ものみの丘。

近所では、妖狐がいると伝えられ、親しまれている丘だ。

休日になると、時々ピクニック客が訪れるこの丘に、

今、一人の男が訪れていた。

年は30後半ぐらいだろうか。

ジーパンにシャツを着崩し、手には、ハンバーガーショップの袋を持っている。

彼の名は祐樹和人。

この話の主人公である―――



   Refrain Another & Afrer



「今年も来たよ、観流」

私は目の前の墓に語りかけた。

私の目の前には墓が4つ。 そのうちの一つに私は語りかけている。

ここには、私の大切な『彼女』が眠っているのだ。

「ほら、お前の好きなチーズバーガーも持ってきたぞ。 食べてくれ」

そう言うと、私は座り込み、ハンバーガーショップの袋を墓の前においた。

そして、手近な草をちぎると、草笛を作り、曲をかなでてやる。

『ものみの丘』にやさしげなメロディが流れる。

『彼女』が大好きだったメロディが。

観流…お前の想いは通じたよ。

今、お前の想いは、若い世代によってかなえられている。

だから、ゆっくりお休み…

そんな想いを秘めながら。

と、そのとき。 後ろに人の気配を感じ、私は振り返る。

私の知り合い、倉田氏の娘、佐祐理くんと、その友人たちが歩いてくるところだった。

「あ、こんにちわ。 祐樹先生」

「あぁ、こんにちわ」

佐祐理くんのあいさつに、私も笑顔で返す。

と、そこへ、彼女の傍らの少年が近づいてきて、ぺこりと頭をさげてきた。

「あ、あの、すいません。 この前はあんなことを言ってしまって…」

『あんなこと』というのは、数ヶ月前、佐祐理くんのところに来た妖狐の女の子を

診ていたときのことだろう。

あのとき、この少年と口論になって、彼はこう言ったのだ。

「もしも治せるっていうのなら、あの子はどうして助からなかった?

 幼馴染のあいつは、どうして目を覚まさなかった…?」

この言葉は私の心に鋭い楔を打ち込んでいた。

この少年…相沢祐一…の幼馴染の子、月宮あゆ、そして後輩の美坂栞。

二人とも、私の担当だった。

彼女たちと、彼、相沢くんとの関係は、佐祐理くんから聞いていた。

それだけに、なんとかしたかった。

悲しい別れを味あわせたくなかった。

だから、無理を言って、あの二人の担当にしてもらったのだ。

…だが。

間に合わなかった。

そのことが、今でも私の中にしこりとして残っている。

「いや、いいんだよ。 医学が万能ではないというのは確かだからね。

 医学で治せないものがなければ、医者がこんなに悩むことはないんだけどね」

私はそうさびしそうな微笑を浮かべて返した。

そう。 もし、医学が万能なら、

こうも悲しい別れを味あわせることはないのに。

「そう…ですね」

相沢くんも、そんな私の心を感じてくれたのか、そう言ってうなずいた。

それから、彼らは観流の墓の隣の3つの墓に、お供え物をした。

そして、目をつぶって黙祷をささげる。

それから、私たちは黙祷を済ませ、佐祐理くんの持ってきたお弁当を食べながら、

真琴やまことの思い出話に花を咲かせた。

そんな中、相沢くんがふと、墓の一つ…観流の墓…に目を向けてたずねてきた。

「そういえば…。 あの4つの墓、3つは俺のところの真琴と、佐祐理さんのところのまことと、

 美汐のところに来た子のだけど、もう一つは誰のなんですか?」

彼の傍らの女の子、彼のいとこの名雪くんも、首をかしげている。

「そうだよね。 確か、真琴を葬ったときにはすでにあったような…」

私はさびしそうな笑みを浮かべて教えてあげた。

「あぁ…それは観流。 私のところに来た狐の子の墓だよ」

そして私は、観流の思い出について語ってあげた。



***



21年前だったかな?

