「恵泉ミスターコンテストかぁ。卒業生のお姉さま方の凛々しい姿が見れそうだね」
 掲示板に貼られたとんでもない告知内容を見て、上岡由佳里は笑った。

「別に卒業生に限らないようですよ。1、2年生も出場できるって書いてあるのですよ〜」
 一緒に告知を見ていた奏はそう云うけれど、由佳里がちょっと考えただけでも、いまの上級生たちに敵うような1、2年生は居ないように思える。
 エルダー・シスターである宮小路瑞穂はもちろん、病気がちで留年した前エルダー十条紫苑、お嬢さまとして有名な生徒会長の厳島貴子、ファッションセンスで並ぶ者は居ないと云われる御門まりや、演劇部前部長にして演技で男装もこなす小鳥遊圭。
 今年の卒業生は「すごい」ということで評判だった。

「卒業生のお姉さま方ってば、もうほんっと綺麗すぎて。1、2年生なんかじゃ敵にならないよ〜」
「そうとは限らないと、奏は思うのですよ。奏だったら、綺麗でお美しい、手の届かない高嶺の花な美人さんより。等身大で可愛らしい美少年さんが居たら、応援したくなるのですよ!」
 そう云って、奏は由佳里に微笑みかける。

「なるほど、格好良いだけじゃなくって、可愛い系もありなのかもね。でもそんな人、在校生に居たかなぁ?」
「奏の目の前にいるのですよ〜」
「え」
 奏にそう云われ、由佳里はあたりを見渡す。
 廊下には、奏と自分しか居ない。

「って、もしかして、私ぃ!?」
「はいなのですよ〜。由佳里ちゃんは、きっと可愛い美少年さんになれます」
「背は高くないし胸はないし、髪の毛は短いし日焼けもしてるし……。確かに男装は合うかも知れないけど……。お姉さまたちと張り合うだなんて、無理に決まってるよぉ」

 慌てて手と頭を振る由佳里だったけれど、その由佳里の手をキュッと握りしめ、奏は微笑みながら言葉を紡いでいく。

「確かに卒業生のお姉さまたちはすごい方ばかりですけれど……。参加する、ということにも意義はあるのではないかと、奏は思うのですよ」
「う〜ん……」
「これはきっと、卒業生のお姉さまたちにとって恵泉での『最後のお祭り』になるのですよ」
「最後の、お祭り……」

 由佳里の目をのぞき込むような形で、奏は真摯に話しかけてくる。
 奏はそうやってまっすぐに人の目を見つめてくるので、あまり自分に自信がない由佳里には、それを受け止めるのがちょっとだけ辛い。

「このお祭りが終われば、もうすぐ卒業式です。お姉さま方の多くは、この恵泉を離れてバラバラの道を歩んでいくことになってしまうのです。ですから……その前に行われる、最後のお祭りなのですよ」
「………」
 奏の言葉で、つい先ほどまで沈んでいた気持ちが蘇る。

 もう少ししたら、嫌でも、いまの生活は終わってしまう。
 終わるのではなく変わる、というのが正しいのだけれど、瑞穂とまりやが居なくなるのは変えようのない事実だった。

「告知内容に書いてありますけど、お姉さまへの告白、という演技がメインらしいのですよ。由佳里ちゃんも、瑞穂お姉さまのことが好きですよね?」
「もちろんだよっ。綺麗だし声は穏やかだし性格も優しいし……なにより、たっくさん助けてもらったもの。とっても大好き……」
「ふだんなかなか口に出せないことでも、こういった場では本音を出せるかもしれないのですよ。最後に、お姉さまへの感謝の気持ちを込めて、いろいろお伝えしてはいかがでしょうか?」
「でもぉ……」

 奏の言葉が、由佳里には魅力的に感じられた。
 限定された、一種追い詰められた状況なら、憧れの瑞穂に心の内にある感謝の言葉を伝えられるかも知れない。
 けれど、たくさんの生徒たちが見つめる中、自分が平静で居られることなんて無理だと思える。
 テスト休み中での自由参加ということだけれど、卒業生であるお姉さま方との最後のお祭りになるなら、きっと百人どころの参加者では済まないだろう。

