医師という仕事についていると、時折、奇跡としか言いようのない出来事に遭遇する。



…1月下旬。
その日の夕方。

鳴るはずのない病室からのナースコールが、私達を騒がせた。
ナースたちが「眠り姫」と噂する少女が目覚めた。

…この病院には、7年もの間、眠り続けている少女が居た。
その少女が、その日、ふいに目覚めたのだ。

呼び出された医師やナース達の中に、私も居た。

目覚めたことを喜び、診察を試みようとする私達をよそに、少女は消え入りそうな声で言った。

「臓器移植の…意志表示をしないと…いけないんです」

7年もの眠りから目覚めた少女は、そんなことを言った。

これから元気になるはずなのに…。

それに、7年前といったらこの少女は10歳だ。
目覚める前は10歳だった少女が、真っ先に思い浮かべることが臓器移植…?

困惑する私達に、少女は再度、求めた。

…私達の疑問をよそに、少女は左手でペンを握り、ゆっくりと署名した。

そうして少女は、「最後」に言った。

「ボクの命を、美坂栞という女の子にあげてください」
「…ボクはもうじき、死んでしまうだろうから」

私が、その美坂栞という少女との関係を問うてみると、彼女は朗らかに笑った。

「大切な友人です」

そう消え入りそうな声で喋った後、少女は再び、眠りの中に落ちていった。

…そうして二度と、目を覚ますことはなかった。
たった数分だけの出来事。



…少女の容態は7年も変化がなかった。

ところが1月のはじめ頃から、良好な状態へと変化をみせていた。
それが、私達に淡い期待を抱かせていたのだが…。

そして、一旦は目覚めたというのに、少女はもうじき死ぬと言うのだ。

半信半疑ながら、私達は美坂栞という少女との適合を確めた。

臓器提供は、レシピエントを公正かつ公平に選び出すシステムが組まれている。
あの少女が希望していても、美坂栞という少女と最も良く適合しなければ、事実上無理だった。

ところが…。
私達は再び、奇跡を見る。

ミスマッチ0。

…最良の適合だ。

血液型、白血球の型など、全ての面で最良の適合を見せた。
血縁の親兄弟でも珍しいことなのに。



…2月上旬、美坂栞という少女がこの病院に転院してきた。

もともと、この少女は臓器移植の順番を待っていた患者だった。
順番が回ってこなければ、少女に待っているのは確実な死。

しかし現在の日本では、ドナーの数が圧倒的に足りない。
しかも、少女が望むものは心臓移植だ。



…2月中旬、美坂栞の病状が悪化。

緊急度最大。

そしてそれを待っていたかのように、眠り続けていたあの少女が、突然に息を引き取った。
いままで良好だった容態から、突然に…。

両者の適合力、そして緊急度。
全ての条件が、レシピエントに美坂栞を選ばせた。

そうして移植手術を受けることが出来た美坂栞は、無事に手術も終え、回復していった。
拒絶反応もほとんど無い、穏やかな回復。



…4月。いや、5月だっただろうか…。

美坂栞という少女が、この病院に定期検診を受けに来ていた。
少女の担当医になっていた同僚に、私は、こんなことを相談された。

「彼女が、ドナーのことを知りたがっている」

…と。

ドナーの遺族にもレシピエントにも、個人を特定する情報を教えることはできない。

レシピエントを選び出す、移植コーディネーターという仲介役が居る。
彼らを通じて、ドナーの遺族に宛てた感謝の手紙を渡すことはできる。

同僚は、そう言って少女をなだめようとしたが、少女はこう言ったそうだ。

「夢を見るんです」
「その夢の中で、私は、大切な女性と出会うんです」

「彼女の名前は、月宮あゆ」
「…あゆさんが、私に心臓をくださったのでしょうか…?」

…驚いた。
話には聞いたことがあったが、そんなことがありえるのだろうか。

臓器移植を受けたレシピエントが、ドナーの記憶を夢で見るというのだ。
臓器に、人の記憶が宿るとでも言うのだろうか。

確かに、移植された臓器がレシピエントに与える影響はある。

たとえば、食事の嗜好などが変わるのが、わかりやすい例だろうか。
心臓のように全身へ血液を送る部位なら、そんな影響もありえるだろう。

…しかし、記憶まで移るものだろうか?

美坂栞という少女は、命を譲ってくれたドナーに申し訳ないのだと言うそうだ。

「あゆさんが不幸になったのに、こんな私が幸せになってもいいんでしょうか」

精神的に不安定になっている少女を、同僚がカウンセリングに当たることになった。



…12月。
この一連の出来事が、一応の決着を迎えた。

美坂栞という少女が、全てを受け入れ、精神的にも回復しはじめたというのだ。

同僚の医師は、回復したのは少女の恋人の影響らしい…と、苦笑いを浮かべて報告してくれた。

…これが、長い間眠り続けた少女が求めた、願いだったのだろうか。
眠り姫の、たったひとつの願い。



…医師という仕事についていると、時折、奇跡としか言いようのない出来事に遭遇する。

これは、そんな出来事のヒトツ…――。



Fin



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