中学生だった私は探検気取りで、ものみの丘に入っていったんだ。

そのとき、私は足に怪我をした子狐を見つけたんだ。

かわいそうに思った私は、ハンカチをぬらして、簡単な手当てをしてあげた。

それから遊んでいるうちに暗くなってね…。

道に迷って途方にくれていた私の前に、その子狐が現れたんだ。

私たちは遊びながら、一夜を過ごした。

さて、それから、私はその子狐と遊ぶのが日課になった。

毎日毎日、ものみの丘に登っては、その子と遊んでたもんだよ。

ところがある日、それが親父たちにばれてね。

私はこっぴどく目玉を食らったうえに、もうあそこに行ってはいけないと言われたよ。

今にして思えば、息子につらい別れをさせたくないと思っていたのかもしれないな。

私の家系は代代、ものみの丘を見守る管理人みたいな役だったからね。

まぁ、そして怒られたわけだけど、

私は思い余って、家出をしちゃったんだ。

そしてものみの丘で何日も何日も、家に帰らずにその子狐と遊んでたよ。

でも、それでも見つかってしまって…。

私は連れ帰されたあげく、隣町に引越しされてしまったんだ。

まぁ、そのときに、ものみの丘の妖狐のことを知ったんだけどね。

さて、それから時が流れて、私が医大に入ったばかりのこと…。

私の元に、人間に化けたその子狐…観流…があらわれた。

あのときのことはよく覚えてるよ。

高校生ぐらいのかわいい姿をしてるのに、憎悪に満ちた瞳で私をにらみつけて、

「あなただけは私が殺す」ってナイフ片手に襲ってきたんだから…

まぁ、でも観流は結構聡明な子だったらしくて、

私が事情を説明したらすぐにわかってくれて、

泣きながら「ごめんなさい、ごめんなさい」って謝ってた。

それから私は彼女と共に過ごした。

私は彼女に幸せになって欲しくて、私が中学や高校で学んだことなどをいろいろと教え、

彼女はまるで砂が水を吸い取るようにそれを吸収していった。

もちろん、休みの日なんかは、いつも遊びに出かけた。

あの子は、動物園や森林公園なんかに行くのが好きだったな。

動物園で、うさぎなんかを抱いてかわいがったり、

森林公園では、森のすがすがしい空気を吸いながら散歩したり…

そうした生活が3年ほど過ぎたころだろうか?

観流が突然熱を出した。

そのときは私はさほどおおごとには思ってなかったけど、

親にそのことを話してみて愕然とした。

あれが奇跡が終わる前触れだったなんて…。

私はしばらく考え抜いたあげく、

残された短い時間を彼女と幸せに過ごすことに決めた。

それからというもの、私と観流は、

毎日毎日をいつもの数倍ぐらいの濃密さで過ごした。

大学を休んでまで、彼女を遠く離れた海に連れて行ったりもした。

こづかいをはたいて、彼女に感動する映画のビデオを買ってあげたりもした。

そしてそれから、数ヶ月経ったある日。

そう、観流の奇跡が終わったその日。

私と観流とこの丘に登って、風に身を委ねて…

そして私は観流を見送った。

彼女の最後の言葉は今でも覚えているよ。

「お願い…もう、私のような子を二度と出さないで…

 そして、最後に…和人さんと一緒に暮らせて幸せでした…

 今度生まれ変わったら、最初から人間に生まれたいです…」



***



「でも、それからも人間と狐の悲劇は終わらなかったみたいだけどね。

 私はそのたびに思ったものだよ。

 果たして、私たち人間に、狐たちが命と記憶を捨ててまで会いにくる価値が

 あるのかとね。

 自分の都合で、自然を汚し、世界を破壊する我々にね」

「…」

しばしの沈黙。 やがて、美汐くんがゆっくりと口を開いた。

「確かに、人間は過ちを犯します。

 でも、人間には、相手を愛し、思いやるという心があります。

 それこそが、私たちの価値なのではないでしょうか?」

祐一くんもその意見に賛同する。

「そうだな。 現に俺たちだって、

 真琴やまことのような悲劇を出さないために、こうして自然を守っている。

 大切なもののために何かしてあげようと思う心が、

 俺たち人間のいいところだと思うぜ」

私は微笑んで答えた。

「そうだね。 今は私もそう思えるよ」

それから、私は丘の掃除をするという佐祐理くんたちと別れて家路についた。

私は丘のほうを振り返って、心の中で観流に語りかけた。

(あの子たちがいる限り、もうお前のような悲劇は起こらないだろうね。

 観流の願いは、20年近くたってやっとかないそうだよ。

 観流、これからもあの子たちを見守っておくれ…)

私には、「はい」とうなずく観流の微笑みが見えるような気がした…



   END