 ……由佳里は苦しそうに首を振った。

「やっぱり私には無理だよ、奏ちゃん」
「ううーん、残念なのですよー。出場者募集は早めに打ち切られるようですし、もしも……」
「きゃあぁああーーっっ……!!」

 なおも説得しようとする奏の言葉に、由佳里の悲鳴が重なった。

「おーもしろぉいこと、聞いちゃった〜」
「ま、まりやお姉さま! いきなりなにをなさるんですかっ!」

 掲示板に注目していた由佳里の首に、まりやが背後から両腕を回して抱きついていた。
 きゃーきゃーと、小さくわめく由佳里を抱きかかえたまま、まりやは掲示板を眺める。

「いよいよ告知が出たわね〜。しっかし、緋紗子先生が言い出したときは大笑いしたものだけど、よもや現実になるとはねえ」
「ちょっ、お姉さま、離してくださぁいっ」
「由佳里、あんたも出場しなさいよ。そしたら離してあ・げ・る」
「イヤですってばぁ!」

 ちょっと力を込めて抵抗し、ようやく、由佳里はまりやを振り払った。
 それを見て、ちぇっと悔しそうにまりやは口をすぼめる。

「きゃあっ」
 今度は、奏の口から悲鳴が上がる。
 見れば、紫苑が奏のことを背後からぎゅっと抱き締めていた。

「奏ちゃん、お久しぶりね」
「し、紫苑お姉さま、こんにちはなのですよ〜」
「ずいぶん長いあいだ逢うことが出来なかったので、私、寂しかったですわ」
「テスト前にお会いしたから、まだ一週間も経っていないのですよ〜」
「会えない時間は長く感じるものなのですわ。奏ちゃんのことを思い出して、枕をギュッとしてましてよ?」
 奏は、そんな紫苑のスキンシップに馴れたもので、にこにこ笑いながら抱き締められたままでいる。

 そんなふたりを見て、由佳里はちょっとだけ羨ましく感じる。
 由佳里は外部編入組なので、こういった女子校特有のスキンシップにいまひとつ馴れていない。
 先ほどまりやに抱き締められた時、楽しいとか嬉しいとかよりも先に、まず恥ずかしさが優先されてしまった。

「………っ!?」
 奏と紫苑を見つめてそんなことを考えていた由佳里は、またもや背後から抱き締められた。
 今度は慌てず、落ち着いた風を装いつつ苦笑いを浮かべる。
「も〜、まりやお姉さまってばぁ……」
 そうしてゆっくりと振り返って……しかし、またも全力で悲鳴をあげた。

「ぅきゃあああああぁああああーーっっ……!!」

「……ふむ。良い悲鳴と、良い抱き心地ね」
 振り返ったそこに、まったくの素の表情、というか無表情のままの整った顔があった。
 由佳里にとってあまり見慣れていない、演劇部前部長、小鳥遊圭の顔だった。

「まりやさんや紫苑さまを真似てみたのだけれど……なるほど、これはこれで……」
「ちょっ、まっ、なんでっ、ぶ、部長さんがっ」
「……残念ながら部長さんではないわ。前部長さんなのです」

 ようやく我に返った由佳里は、慌ててジタバタと暴れる。

「ははは、こやつめ。活きよく暴れよるわい……」
「は、離して、くださぁ〜いっ」
「それでまりやさん……この後はどうすればいいかしら? やはりここは、揉みしだきながら服を脱がして……?」
「いやぁーっ!」

 尻餅を着くように下に逃れて、やっと由佳里は圭の呪縛から逃げおおせた。
 肩でぜぇぜぇと息をしながら、気持ちを落ち着けようとする。

「ふはは、初やつ初やつ。なにやら白魚の躍り食いを思い出したわ。なかなかよくってよ、ええっと……」
「はぁ、はぁ……」
「ええっと……まりやさんと瑞穂さんの妹役にして、奏の親友の……君は……」

 ほとんど会話したことがないので、圭は由佳里の名前を思い出せない。
 互いに、瑞穂やまりや、奏と一緒にいるところを見かけることは多かったものの、会話したことはほとんど無い。
 圭はなにしろ有名人なので、由佳里は知っていたが……。

「……そう、琥珀の君。なかなかの娯楽をありがとう、琥珀の君」
「ええっ?」
「すまん、名前を思い出せない……。まあ、その綺麗に日焼けした肌を讃えて、君の呼び名は琥珀の君、と決めたわ」

