♪ Page2 木漏れ日の雪解け




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「まあ、そうなんですの……? まりやさんが見るように薦めてくれたので、てっきり瑞穂さんも見ていたか、知っていたのかと思っていましたわ」
「はは……は……」
 結局、この屋上での一幕は紫苑さんの演技であったわけで……。
 そういえば昨夜、まりやが食堂でテレビを見ていて僕になにか云いかけていたけれど、それがその映画だったのだろう。
「ということは、先ほどの瑞穂さんは素であったわけですの?」
「紫苑さんの言葉を真に受けて、泣きそうでした……」
「まあ……。ということは先ほど口にした、私のことを愛してる、とか、抱きしめて僕が全部奪ってやる、とか口にしていたのは、あれは全部ほんとうのことだったのですわね?」
 紫苑さんはそう云って、艶やかに微笑む。
「あわわわわ、それは、そのぅ……」
「瑞穂さんに真剣な表情で見つめられて、映画のように口づけされてしまいそうだったから、私ドキドキしてしまいましたわ。しかもあれが演技ではないのだとすれば……ふふふ、瑞穂さんには責任を取ってもらわないといけませんね」
「し、紫苑さ〜ん……」
「うふふ、冗談ですわ。……ちょっと本気も混じってましたけれど」
 ああ、やはりこの人には敵わない。年上である、ということもあるのだろうけど、紫苑さんは僕よりも大人だった。……まあ、先ほどのように芝居を見せつけるような子供っぽいところもあるけれど。



 ホームルームが近いということもあり、昨夜の件を手短に話そうとした。
 けどあるていど話した時点で『ホームルームと朝の礼拝はお休みしてしまいましょう』と、紫苑さんは事も無げに告げ、僕にすべての説明をうながした。紫苑さんは繊細なようでいて、時に大胆な行動に出る。僕にとっての一大事を、紫苑さんが真剣になって聞いてくれることが嬉しかった。
 すべてを聞き終えた紫苑さんは、頬に手を当て考え込む仕草をする。
「そういえば、瑞穂さんが来る少し前に束髪の女生徒が屋上に来ましたわ」
「束髪って……あっ……!」
 屋上にのぼる寸前、曲がり角で衝突した女生徒のことを思い出した。白い紙袋を抱えた、三つ編みのような髪型をした、細身な少女。
「私が居ることを知って目が合うと、あわてて屋上から立ち去っていきましたの」
「そうか……あの子が……」
 助け起こす際に近くで顔を見たので、覚えている。編み込みというのだろう、綺麗な束髪をした女生徒。内気そうな印象はあったけれど、寮に忍び込んで盗みを働くような子には思えなかった。
「紫苑さんはその女生徒のこと、見覚えはありませんか?」
「いえ、ありませんわね。なので多分、新入生だとは思いますけれど」
「僕は……っと、私はその女生徒の顔を覚えてるので、下級生のクラスをひとつずつ訪ねていけばわかるとは思いますが……」
「瑞穂さんも迷っているように、それは良策とは云えませんわね。瑞穂さんはエルダーですから、この学院に知らぬ者はいないでしょう。誰かを捜そうと訪ね歩けば、なぜその女生徒を捜しているのかと詮索されますでしょうし」
「やはり、相手の出方を待つしかないでしょうか」
「向こうから接触を求めている以上、そのほうがよろしいかと。下手にこちらから見つけ出したら、追い詰められたと感じさせてしまうかもしれませんし」
「そうですよね……。私の願望かもしれませんが、さきほど見かけたあの女生徒がほんとうにそうなら、あまり騒ぎ立てるようなことはしないと思います」
「瑞穂さん、その考えは甘いですわ。分別がつくならば、そもそも窃盗などしませんもの」
 紫苑さんは、意外と手厳しい。
 そんな僕の思いが伝わったのか、紫苑さんは意味ありげに深い吐息をもらす。
「尊敬とか崇拝とか、度の過ぎた愛着というものは、なにかをきっかけにその方向が真逆になることも多いのです。……感情というものは、理性でわかっていても止められないこともあります」
 その紫苑さんの言葉に、僕は何とはなしに貴子さんのことを思い浮かべていた。紫苑さんは普段優しく、とても穏やかな人だ。しかしたまに、厳しく近寄りがたい態度を見せることがある。
 たとえば、エルダー・シスターの選出発表会の際。生徒会長の厳島貴子(いつくしま・たかこ)さんが、僕のエルダー選定に対して意義を唱えたときのことだった。発言を求めて壇上に現れた紫苑さんの姿は、僕が初めて見るものだった。美しく凛とした立ち姿で、優しくしなやかな声音でありながら、その身にまとうのは、聞く者に反論を許さない冷厳な雰囲気。
 紫苑さんの公的な立ち居振る舞い、と云ってしまえばそれまでだけど。あのとき見せた紫苑さんの顔と、対する貴子さんの驚き、傷つき、悲しみを抑えようとしているような表情が忘れられなかった。
「……なんにせよ、いまは待つしかないかもしれませんわね」
 なにも出来ないのが悔しい、という風に紫苑さんは云う。けどこうやって、一緒に心配してくれるだけでも僕の心はいくぶん軽くなった。



 ところが、それほど待つ必要はなかった。
 最初の授業を終え、紫苑さんの勧めで下駄箱を見に行ったら、新たな手紙が靴の下に置かれていたのだ。
『朝は先客がいたので屋上にいられませんでした。昼休みに礼拝堂でお会いしたいです』
 礼拝堂には、朝の礼拝の際に多くの生徒が通うものの、それ以外ではあまり近寄る機会が少ない。授業や年間行事に使ったり、清掃のために生徒が訪れたり、信仰心の篤い生徒が放課後に寄るていどで、昼休みとなれば閑散としていることだろう。空いているからといって礼拝堂で食事を摂るような不届き者も、このお嬢さま学校ならば居ないはずだ。
 この手紙のことをまりやと紫苑さんに伝えると、ふたりとも黙り込んだ。
「礼拝堂って云えば、外にも内にも、隠れられるようなところなんてないよね……」
 僕が云うと、ふたりとも頷く。
 礼拝堂の周囲にはまばらに木が植えられているものの、身を隠せるような物はない。それに、礼拝堂内部にも姿を隠せそうな場所もない。さらに云うなら、内部から窓をのぞけば、外から礼拝堂に来ようとする者の姿を確認できる。
 僕は一対一でその女生徒と話し合いをしなければならないということだ。




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