑みを絶やさないその人とは、恵泉女学院の古典担当の梶浦緋紗子。
恵泉の教師としてはいちばん若く、シスターであるにもかかわらず型破りなことをするということで一種有名な人ではあったが……。
期末試験が始まる直前という日に、エルダー・シスターである瑞穂を伴って生徒会室に現れた緋紗子は、来年度の生徒会長として任命され、仕事の引き継ぎをしている葉子に対して、企画書を提出したのだった。
葉子は、渡された企画書に再び目を落とす。
気になったのか、来年度の副会長に任命されている君枝が席を立って葉子の傍に来る。
書記の可奈子と、仕事の引き継ぎで訪れていた現生徒会長の貴子のふたりも興味を覚えているようだったけれど、生徒会メンバーが団子になって一枚の企画書を読みふけるのはみっともないと思ったのか、その場に座ったままソワソワとしていた。
「……みす・みすたーこんてすとぉ〜〜?」
なんだこの、ミスターという文字は。
恵泉では見慣れない言葉に、葉子の声は裏返る。
代わって、傍に来ていた君枝が引き継ぐ。
「これって、この女学院に男性と呼ぶっていうことですか? ミス、アンド、ミスターコンテスト……?」
来年度の生徒会長と副会長の問いに対して、緋紗子はやはり嬉しそうに首を振った。
そうして、芝居がかった仕草で、両手を広げて高らかに告げた。
「ミス・ミスターコンテストっ。恵泉女生徒による、ミスターコンテストを行うのっ。そう、恵泉の女の子たちが男装して、誰がいちばん格好良いかを決めるコンテストなのよっっ……!!」
ズガーン!とでも云うかのような効果音が似合うような姿で、緋紗子はひとり悦に入っていた。
「まぁっ! 男装コンテストですか、ステキですねっ!」
書記の可奈子が席を立ち上がり、両手を胸の前で合わせて幸せそうに笑った。
そんな可奈子の手を上から握りしめ、緋紗子は嬉しそうに「そうよね!」とウンウンと頷いた。
他の生徒会メンバー、葉子も君枝も貴子も、唖然と云った表情で口を開けたまま硬直している。
「女と云うより少女という言葉が合う青い蕾のような恵泉の女の子たちが、男の子の格好をして中性的な雰囲気を醸し出すのよっ! 見目麗しい、男装の麗人たちが恵泉に颯爽と現れるのっ! そんな少年の格好をした参加者を見て、恵泉の少女たちは頬を赤く染め、そこにはきっと、めくるめく薔薇舞う世界が広がるのよっ!」
恍惚とした表情で、目に見えぬ世界を見上げながら言いつのる緋紗子と、その緋紗子と手を握り合って喜ぶ書記の可奈子。
「そ、そそそそそんなことはっ……!」
ようやく自失から我に返った貴子は、席から音高く立ち上がった。
『……そんなことは、公序良俗に反しますっ! 断じてっ、許可できませんわっ!!』
少し前までの貴子だったらそう云って退けたであろうが、いまの貴子は生徒会長の職から一歩引いている。
喉元までせり上がってきたその言葉を飲み込み、キッと強い視線で葉子を睨みつける。
貴子からの「断れオーラ」を全身で浴びつつも、葉子は引きつった顔をしながら必死に考える。
断るのは簡単だが、色々と気になることがあったからだ。
「ところで緋紗子先生、なぜこの場にお姉さまを?」
企画書を持ってきた緋紗子は、エルダー・シスターである瑞穂を伴ってやってきたのだ。
「それはですね。そのコンテストの賞品が、私、だからです」
苦笑いをたたえたままの瑞穂は、やはり苦い口調でそう云った。
「「えっ……!?」」
またもや、葉子君枝貴子が口を開けたまま硬直する。
とうとう我慢できず、貴子はツカツカと生徒会室を歩き、葉子と君枝がのぞき込んでいる企画書に目を落とす。
そうして、最後のほうに書かれている項目に辿り着いて、思わず唸る。
「そうで〜す」
緋紗子は我に勝機あり、といった様子で、瑞穂の両肩に後ろから手を当て、前にそっと押し出す。
「このミスターコンテストの優勝賞品は、なんと、エルダー・シスター宮小路瑞穂さんとの半日デート券! プラス、デート費用一万円で〜す!」
(……会長、思考停止)
自分の横で呆然とする貴子を見やり、葉子はため息をつきつつ、いまの状況を冷静に分析する。
恵泉女学院の教師である梶浦緋紗子企画による、男装コンテスト。
恵泉の女生徒が男装をして、観覧者が人気投票を行う、ということだ。
見れば、学院長からの企画実施許可および体育館使用許可もおりている。
手芸部の協力も承諾済みで、実際の男装は、何年か前に演劇部で使ったという男子学生用の黒い制服……いわゆる学ラン数着を出場者で使い回すという計画。
場所も衣装もオーケー、費用もほとんど掛からないイベント。
あと必要なのは、実際にそのイベントを取り仕切ることになる生徒会の承諾だけだ。
「エルダー・シスター選出とはちがって、まったくの突発イベント。テスト休み中なので、出場者観覧者ともに自由参加だから、そんな大事にはならないと思うわ。期末試験、就職や進学で一息ついた恵泉の子たちが、気軽に楽しめる最後のイベントをやってみたいのよ」
夢見るような表情を止め、教師らしい、慈愛に満ちた表情で緋紗子は云う。
こういった表情の切り替えがうまいところから、この教師が一筋縄ではいかない人物だと葉子は感じる。
新生徒会が取り仕切る最初のイベントは、三年生の卒業式、となるはずだった。
いくら現生徒会長の貴子が手伝ってくれることとはいえ、責任重大なイベントだ。
それよりも少し前、テスト休み中に小規模なイベントを実施できるなら、良い予行になるかもしれない。
(あと、新生徒会のイメージアップも狙えるかしら……?)