 いい加減な呼称だったので、つぎ会ったときには忘れていそうだった。



「ふ……なんにせよ、面白くなりそうね」
 一連の騒ぎの中でも表情を変えないままの圭は、掲示板を見つつそんなことを口にした。
 それを耳にして、まりやは少し引きつった顔をする。

「ちょっと圭さん……? あなたまさか、出場しようって云うんじゃないでしょうね」
「……これは異な事を。こんな面白いこと、傍観するわけがないではありませんか」
「それってズルくない? あなた、演劇で何度も男装してるし、なんか熱烈なファンとか居るみたいじゃないのっ」
「あたしにファンが居るのなら、それはこの学院で積み重ねてきた実績なのです。なにも後ろめたいことなどありません。そもそもズルと云うのなら、幼なじみの瑞穂さんとはいつでもデート出来るのだから、まりあさんは遠慮するのが筋というもの……」
「一緒に遊びに出掛けるのと、デートに行くのとじゃぜんぜん違うっ……んですわ」

 ずいぶんと素の喋りになっていたまりやは、慌てて学院用のお嬢さまモードを整える。
 とはいえ、周りには気を使う必要のある者も居ないので、少ししたら元に戻っていそうだった。

「瑞穂さんを堂々とデートに誘えるうえ、一万円の費用も出るだなんて最高ですもの」
「……やはりそれが本音ね、まりやさん。あたしとしても、遊べるうえに一万円も支給されるだなんて美味しい話、見過ごすわけにはまいりませんわね」
「云っておくけど、私、男装には自信がありましてよ」

 由佳里は知りようもないことだったが、まりやのその言葉は本当だった。
 小学生の頃から、男である瑞穂に女の格好をさせ、女であるまりやが男の格好をしてペアで遊びに出掛けることが何度もあった。
 とはいえ、まりやの男装は女の子が男の格好をしている、という感じで微笑ましい姿ではあったけれど、瑞穂の場合はどこからどう見ても女の子にしか見えないほどの変装ぶりだったわけだが……。

「……ふむ。確かに、まりやさんはフェイスもスタイルもメイクも申し分なしで、男装したらさぞかし立派な『男装の麗人』になるのでしょうが……それでは、つまらないわ」
 ふふん、といった感じで圭が顎を心持ちあげて、言葉を紡ぐ。
「これはただのミスコンでは無いのだし、見た目だけが全てではないことを証明してあげる……」

 異様な雰囲気を醸し出しつつ、しかし穏やかに睨み合う圭とまりや。
 そんなふたりを間近で見ている由佳里には、ふたりの間に火花散るさまが想像できた。

「瑞穂さんとのデート券……素敵ですわね」
「えっ?」
「む……」

 抱き締めることにようやく満足したのか、奏を解放した紫苑が楽しそうな顔をして掲示板を眺めていた。
 その紫苑の発言に、圭とまりやは驚きの表情を隠せない。
 ……もっとも、圭の表情の変化はほんとうに微々たるものだったが。

「ま、まさか紫苑さまも出場するおつもりですか?」
「いけませんか……? こんな楽しそうなこと、私だけ参加しないだなんてもったいないですわ」
「……むむむ、とんだダークホースが身近に居たものだわ……」

 去年の学院祭で行われた演劇『ロミオとジュリエット』に、紫苑は男役のマキューシオで参加した。
 恵泉の女生徒の中でも背が高いほうで、なによりも美形でスタイルもよく、さらに男役としての演技もとても上手かったので、見る者の多くを魅了したのだった。
 由佳里は演劇部の奏から聞いたのだが、演劇部の部長だった圭はその紫苑を見て「もっと早くこの逸材に気づいていれば……」と酷く惜しがっていたらしい。

「それに、準優勝でいただける食堂のデザート無料券もステキですわ」
 にっこりと微笑む紫苑。

 優勝以外にも準優勝があって、その準優勝の商品が食堂のデザート無料券十回分だった。
 瑞穂とのデート権利+費用一万円に比べれば見劣りするものの、お嬢さま学校である恵泉の食堂はかなりしっかりしたものなので、そこで高めのデザートを十回注文できるとなると、なかなかの額になるはずだった。

「く……。優勝と準優勝を、平気で射程にとらえているわね」
「……まずい。あたしと紫苑さまでは、演技関係で票を奪い合う可能性が高い。そこをまりやさんに突かれたら……」

 由佳里の目には、まさに恵泉卒業生三巨頭、ここに対立す、という状況に見えた。
 まりやも圭も紫苑も、男装すればその美貌やスタイルの良さ、服の着こなし等、他に敵がないように思える。
 ……何者が、この三人にかなうのだろうか。

「あれ。みなさん、まだ学院に残っていたんですか?」

 と、そこにロミオとジュリエットが現れた。
 ただしくは、昨年の学院祭で行われた演劇の主役たち、宮小路瑞穂と厳島貴子のふたりだった。

「あ〜ら、これは珍しい組み合わせですわねぇ、貴子、さん?」
 圭や紫苑に向けていたものとは明らかに違う、からかいプラス敵意ちょっぴり、といった感じの視線を、まりやは貴子に向ける。

「あなたと緋紗子先生が企画した男装コンテストの打ち合わせに残っていたんですわ」
「あらあら、それはご苦労なことで」
「お姉さまも手伝ってくれましたのに、首謀者であるあなたはいったいどこをほっつき歩いていらしたんですか?」
「べっつにぃ? 最後ぐらい、生徒会のみなさんの前で、あんたを扱き下ろすのは遠慮してあげようっていうあたしの配慮だったんだけど〜?」
「嘘おっしゃい。焚きつけるだけ焚きつけて、あなたは楽しいところだけ参加して遊ぶつもりでしょうにっ」

 冷たい美貌と、まっすぐ過ぎるほど生真面目で有名な生徒会長厳島貴子も、まりやの前では普通の怒りっぽい女の子だった。
 そんな様子を、由佳里は新鮮な思いで見つめる。
 貴子とまりやは言い合っているものの、ふたりとも普段より活き活きとしているように思える。

 いつもだったら誰かが……特に瑞穂が仲裁に入りそうなところだけれど、その瑞穂はと云えば、なにやら紫苑と楽しそうに会話していた。
 まりやと貴子の言い合いなど日常茶飯事、とでもいうかのように流して、なんだか食堂のデザートについて歓談しているようだった。
 ……そういうこともあって、まりやと貴子の言い合いはヒートアップしていく。

「そもそも。なぁんで生徒会を引退したあんたが、いまだに生徒会に居るのよ。伝え聞いた話じゃあ、この企画に反対したかったそうじゃないのっ」
「ええ、私が今なお会長のままでしたら、企画書にあなたの名前を見ただけで棄却しましたわっ。ですが残念ながら任期を終え、いまは引き継ぎのために生徒会に通っている身ですから」
「生徒会の引き継ぎって云ったって、あんた以外は同じメンバーなんだし、大していらないでしょうに。まったく、新生徒会諸君にしてみれば目の上のたんこぶ、口うるさい姑、やっかいなお局様がいいところよね」
「なっ……なあんんですってえぇ〜?」
「あんたアレよね、子供とかが出来て学校に通わせだしたら、PTAとか委員会とか、勇んで参加して煙たがられるタイプよねぇ〜。ひとりだけハッスルハッスル」
「んなっ……こ、子供だなんて、別に……私には相手の方などいませんし……」

「……まりやさんは飛躍しすぎだし、貴子さんは斜め上に行きすぎです」
 仲裁というよりはツッコミをいられずにはおけなかった、という様子で圭が言葉を挟んだ。

 そのツッコミを受けている間に呼吸を整えたのか、まりやは余裕げな表情を浮かべた。

「まあ、なんにせよ生徒会諸君には感謝感謝。瑞穂ちゃんと公然とデート出来る権利をいただけるんだからねぇ。しかも緋紗子先生の自腹で費用付き! ううん、最高〜」
 微妙に発音を強調しつつあえて「瑞穂ちゃん」と口にしたのだと由佳里にはわかった。
 見れば貴子も気づいたらしく、ぎりぎりと歯を噛みしめて拳を震わせている。