葉子は知っていた。
自由奔放な自分と、生真面目な君枝。
どちらを生徒会長に選ぶか、貴子が直前まで迷っていたことを。
貴子は在任中、生真面目すぎるほどに生徒会を仕切ってきた。
しかし色々と思うことがあったのだろう、次の年度では、もう少し規律を緩め、穏やかな生徒会を目指してみたらどうか、と。
自分の生真面目すぎるほどの性格が、余計な反発を生んでいることを貴子は自覚していた。
それ故に、貴子に似ている君枝ではなく、フランクで気ままな葉子を迷いつつも選んだのだ。
……貴子と君枝だったら間違いなく断っただろうな、と思いつつ、葉子は覚悟を決めた。
「貴子さま。この件、お受けしようと思います。いかがでしょうか?」
「えっ……!?」
貴子の目に、形容しがたい様々な感情が揺れ動くのが垣間見える。
「……まあ、厳密に云えば葉子さんが生徒会長となっているわけだし……わたくしが、その……とやかく云えるようなことではないですけれど……」
明らかに迷っている風な貴子。
あと一押しかな、と見て取り、葉子は言葉を連ねていく。
「このイベントを生徒会が仕切るとなると、私たち新生徒会のメンバーは公平を期すため、自主的に出場はしないことになると思います」
葉子の言葉に、ハッとなって気づく貴子。
「……お姉さまとデート……。でも私は出場できないわけだし……」
その思考が、ぽろぽろと口からこぼれ出ていた。
しょんぼりと落ち込む貴子を見て、葉子はひとりほくそ笑む。
「このイベントすべて、私たち新生徒会のメンバーが仕切るとして。前生徒会長であり卒業生である貴子さまには、一般の出場者として参加していただきたいのですが、いかがでしょうか?」
「ええっ……!?」
なにを云っているの?とあたふたと慌てる貴子。
「新生徒会だけでやろうとするなら私は見守るだけでも良いですけれど。だからといって、そんな、男装コンテストなどに私が……!」
「前生徒会長である貴子さまには一般の参加者からの視点で、私たち新生徒会の活動を観察していただきたいのです」
穏やかに云う葉子に対して、貴子はうーんと小さく唸りながら悩んでいる。
それを見て、葉子は瑞穂に顔を向けた。
「お姉さま。貴子さまの男装、見てみたくはありませんか?」
貴子には見えないような位置で、葉子はそっとウィンクする。
そんな葉子の意図を察し、瑞穂はちょっと苦みの混じった微笑みを浮かべて頷いた。
「……ぜひ、拝見したいですね。男装した貴子さんも、きっと素敵です」
「はーい、可奈子も見たいでーす。お姉さまと男装の会長のツーショット、きっととてもお美しいと思いまーす!」
……瑞穂の笑みと、可奈子の無邪気な言葉が追い打ちになり、貴子は陥落した。
窓際によろめきつつ後退し、真っ赤になりながらひとり幸せ空間にひたる貴子。
一度引いて、押す、押す、押す。
「葉子さん、上手い……」
君枝はこの一連の流れと、葉子が貴子の呼び名を「前生徒会長」「貴子さま」と使い分けていることに気づいて、思わず呟いた。
それを耳にして、葉子はニッと微笑んだ。
「それでは、緋紗子先生、お姉さま。細部について打ち合わせをしましょうか。実施日やコンテスト出場者の募集期間ですが……──」
◇