「……わ、わたくしっ、決めましたわ!」
 なにかを振り切るかのように手を振った後、貴子は胸の前で腕を組んだ。

「なにをぉ〜?」
 とぼけた表情で問いかけるまりやだったが、つぎの貴子の発言に血相を変える。

「後輩の皆さんに頼まれて迷っていましたが、私もコンテストに出場することにしますっ!」
「んなっ……!?」
「このような無法な女とお姉さまをデートさせるぐらいならば、いっそこの私がっ!」
「ちょっと待ちなさいよっ。見た目は……そりゃあ、そこそこだろうけど……演技なんてザルなあんたが出場したって、恥をかくだけよ! 止めときなさいってばっ」

 まりやが慌てて口走る言葉を流しつつ、貴子はふふん、と余裕ありげに笑った。
「我に策あり、ですわ」
「んぐぐぐぐ……」

「……まりやさんは、目の前のことに夢中になってしまうと、いかんせん足下に開いている落とし穴に気づかないタイプね……」
 圭の口からポツリと呟かれた言葉に、由佳里と奏はウンウンと一緒になって頷いた。

「……そのときは皆さんを誘って、私お薦めのケーキを無料券でご馳走しますわね」
「ふふふ、紫苑さんのお薦めケーキですか。ぜひ、食べてみたいですね」

「……そっちはそっちで、準優勝をピンポイントに狙って発言している人がいるし……」
 普通の人だったら肩をすくめる所だが、圭は顔の表情を微妙に動かすだけで呆れているさまを表現している。

 ……なんにせよ凄いことになったな、と由佳里は思った。
 目の前には、恵泉女学院における有名人が揃い踏みしている。

 エルダー・シスターであり、成績トップで眉目秀麗、スポーツ万能と欠点がまったくうかがえない宮小路瑞穂。
 あえて欠点とするなら、優しすぎて面倒見が良く、色々とやっかい事に巻き込まれがちなどころだろうか。
 恵泉女学院で、誰からも好かれる「お姉さま」。

 女子寮内での由佳里の姉役であり、瑞穂と幼なじみである御門まりや。
 自由奔放という言葉が似合い、恵泉にてさまざまなトラブルを起こしているが、じつは止ん事無い家柄のお嬢さま。
 ファッションやメイクのセンスは恵泉で並ぶ者無しという評判だ。
 それと陸上部の前部長であり、かなりの記録保持者でもあった。

 十条紫苑は、やはり才色兼備で前年度のエルダー・シスターに選ばれたものの、病気療養で留年せざるを得なかった人。
 いまの恵泉女学院における「お嬢さま」は?と問われれば、この紫苑と厳島貴子のことを浮かべる人がほとんどだろう。

 中等部からの外部編入組で、入学当初からその実力を振るわせてきた演劇の才媛、小鳥遊圭。
 舞台の上では見事な演技を見せるのだが、普段は恐ろしいくらいに無表情。
 演技も合わせるとかなり美しく映える人物だが、実際に美貌の持ち主でもある。

 恵泉女学院の生徒会長を務め、一時は今年度のエルダー・シスターになるであろうと噂されていた厳島貴子。
 冷たい美貌と形容される顔つきと切れそうなぐらいに生真面目な性格から、多くの生徒たちに敬遠されがちだが、慕う者も少なくない。
 成り上がりの厳島家のお嬢さま、と陰口をたたかれることもあるそうだけれど、本人はそのことを鼻にも掛けない。

 そして、由佳里の隣に居る周防院奏。
 去年の秋、その頭を飾るリボンをめぐって瑞穂と貴子が争い、噂されるようになる。
 そうして、同じく去年の冬に行われた学院祭で演劇部主催の劇にて主役を張り、一躍ときのひとに。
 演劇の才媛・小鳥遊圭からの指導を受け、ゆくゆくは演劇部部長になると噂されている。

 そんな有名人たちを見つめる自分はというと……。

 所属する陸上部で最近ようやく自己ベストが出せるようになったものの、部長であったまりやには遠く及ばない。
 学業は平均よりかなり下、外部編入組ということもあって友人も少なく、得意なことといえば料理だけれど、まだまだアマチュアの域だろう。
 背も高くなければ胸も小さく、健康的に日焼けした肌といい、この恵泉女学院には似合わないタイプだ。

 ……自己分析して、周りの人たちとの差に、由佳里は深くため息を漏らすのだった。

 だから……──。
 俯きがちだった由佳里は、近くに居たまりやが自分を見やり、なにやらよからぬ表情でニヤリと笑みを浮かべていたことに気づかなかった。



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